第九十一話 峡谷
二ヶ月ほど前の四月、汝南郡では邵陵県で汝南太守である趙謙が、彭脱という渠帥が率いる汝南郡黄巾賊に攻め破られるという事態に陥っていた。
その際に、邵陵県を守ろうとした趙謙の部下七人の将が、黄巾賊との徹底抗戦で壮絶な死に様を見せつけた。
袁秘、封観、陳瑞、范仲礼、劉偉徳、丁子嗣、張仲然の七人は、先頭をきって敵陣に飛び込み、力尽きるまで戦い散った。しかし、彼らの奮闘虚しく邵陵県城は黄巾賊の前に陥落した。
壮絶な彼らの散り際を使者から聞かされた皇帝から、直々に邵陵の七賢として奉るように詔を下された。が、汝南太守の趙謙は敗戦の責を負い解任されてしまう。
趙家は蜀郡成都県の大姓(名家)で、後漢の政界に有能な政治家を輩出している家柄である。趙謙もその有能さを認められて汝南太守の任を拝したが、責務は果たせなかった。
趙謙率いる七賢たちと汝南黄巾賊との壮絶な死闘の末、邵陵県は焼け野原になるほど荒廃した。
黄巾賊は勝利を得たものの邵陵県に留まる理は無く、新たな根拠地を探して汝南郡と陳郡の堺にある西華県を攻めた。
勢いに乗る黄巾賊は西華県城を陥落させ、そこを汝南と陳郡の黄巾賊が立て籠もる根拠地として、迫り来る漢軍を迎え討つ構えを見せた。
そして六月には、皇甫嵩と朱儁の連合軍は素早い行軍で西華県にあと少しという所まで迫りゆく。
一方、曹操と曹洪は一兵卒になりすまして朱儁の軍属に紛れ込んでいた。仮の騎都尉として配属された夏侯淵が率いる羽林部隊とは離れている為に気付かれる事はない。
「兄貴、なんだって兵卒に紛れて一緒に行軍する必要があるんだよ。戦死を偽装してまで羽林軍から離れたのにさ。熱りが冷めるまで隠れてりゃいいんじゃねぇの?」
曹洪はぶっきら棒な物言いで曹操に尋ねた。
「静かにしろ。他の者に聞かれたらどうするんだ。それに……一つ、どうしてもやらなければならない重要な仕事がある。今まさに好機が訪れようとしている時なのだ。これをやらねば俺の運命を切り開く事はできん」
曹操は勇ましく前に進みながら、横目で曹洪の目を見つめながら語った。
「わ、わかったよ。イマイチ事情が飲み込めなくてな。でも、俺はいつでも兄貴を信じてるよ……」
「お前を頼りにしてるんだ。俺もお前を信じている」
「兄貴……」
軽く笑みをこぼして少し俯き加減になった曹洪の肩を叩き、静かに頷く曹操であった。
皇甫嵩と朱儁の軍は、波才を破った潁川郡陽翟県から約二百里(約一〇〇キロ)東南に進軍して、隣の汝南郡西華県に向かって行軍している。
西華県の県境に入った辺りに峡谷があり、十丈(約二十メートル)はあろうかという絶壁に囲まれた隘路を通れば最短の進軍になる。だが、ここで敵に襲われたら一溜りもないだろう。
その峡谷を先頭の皇甫嵩の軍が通過している最中、俄に四方八方から轟音が鳴り響いてきた。
汝南黄巾賊はこの峡谷の隘路(細く険しい道)で漢軍を待ちぶせしていたのだ。狭い峡谷に漢軍の前哨部隊が入り込んだ所で一斉に攻撃し、一網打尽にしようという魂胆だ。
「バカ共め。まさかこの峡谷を行軍するとはな。この時の為に用意していた策で一網打尽にしてくれる。よぉおし、石を落とせっ。皆殺しにしろっ」
黄巾賊たちは峡谷の上から漢軍が侵入してくるのを見ながら微笑を浮かべ、無慈悲な攻撃の合図を繰り出した。
絶壁の上から黄巾賊が石を落とし始めた瞬間、皇甫嵩の軍は素早く前方と後方の部隊に分かれ、後方の部隊は後方、前方の部隊は前方へと、素早く馬で駆け抜けていった。
渓谷は巨石や土砂が一斉に落とされ、砂埃が立ち上り上からも下からも視界が一時的に遮断されていった。
「砂埃が凄まじいな。どうだ、奴らは岩の下敷きになったか……?」
砂埃が舞う中で鼻と口を布で覆い隠しながら、皆で一斉に渓谷の下を見やったが、黄色い砂塵で視界が遮られて何も見えない。
しばらくすると塵芥は消え去り、渓谷の真下に落ちた巨石や土砂の残骸がその姿を現した。
あの残骸の下に漢軍兵の躯が埋まっているに違いない。黄巾賊たちはもう少しで歓喜の声を上げようと待ち構えていた、その時!
