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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第八章  黄巾當立
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第八十六話  三人の酒宴

 夏侯淵(かこうえん)は緊張した面持ちで立ち、皇甫嵩の目前で膝をつき礼をした。


「申し訳ございません。私は、(曹操)騎都尉(きとい)羽林左監(うりんさかん)として同行した夏侯淵と申します。残念ながら……、曹騎都尉は乱戦の中で不運にも行方知れずとなりました。突撃の最中に賊に襲われ、賊もろとも火の海の中に沈んでしまったのかもしれません。騎都尉の亡骸も発見できていない状況です……」


 皇甫嵩はゆっくりと頷いて答えた。


「そうでしたか……。貴校(あなた)たちの奮戦によって我々は窮地を脱する事が出来ました。私も曹騎都尉殿がご無事である事を祈っております。もし……この戦いで彼が命を落としていたとしても、それは栄誉ある振る舞い故の仕儀といえましょう。どちらにしても今は、彼の輝かしい功績を讃えようではありませんか……」


 皇甫嵩は夏侯淵を横に座らせて、盃に酒を注いでやり、遠慮無く飲むように薦めた。しかし、皇甫嵩は自分の盃を空にしたままだった。


 それどころか鎧や兜すらまだ脱いではいない。皇甫嵩は席に座ってはいるものの、まるで自分だけまだ臨戦態勢は解いていない、といった様子だった。


左中郎将(さちゅうろうじょう)殿は酒をお飲みにはなられないのですか? まだお食事も召されていないようですが……」


 夏侯淵が質問をすると、存分に飲み食いを楽しんでいる兵卒たちを見てから、皇甫嵩は満足そうに言った。


「すべての兵士たちに食事が行き渡るまでは、先に食事は摂る事はできません」


「え……? それは、何故なのですか」


「大した事ではありません……。兵士たちの命懸けの奮闘があったからこそ、我らの勝利を皆で祝えるのです。彼らの尽力を先に労ってからでないと、私の喉が食事をとおらないのですよ」


「誠に恐れ入りました……」


 名門の家系に生まれ、数々の武名を轟かせた皇甫嵩が、こうも無垢で愚直に兵卒たちと向き合う姿は、夏侯淵の胸を大きく打った。


 そのうち、一人の使いの者が朱儁の横に立ち、小声で耳打ちした。


「今しがた、全ての兵に食事が行き渡ったそうですわ。さぁ、左中郎将殿も存分に飲まれてください」


 よく見ると席についている者は誰も飲食などしてはいない。皇甫嵩が食事を摂らないのに、先に誰が食べ物に手を付けられようか。


「分かりました。それでは私も頂きましょう」


 朱儁が大声で祝杯をあげると、ようやく皇甫嵩も盃を手に取って酒を飲み、食事を始めたのだった。そして素直に勝利の余韻を味わった。



 その頃、外に三人で出た曹操、曹洪、夏侯惇は、人目の付かない所で地べたに座って夜空を眺めていた。


「なんだよ……水臭いぜ、兄貴。そんな深妙な顔して。オレは兄貴に救われた男だ。兄貴の為なら死地に赴く事さえ厭わないさ」


 曹操は申し訳なさそうに夏侯惇を見る。外に出た三人は地べたに座り、夜空に浮かぶ朱く染まった雲を眺めながら酒を酌み交わした。


 夏侯惇は十四歳の頃、自分の師を侮辱した男を誅殺した事で、罪に問われた。


 当時は、仇討ちは絶対的な違法ではなく、むしろ肯定的な風潮があっが、夏侯惇が殺した相手は県令の甥であり、自分自身の立場を危うくした。そんな窮地の夏侯惇を救ってやったのが曹操だったのだ。


 曹操はその時に初めて、嘗ての大長秋だった祖父、曹騰の孫であるという権威を使った。大切な従弟、いや、親友でなければ曹操はそういう類の権威など使わなかっただろう。


 夏侯惇は曹操に対して、決して返すことの出来ない、と思うほどの恩義を感じたのだった。


「遠慮なく俺を死地に送り込んでくれ」


 曹操は深く目を瞑ると、重々しそうに口を開いた。


「この頼み事は命懸けの任務だ。我が一族の命運をお前に託したい。俺にとって兄弟、そして親友と呼べる男はお前だけだ。こんな事を頼めるのはお前しかいない。だからこそ、まさしく死地に送り出す事になるのが余計に辛い。やってくれるか、元譲」


 夏侯惇は盃を掲げてぐいと一息飲むと、笑って曹操に答えた。


「遠慮すんなよ、兄貴。もちろんやるに決まってるだろう、ハハハ。兄貴に親友と呼ばれて俺も鼻が高いからよ。必ず、成功させてみせるで。そんで、死ぬつもりもねぇ。必ず生きて帰ってくるさ。なぁ、子廉(曹洪)。兄貴を頼んだぜ」


 夏侯惇はポンと曹洪の肩を叩いて盃を仰いだ。曹洪も盃を仰いでから言い返す。


「任せてくれよ、元譲。死んでも兄貴を守ってみせる。元譲の方こそ頼んだぜ!」


 曹操は無邪気な夏侯惇と曹洪の言葉に少し救われた。改めて夏侯惇の前で丁寧に礼をし、彼の両手をとってさらに礼をした。


「ありがとう。雒陽に行ったらまずは何伯求殿の所を訪問してくれ。彼なら必ずや我々に助力してくれる。お前ならきっとやれる筈だ。頼んだぞ……元譲」


 曹操は夏侯惇の手にある盃へまた酒をついでやった。夜更け近くまで三人は語り合った。


 翌朝、日が昇ると夏侯惇はすぐに長社城を後にした。曹操と、曹洪は城壁の上から雒陽の方角へと去る夏侯惇の姿が見えなくなるまで見送っていた。

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