第九十二話 管三兄弟
「漢軍はあの峡谷を正面突破し、我々の予想よりも早くこちらに向かって進軍しています!」
西華県の黄巾賊に齎された一報に、汝南の大方・彭脱は憤懣やるかたない表情で地団駄を踏んだ。
「まさか正面突破で峡谷を抜けて来るとは。皇甫嵩なら危険を避けて迂回すると思っていたのだが、これでは予州刺史の軍と挟み撃ちにされてしまう。くそっ、仕方がない。今すぐ出撃して漢軍を迎え撃つぞっ」
西華の県城は城壁は経年劣化で脆くなっており、敵に囲まれたら持ち堪える事はできない。黄巾賊の得意とする野戦で勝敗を決するしかない。
すでに漢軍の旗が遠くで翻っているのが見える。騎馬隊を先頭に猛進してくる漢軍は、もうすぐそこまで迫ってきている。
県城に僅かな守備兵を残した彭脱は、迫り来る漢軍を迎撃する為に、全ての軍を出撃させた。
漢軍の前に立ち塞がるように飛び出してきた黄巾賊の陣に、ど真ん中から突撃していく命知らずの若き将校がいた。
左軍司馬に任命されたばかりの若き将軍、江東にその名を馳せた孫堅である。美しい驄馬に跨って勇壮に平原を駆け抜けていく。
目立つ赤い幘(頭巾)を常に被る孫堅の後には、程普、韓当、黄蓋、祖茂、といった、彼を支える若き猛将たちが付き従っている。
そして、背後からは朱治と呉景の二人がそれぞれ軍を率いてやってくる。
「ちょ、ちょい、ウチの若は賊軍の陣中に深入りし過ぎちゃいますか」
呉景は遠く先で奮戦している孫堅の姿を心配そうに見遣っている。
「徳謀(程普)さんらが付いとるさかいな。そやけど……そう言われたら、確かに心配やな。大丈夫やろか」
呉景と同じく、朱治もまた孫堅の身を案じていた。二人とも素早く馬を駆って後に続こうとしている。
朱治と呉景の心配した通り、孫堅は一人で敵陣の奥深くに猛進して行った。
「若ぁ、ワカっ! どこにいらっしゃるのですかぁ」
孫堅の後に付いていた程普すらも、奮戦の最中で主を見失ってしまったのである。
「何ぃ、ワカがおらんじゃと! どこにいったんじゃいっ」
同じく奮戦中の黄蓋も、程普が慌てているのを見て、事態の深刻さを理解した。
皆は孫堅を探しに行きたいのだが、押し寄せる黄巾賊を蹴散らすのに精一杯で、思うように動けない。
当の孫堅は自分が敵陣の奥深くに入り込んでいるとも気付かず、闇雲に暴れまくっていた。
馬上から繰り出す孫堅の長戟が、次々と賊兵を薙ぎ倒していく。
「彭脱っ、出てこいやぁ! いてもうたるで!」
孫堅は廻りが見えなくなるほど戦闘に没頭してしまい、深入りしすぎてしまうという将らしからぬ癖があった。
それが孫堅が率いる軍の精強さにもなり、また軍を率いる将としての弱点にもなり得た。
向かう所敵なしの孫堅であったが、ここで窮地に立たされる事になる。
「管三兄弟を呼べ!」
彭脱は自分の付近で大暴れする孫堅の眼の前にして、身の危険を感じずにはおられるず、頼りになる三人の男を呼び寄せた。
「ヤツを止めろっ、赤い幘をかぶっている、あの鬼神のような武者だ」
管三兄弟とは、長兄の管統字を元瑞、次兄の管承字を宋全、末弟の管亥、字を雷晃からなる三人の若者だ。背丈も体付きも顔もまるで似ていない為、本当に兄弟かどうかはわからない。
この三人は馬に乗らず、特殊な武器を手に横に一列に並び、孫堅を睨んだ。
管統は秣を運ぶ三又鋤を武器として手にしている。背は高いが細身で俊敏そうな動きをする。
管承は漁で使う網の様な武具を持ち、中肉中背で引き締まった肉体を持つ。網を振り回しつつ静かに動いている。
