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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第二章  草行露宿(そうこうろしゅく)
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第九話  蘇双

 それから数ヶ月は経っただろうか。季節はいつの間にか日照ひでりの続く夏へと変わっていた。


 ゆう州での布教活動は順調ではなかったが、少しづつ入信者は増えていった。入信者に対する主な儀式と言えば、暗い小部屋で罪を懺悔ざんげをさせ、符水ふすいを飲ませるという、単純な内容であった。


 病人であれば病はえ、飢えている者は腹が満たされ、心に迷いのある者は不安が消えた。そして、御利益ごりえきが無かった者は邪心があるとされた。


 ゆう州は本拠である鉅鹿きょろくのある州の隣であり、また、飢饉や災害や異民族の襲来などが多かったせいか、入信者数が鰻登うなぎのぼりに増えていったのである。


 張世平ちょうせへいは、幽州での教団運営を中心的にまとめる役割を担っていた。大方だいほうの大集会の演説の下書きなども彼が書く事も多かった。


 半ば流民と化していた入信したばかりの信徒に農業や畜産の仕事を与え、若い男子には軍務を課して能力のある者は政務を任せた。


 中黄太乙ちゅうこうたいつの名のもとに民衆が一つとなっており、首領がその意思を操るのは造作も無いくらい狂信的な支持を得ていたのだ。


 密かに軍事訓練も行われているが、彼ら太平道が決起するその日までは、平穏に日々を過ごしていくのである。


 もちろん、幽州の州治(都)である薊では、太平道の動きを怪しむ見方も少なからずあった。だが、太平道の影響力は華北かほく地域の行政に広く浸透しており、手を下す事のできない聖域と化していた。



 張世平が幽州に赴任してから一年近く経ったある日、本拠地の鉅鹿きょろくから張世平に対してある使命を言い渡された。


 大賢良師から言付けを預かった使者は、雒陽(洛陽)に入ってとある人物に会ってきて欲しい、という任務を預かってきた事を張世平に伝えた。


 雒陽らくようといえば後漢王朝の京師(けいし)(首都を指す言葉……本来は大都市の意)で、云わずと知れた政治や文化の中心地である。


 その雒陽に行くという事は、お尋ね者である張世平にとって、まるで虎穴に素っ裸で入らされるくらいに、突飛で困難な命令に思えた。


 世平……もとい張倹は、京師でもそれなりに顔を知られた存在であったが、今の彼の顔は以前とはまったく別の人物のように変わり果てている。


 それでも、京師・雒陽に入京するのはかなり勇気のいる行動だった。


「大賢良師様は一体何故、そんな任務を私などに?」


「貴方に会いたいという人物が、京師でお待ちになられているそうです」


「私に……? 誰だね、その人物とは。私も知っている人物なのか」


「わたくし共も名は聞かされておりませぬ。高名な士大夫したいふであられるとお聞きしております。京師に着き次第、向こうで手配された仲間から打ち明けられるハズです」


 雒陽では第二次党錮(とうこ)の禁により、百人近くの清流派の士大夫が処刑され、その妻子は辺境の地に流罪となっていた。


 とはいえ、依然として清流派を暗に支持する勢力もあり、その勢力を太平道に取り込もうとする為の尖兵として派遣される、という事であろうか?


 何にせよ、荷が重い任務であるが、行かねばなるまい。この難行は多くの人を裏切って生き延びてきた清算をする意味があるのかもしれない。


「わかった。すぐにでも出発の準備をしよう。極秘なら私一人で……行く方が良いな」


「いえ、念の為、貴方の付き人を連れて行くのが良いかと思われます」


「付き人?」


「そうです。蘇士然そしぜんです」


 士然しぜん……蘇双そそうを? 極秘の任務にあんな若者を連れて行ってよいものか。しかし、彼が有能な人物である事に違いない。何より、十代にしては安心感のある青年だ。

 

 翌日から張世平は残った政務や人事を後任者に託すなどして旅支度を整え、数日後には蘇双と共に、雒陽に向けてゆう広陽(こうよう)郡を後にした。


 張世平と蘇双の二人の旅路は長い。幽州の州治(州の本拠となる都市)である薊から京師の雒陽までの道程だ。


 太平道の信徒として雒陽に向かっても特に怪しまれる事はないであろうが、旅を続ける資金を自分たちで調達しながら往かねばならない。


 任務であるならそれなりの資金を頂いても良いハズなのだが、それは許されなかった。これも修行という事であろうか。


 そこで二人が選んだのは、行商人としての生業を続けながら旅をしていくという方法だ。


 旅路の征く先々で農作物や商品を売り、仕入れ、そして、また売った。


 そこには太平道の信徒たちが持つ独自の販売経路もあり、それに乗っかって商売をしていれば自然に儲かる仕組みとなっていた。


 だが、時には盗賊に怯えながら進んでいかなければならない事もあった。その点、蘇双は非常に頼りになる存在だった。


 頭の回転も中々であるが、その膂力は人並み以上のものがあり、武勇を備えた頼もしい若者なのである。


 道中で世平は蘇双に対して、その出自や若くして太平道に入信した事情を聞いた事があった。


「幼少時の記憶はあまりありません。物心ついた時から鉅鹿の道館どうかんで暮らしていたのです。両親の顔など知るよしもありません」


 孤児……。太平道の信徒ならば珍しくない境遇である。信徒の多くは流民だったのだから。


「では、君の名を名付けたのは一体、誰なのかね?」


「私は亡き父を知る者に育てられました。その者から呼ばれていたのが私の名です。字は士然と名付けられておりました。しかし、その父親代わりだった方も五年前に亡くなりました」


「そうか……」


「『道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず』……。ご存知でしょうが、老子の言葉です。そう教わりました。まだこの深遠なる老子の言葉の意味についてよく理解している訳ではありませんが、私の名について思う時、いつもこの言葉を思い出すのです」


「ふむ。道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず」


 世平もこの言葉を聞いて自分が今、偽って名乗っている事に奇妙な因縁を感じずにはいられなかった。


 また、蘇双からも世平の境遇について聞かれた事もある。


「世平様は、元々高名な学者様であるとお聞きしました。どれほどの長きに渡り黄老の教えを学び、また説いておられるのでしょうか?」


 ギクリとした。世平は太平道の信徒となってまだほんの数年である。幼き頃より太平道の中心で育ってきた蘇双には遠く及ばないと思ったからだ。


「い、いや。私などは書を読むだけの頭でっかちで、実践が伴っておらぬ。だからこそ、このような旅を強いられておるのだろうな。ははは……」


 名を変えてからは誰にも自分の過去や境遇について語っていないし、もちろん話すつもりもなかった。


 自分なりの言い訳を蘇双に伝えたが、返って自分自身を納得させるような回答であった。

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