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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第九章  権謀術数
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第九十〇話  十常侍

 黄巾本拠地の冀州で快進撃を続けていた盧植の更迭に嬉々した張譲であったが、曹操の戦死で少しづつ得も知れない不安に駆られ初めていた。


 不安要素はできるだけ排除せねばならない。国家転覆という大逆を(たくら)む中、失敗した際の保身も抜かりなく(こな)さねばならぬ。


 張譲が不安の種だと定める男は、張鈞(ちょうきん)という郎中(ろうじゅう)(皇帝の御意見番)だった。張鈞は盧植の愛弟子で彼がかつて開いていた私塾の塾頭であった。


 後に政界に戻って多忙になった盧植に変わり、張鈞自身が塾長を務めた。劉備や公孫瓚も彼の教鞭を受けた過去がある。


「盧先生が反逆罪で投獄されるなど、あってはならぬ事だ!」


 盧植の失脚に(いきどお)る張鈞は即刻、皇帝に上書した。自殺に追い込まれた宦官の呂強に続いての勇気ある行動だった。


 その内容は、黄巾賊反乱の遠因を腐敗した宦官であるとし、宦官とその一族郎党が(むさぼ)る多額の徴税や賄賂が、百姓万民を弑逆する事となり、その結果として財を失い流民となった賤民が焙れて、賊徒となって黄巾の蜂起が起ったと上書した。


 これは紛れも無い事実だが、心当たりのある宦官たちにとっては心中穏やかではない。


 事前にこの事態を察知していた張譲は、前もって中常侍の十二人を集めていた。


 張讓を含め、趙忠、夏惲(かうん)郭勝(かくしょう)、孫璋、畢嵐(ひつらん)栗嵩(りつこう)、段珪、高望、張恭、韓悝(かんかい)、宋典の、中常侍十二人の有力宦官だ。