渓谷の壁にうごめく物体が無数にあるのが目に入ってきた。なんと、それは綱をよじ登ってくる大勢の漢軍の兵士たちの姿であった。
「まさかっ」
「何故だっ」
「生きているぞっ」
「この断崖を登らせるなっ」
黄巾賊たちは動揺の色を隠せず慌てふためいた。岩石で圧死していると思われた兵たちが、峡谷の絶壁を這い上がってきているのだ。
「奴ら、不死身か!?」
「こんなヤツらに勝てるワケがない……、逃げろっ!」
「皆の者っ、こ、攻撃だっ。攻撃しろぉ!」
這い上がってくる決死隊の姿を見た黄巾賊は、狼狽する者が溢れ出し、指揮命令系統が混乱した。
その間にも漢軍の兵士は黙々と絶壁を登ってきている。ついに怖気ついて逃げ出す賊もいる始末だ。
だが、逃げ出してた少数の賊たちは、直ぐさま踵を返して戻ってくるではないか。
「だ、だめだっ、もう廻りは漢軍に囲まれているぞっ。うわぁああ!」
黄巾賊たちは漢軍から逆に奇襲を喰らい大混乱に陥った。この後、峡谷にいた黄巾賊は漢軍によって殲滅された。
皇甫嵩は渓谷の向こう側で朱儁と共に高台に登り、馬上から戦の成り行きを見ていた。
「さすがは皇甫中郎将。ほんまにお見事ですわ。恐れ入りました」
朱儁の厳かな口調から、彼がどれほど皇甫嵩に心酔しているのかが良くわかる。
「いえ、貴方が黄巾賊より受けた手痛い経験を踏まえたからこそ、得た教訓を実践したに過ぎません。決して私の功などではないのです」
いかなる時でも冷静沈着、しかも謙虚さを片時も失わない。それが皇甫嵩という男なのである。
朱儁が波才の奇襲を受けた経験から、黄巾賊は奇襲や先制攻撃を得意とし、必ずこの峡谷に伏兵を潜ませていると践んでいた。
もちろん朱儁も他の諸将たちも皇甫嵩と同じ読みだったが、皇甫嵩は敢えて敵の罠があると知りつつ、峡谷を突っ切ろうと言い出した。
何故なら迂回させて時間を稼ぐのが黄巾賊の意図だと判っていたからだ。予州刺史の王允と合流する前に各個撃破するのが敵の常套策だ。
待ち伏せしている賊軍の裏を掻くために、走りに自信のある馬と兵士を前方に配置し、上から降ってくるであろう石や土砂を振りきって走り抜ける事に集中させた。
落石後の砂埃で視界が悪い中でも、断崖に縄をかけて登れるように目利きの良い兵士を後方の部隊に置いた。敵の士気を挫く為の決死の攻撃隊である。
その上で別動隊を渓谷の上に向かわせて、黄巾賊を挟み撃ちにするという策だった。
「ここまでは序の口でしょうね。この前哨戦の勢いを駆って、西華の県城に攻め入りましょう」
実直さと勤勉さで謳われた皇甫嵩という男は、一時の勝利を得たぐらいで浮かれて気を緩めるような男ではない。
「ええ。孫(堅)司馬に賊の追撃させてますさかい。アイツやったら必ず撃破してくれはります。ほな、自分もあの若武者の後に付いて行きますわ」
馬の手綱を引いて向きを変えた朱儁は、孫堅の後に続いて黄巾賊の追撃へと向かった。