管亥は馬鍬(牛や馬にひかせて水田の土をかきならす農具)を長い棒の先に取り付けた武器を持つ。三人のうちで一番体格が良く、どっしりと構えて動きはない。
三人とも、いかにも農民や漁師の出自だという事がわかる出で立ちだ。
「赤い幘。アイツか。少し手こずるかもな。雷晃、俺とお前で囮になるぞ。宋全、得意の投げ網を使え」
「おうっ」
「うっし」
長兄の管統が指示を出すと三人はすぐに動き出した。
「おらぁ、こっちだっ、かかってきやがれぇ」
まずは体格のいい末弟の管亥が、大袈裟な手振りで孫堅を挑発する。威勢のいい賊が自分を挑発するのを見て、孫堅は怒りとも喜びともつかない表情を見せた。
「行ったるわいっ、そこで待っとけやぁ」
孫堅は長戟を片手に頭上で振りかざして「とぅあっ」と掛け声と共に馬の腹を足で蹴り、管亥に向かって一撃打ち込もうと突進した。
「隙だらけだぜっ」
騎馬で突進してくる孫堅の真横から、馬の腹を目掛けて急に三又鋤が突き出て来た!!管統は予め地面の草場に屈んで隠れ、孫堅を襲おうと待ち伏せしていたのだ。
「ヌゥうん、甘いのぉ」
なんと孫堅は三又鋤が馬の腹に突き刺さる寸前で、長戟を振り下ろして管統の三又鋤を弾き返していたのだ。
「バカなっ、俺の一撃をかわすとは」
管統は焦ったが、ほんの少しだけ馬の腹に刺さったのであろうか、孫堅の乗る驄馬は嘶きを響かせて前足を高く踊らせた。
「ヒィイイン」
あまりに勢いよく前足を上げるので、孫堅は態勢を崩してしまい、馬の背から転げ落ちた。
「うぉ、クソッ」
孫堅が馬上から落ちた所へ透かさず管統が三又鋤で襲いかかるが、孫堅もすぐに態勢を立て直し、間一髪で攻撃を交わしきった。
そこへ次兄の管亥が背後から現れて馬鍬の様な武器で孫堅の背中に一撃を喰らわせた!孫堅の背中は鎧で覆われていたが、衝撃で砕け散り出血が見られた。
「ぐぅう!」
だが、孫堅は怯まず腰にある刀を抜いて反撃をする構えを見せる。管亥の一撃は背中に重傷を負わせたにも拘らず、孫堅は全く怯む様子はない。
「しぶといな。宋全、網だっ、はやく網を使え」
管承は頷くと腰の袋から投げ縄のような物を出して頭上で円を描くように振り回している。
その間に管亥と管統が攻撃を繰り出し、孫堅も二人の攻撃を躱すので精一杯だ。
怪我を負った孫堅の動きは次第に鈍くなり、そこへ管承の投げた網が頭上高くで大きく開いた。
その網は孫堅の身体をスッポリと覆うと、まるで身体に絡みつくようにくっ付いてしまった。
「なんや、こりゃぁ! くっそ!」
網の中で藻掻く孫堅に対し、管統、管承、管亥の三人は容赦ない攻撃を繰り返した。
さすがの孫堅もついに力尽きて地面に突っ伏してしまった。何箇所かの傷を追いながらも、致命傷だけは避けていたのか、まだ息はあるようだ。
「止めをさしてやろう」
管統は気を失った孫堅を見て、慈悲のつもりで息の根を止めようと思った。
「待てっ」
三又鋤を両手で握りしめて、思いっきり孫堅の胸を突こうとした管統だが、彭脱から制止の合図が放たれので、突くのを止めた。
「ソイツは名のある将軍かもしれぬ。人質にしておけば何かに使えるかもしれんぞ」
「人質? そんな余裕こいてる場合か。まぁ、いいだろう、好きにするがいいさ」
彭脱がその場の思いつきで言ってるだろう事は、管統にはよくわかっていたので気に食わなかったが、言われたとおり捕らえた孫堅を縄ごと引き摺って運んでいった。
すると孫堅が乗っていた驄馬が側に寄り添ってきたので、この馬に孫堅を乗せてやったらどうか、と縄に包まれた孫堅を鞍の上に腹が乗るように置き、そのまま連れて行く事にした。