 数は十人以上いるが、人々は彼らのことを()()()と呼んで畏怖していた。


 海千山千の裏表を知り抜いた腹黒い奸臣だ。彼らが集まって話をするという事は、大きな陰謀が渦巻く時でしかない。


「皆の者よ、聞いてくれ。どうか私の言う通りに陛下の御前で、一緒に芝居を打ってくれないだろうか」


 集まった宦官たちは張譲の話を、真剣に頷きながら聞き入った。


 張鈞からの上書を手にした皇帝は怒気を放っている。張讓率いる十常侍たちを呼びつけて、上書の真実如何を問い質した。


「貴様ら、これはどういう事だ。本当なのか、この上書は?」


 呼び出された十常侍は、皇帝陛下の御前で冠や靴を脱ぎ始めた。唖然とする皇帝をよそに宦官たちは一斉に膝をつき、手と頭を床に付けて頓首(とんしゅ)した。


 特に張譲は涙声で大袈裟に謝罪し、自ら牢獄に入る事を所望した。他の宦官たちも彼に続いた。


「陛下、我等は非ぬ疑いを張鈞にかけられております。我等は陛下に対する忠義心を見せることでしか、疑いを晴らすことは出来ぬと思っております」


 そう言うと、自分たちの家財を戦時中の兵糧に使って欲しいと懇願し、親戚で兵として使える者がいたら全て戦陣の先鋒に配属して欲しい、とまで言ってのけた。


 彼らのこの行動に面食らった皇帝は、怒気を鎮めて丁寧に十常侍たちを慰撫した。


「おぬし等の忠誠は真実だ。先の件は何かの間違いであろう」


 結果として十常侍の大芝居にまんまと騙された皇帝は、十常侍の言う事を鵜呑みにして、張鈞の上書を破り捨てた。


 挙句の果てには、張鈞は黄巾賊の回し者とされ投獄、そのまま獄死してしまう。


 こうして張譲の思惑通りに事が運ばれ、不安の種を一つ一つ丁寧に取り去っていく。



 一方、波才を長社で破った皇甫嵩と朱儁が率いる官軍は、潁川郡の長社より西にある都市、陽翟に逃げ込んだ波才を、翌日の早朝には素早く追撃して殲滅を図った。


 波才はここで態勢を立て直そうとしたが、勢いに乗る官軍の猛進撃の波に押され、城に立て籠もる黄巾賊は為す術もなく陥落した。


 大敗という煮え湯を波才に飲まされた朱儁が、失態を取り返そうと怒涛の勢いで攻め立てた結果、城内に決死の突入を果たし、波才は乱戦の中で呆気無く討ち取られた。


「苦しい戦いでしたが、各地で反乱が相次ぐ中ようやく勝利を得ました。ですが、賊軍討伐はまだ始まったばかり。この勝利が追い風となるよう進軍を続けるのです」


 勝利の余韻に浸る暇もなく、皇甫嵩はこのまま進軍を続けると宣言した。それは当然の決断であり、異論を唱える者はいなかった。


 予州潁川郡の黄巾賊の反乱は、ひとまず終息を迎えたが、潁川の南方に位置する予州の汝南郡には、黄巾賊の大軍が漢室を揺るがそうと(ひし)めいている。


「孫文台とも合流でけたし、この勢いに乗って黄巾賊の残党を討伐やな」


 一度は大敗を喫した朱儁も、波才を打ち破った事で自信を取り戻し、本来の陽気さと剛気さを取り戻していったようだ。


 佐軍司馬の孫堅の活躍も大きかった。朱儁が期待した以上の奮戦ぶりを見せつけた。


 そして、行方不明になった(という事にした)曹操に代わって仮の騎都尉となった軍司馬の夏侯淵も、得意の弓術で賊を圧倒し、官軍の勝利に大いに貢献した。



 同じ頃、予州潁川郡に隣接する荊州の南陽郡から、皇甫嵩の軍に一報がもたらされた。


 雒陽から派遣されてきた新しい南陽太守の秦頡(しんけつ)が、張曼成を討ち取ったという吉報であった。


 三月、()()使()と称する張曼成(ちょうまんせい)率いる数万の黄巾賊は、南陽郡の州都の宛県を攻め落とし、太守の褚貢(ちょこう)は惨殺され、賊たちの士気は最高潮に達していた。

 

 雒陽から派遣された秦頡も、当初は宛城を攻めあぐねていた。城を包囲されていた黄巾賊は、官軍が撤退するのを待っていたが、痺れを切らした張曼成が自ら城外へと討って出た。


「彼奴らを蹴散らして雒陽に攻め上るぞ! 神上使の私に従えば勝利は間違いない。愚かな儒者を掃討し、欺瞞に満ちた碑を破壊し、虚栄と巨悪に満ちた造営物を焼き尽くすのだ! 偽りの天子が治める漢軍など恐るるに足らず!」


 神の使いを気取っていた驕りからか、張曼成は官軍が敷く陣中に突撃し、呆気なく討ち取られた。


 忍耐強く好機を伺っていた秦頡の粘り勝ちだった。だが、城内にいる黄巾賊の残存勢力は未知数で、官軍に不利な状況である事は変わりない。


 討ち死にした張曼成に代わって、副官の趙広という男が城内を再びまとめて、宛県城の門を堅く閉じた。趙広が宛県城の防衛を堅くした事で、南陽の黄巾討伐は振り出しに戻った。


「張曼成を城外にて討ち取ったようですが、南陽の宛県城は堅く、未だ膠着状態です。また、南陽の兵力は少数で、我が軍にも増援要請が届いています」


 皇甫嵩はまず、南陽での現状を会議で皆に報告した。報告に続けて諸将に自分の意図を告げる。


「南陽宛県城での黄巾賊の動きは気になりますが、南陽黄巾の渠帥である張曼成を討ち取った事で、賊軍の士気は下がっている筈です。当分は宛城に立て篭もり大きな動きを見せる事はないでしょう。それよりも危惧すべきは汝南郡の黄巾賊です。我々が波才を撃破したと知れば汝南黄巾がこちらに進撃してくるやもしれません。その前にこちらから汝南の西華県を討伐するべきです。汝南郡を落とせば予州は平定されたも同然です」


 皇甫嵩の戦略を聞いた諸将たちは大きく頷いた。


 そこへ会議を遮るように使いの兵が現れ、静かに素早く皇甫嵩に近づて耳打ちをした。


「ちょうど、予州の王刺史(しし)から、汝南に巣食う黄巾討伐の協力要請の報せが入りました。すぐにでも西華に進軍して王刺史と連携し、早期に討伐を進めていきたいと思います。皆さん、如何でしょうか」


 全会一致で皇甫嵩の案が受け入れられ、皇甫嵩、朱儁を筆頭とする討伐軍は、汝南郡西華県に向けて一斉に動き出した。

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