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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第九章  権謀術数
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第九十三話  碧雪

 管三兄弟は、荒れ狂う猛獣の如き孫堅を生け捕りにした。だが、黄巾賊の戦線は次第に漢軍の勢いに押されて、後退を余儀なくされている。


 漢軍の主力である皇甫嵩と朱儁の本隊が、前線で戦う孫堅の部隊に合流し、汝南黄巾賊を包囲しようと鶴翼の陣形を敷いている。


 急激に戦況が逆転し始めたので、彭脱(ほうだつ)は焦りの表情を隠せないでいる。ただただ周囲を怒鳴り散らし、打開策もなく、周りの部下たちにも危機感と緊張が走っていた。


「くそおっ、このままでは形勢が不利だ。県城を捨てて撤退するしかない!」


「彭大方っ、今度は背後から予州刺史の率いる大軍が迫ってきているそうです!」


「なんだとおっ。予想以上の早さじゃないか。このままじゃ完全に包囲されてしまうぞっ。どうする、どうすればイイっ!」


 狼狽する彭脱を横目に管三兄弟は、顔を寄せ合ってなにやらコソコソと小声で話をしていた。


「おい、このまま、あのバカと一緒にいたんじゃ身が持たねぇぞ。完璧に負け戦じゃねぇか」


「ああ、まったくだ。付き合ってらんねぇ」


「さっきの人質はどうするよ? 俺の網が引っ掛かったままなんだ」


「もう網を引き剥がしてる時間なんてねぇよ。あの網は人質ごと置いてバカ大方にくれてやれ。今すぐズラかるんだ」


 一度決断すると話は早い。周りの者たちに気付かれぬように、忍びながら素早く後ずさりを始める管三兄弟。


 実際、包囲されつつある状況に気付いた者たちは、少しづつ戦線から離脱して逃亡している。


「に、逃げるなぁ、お前ら、持ち場を離れるんじゃないっ。あ、あの三兄弟はどこだ。早く呼んで来い!」


 頼りにしていた三兄弟もすでに姿が見当たらない。それどころか逃げる事すら儘ならないほど混乱をきたしている。


 すでに周りの至る所に漢軍の旗を振りかざす軍勢が迫っており、双方が入り乱れての大乱戦となっていた。


 怒号や叫び声が飛び交う中、網に包まれたままの孫堅はいつの間にか、馬の背からゆっくりとズリ落ちて、地面にうつ伏せになって倒れた。


 地面に落ちる瞬間だけ孫堅の意識が戻った。足の方からゆっくり落ちたので、ひどい打撲ではなかったが地面に落ちる衝撃を全身で感じた。


 孫堅は地面に落ちた所でまた意識を失ったが、どこか遠くから声が聞こえるような気がしてまた少し目が覚めた。


「おい、大丈夫か? 返事をしろっ」


 薄らぐ意識の中で自分を呼ぶ声が聞こえる。孫堅はようやく意識を取り戻したが、身体がいうことを聞かない。


 誰かが介抱してくれようとしているのがわかる。身体に巻き付いた網を丁寧に取り外して、草むらの上に仰向けに寝かされた。


 遠くで兵士たちが斬り合ってる音がする。まだ戦いは終わっていないようだが、戦場から遠のいたのか、それとも戦線が後退したのか分からない。


「兄貴、そんなヤツほっといてもう行こうぜ。どうせ死にかけてる」


「いや、傷は多いがどれも浅い。致命傷もなさそうだし、早く手当すれば助かるだろう」


「助ける、つっても今の俺達の立場を考えろよ。余計な事はしない方がいいんじゃないか。この鎧の豪華さからして、それなりの身分のある大将だろ」


「ああ、俺はこの男を知っている。俺を庇ってくれた事があるんだ。義理はある」


「義理? だとしても俺たちに何ができるんだ。ほっとけば誰かが拾ってくれるさ。さぁ、もう行こうぜ」


「いや、待て、(こう)。これは絶好の機会だ。この()を待っていたんだ」


「はぁ?」


 男は懐から大きめの革袋を取り出し、孫堅の鎧の腰巻きに固く結びつけた。


 と、同時に青白い馬が静かに近づいてきて、孫堅に寄り添うように周囲を回り始めた。


「良い馬だな。主人の安否を気遣っているらしい。丁度いい、お前にすべてを託そう。お前の主人の仲間を呼んでくるんだ。それまでは俺たちが見ているから安心しろ」


 男が立ち上がり、馬の鼻先を撫でながら言い聞かす。


「兄貴、馬に言葉が通じる訳ねぇよ」


 もう一人の男が茶化すと、急に馬はブルルッと小さく嘶き、どこかに走り去っていった。


「おい、どっかに行っちまうぞ。本当に仲間を呼びに行ったのかな」


「そうさ。少なくともそう俺は信じる。あの馬は必ず仲間を連れてここに戻ってくるさ」


「うう……」


 夢か現実だったのか分からないが、孫堅が次に目覚めた時は幕舎の寝台の上だった。


「はっ」


 幕舎の中は暗く、蝋燭が一本照らされているだけだが、夜ではない。外の方から雨が降っている音が聞こえる。


「おお、気が付かれましたかっ。良かった……。おおい、若が目を覚ましたぞっ。七日間も意識が戻らなかったので、もうダメかとさえ思ってたのですぞ」


 側にいた程普が大声で燥いでいる。その甲高い声で身体に痛みが走るぐらい、傷だらけで消耗しきっているようだ。


「うう、七日間も……それで身体が(だる)いんやな。頭もズキズキするわい」


 孫堅は苦笑いしながら、声を振り絞った。よく見ると体中包帯だらけだ。我ながらよく生きていたものだ、と思った。


 程普の高らかな呼び声で孫堅の部下たちがすっ飛んできて、皆で孫堅の目覚めを喜び合った。


 後で聞いた話よると、孫堅の愛馬が走っている所を捜索中だった程普が発見し、その馬についていくと草むらの中で倒れている孫堅を発見したのだという。


「わしら漢軍は、黄巾の賊どもに勝ったんか? のう、君理(朱治)


「もちろんでっせ。アンタが大暴れしたさかい、賊がビビって逃げていったでぇ。ほんなら背後から予州刺史の軍も来はってなぁ。もう数万の首級を挙げて黄巾ども壊滅ですわ」


 朱治も孫堅が目を覚ました事に興奮している様子だ。


「まぁ、賊の渠帥やった彭脱とそのその幹部は降伏して牢に放り込んどるけど、まだ残党がちょろちょろ残って(くすぶ)っとるから、完全に制圧したっちゅう訳やないけどな」


 黄蓋は付け加えるように言う。孫堅はその言葉を聞いて目に闘志を宿したようだ。


「そうか、それやったらまだワシが戦える舞台は残っとる、っちゅう事やな」


 その場にいた皆が、一斉に声を出して孫堅の身を案じた。


「それは無茶な話だ、ワカ。もう少し休んでいてくれ」


 程普は真剣に孫堅を心配しているが、孫堅の耳に届いていないようだ。


「そういや、ワシを介抱してくれた奴がおるハズなんやけど、誰やったんやろうか?」


「ヤツ? ああ、それは、ワカの碧雪(へきせつ)の事か。あの驄馬がワカの居所を教えてくれたんだ」


 程普が答えた碧雪とは、孫堅の愛馬の名で、驄という白色と青みがかった黒色が混ざったような毛並みの馬である。


 御史(ぎょし)(監察官)が乗る馬として用いられており、北方から仕入れた貴重な馬だった。


「碧雪が……」


 まるで第三者の視点で自分が見えていたかのように、孫堅はその場面だけを思い出した。

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