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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第八章  黄巾當立
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第八十四話  火計

 夕方になると少し風が吹き始めた。風に揺れる草の音が、風の音とともに草原に響き渡り、官軍の動きを消し去っていってくれた。


 城壁には賊軍に気付かれないように多くの弓兵を配置する。(やじり)に油を染み込ませて火矢を作った。油はこの時代は貴重だったので多くは用意できないが、火矢を作って草原に放つ手筈を整えた。


 さらに、斥候の兵が城外へ密かに出て、油を染み込ませた(まぐさ)や藁などを草原にまばらに()いていった。


 賊たちは目前の勝利に酔いしれている。歴戦の将である皇甫嵩と朱儁をあと一歩の所まで追い詰めているのだ。そこに大きな隙があった。加えて戦は経験のない素人である。


 日没と共に「やれっ」の合図が響き渡った。すると一斉に火矢が放たれた。


 草むらに火が付くと、撒いておいた秣や藁に燃え移り、一気に燃え盛り始めた。さらに斥候に持たせてある松明(たいまつ)にも火を付け、草原に囲まれた兵舎のあちこちで火の手が上がった。


 運良く乾いた風が強く吹き、草原に放たれた炎は徐々に燃え広がっていった。


 炎が勢いよく舞い上がってようやく黄巾賊たちは気付いた。


「火だっ!」


「ひっ?」


 風の勢いに乗って迫ってくる火の海は、賊の目の前に突然迫ってきた。辺り一面の炎に逃げ惑う賊たちで大騒ぎとなった。


「勢いが良すぎる! これは火計に違いない! 早く逃げろ!」


 火が猛烈に草原を焼き始め、賊の兵舎にまで火災が及んでいくと、長社城の城壁には一斉に松明の炎が灯り、銅鑼を鳴らす音が夜の空に鳴り響いた。


「よしっ、今だ! 一斉攻撃するぞっ!」


 出番を待っていた皇甫嵩と朱儁のそれぞれの本隊は城門から飛び出し、(とき)の声を一斉にがなり立てた。


「うぉおお!」


 銅鑼や太鼓の音と共に逃げ惑う黄巾賊に追撃を加えていく。


「一人も逃すなっ、徹底的に懲らしめてやるのだっ!」


 石に何重にも藁や秣を巻きつけ、縄に繋いだ武器に火をつけると火球となった。それを馬上で振り回しながら騎兵が数十騎で走って行く。


 騎兵たちは二手に分かれて、炎の海から逃げ惑う黄巾賊の逃げ場を塞ぎ、火達磨になっている球をいくつも退路に投げつけた。


「逃げ場がないっ! 熱いっ!」


「たっ、助けてくれっ!」


 退路を断たれた黄巾賊は、兵舎の周りで炎に焼かれる者、煙に巻かれて窒息死する者、そして追撃してきた官軍に討たれる者で溢れ、さながら阿鼻叫喚の火炎地獄となっていった。



 皇甫嵩と朱儁が火計で反撃に転じた頃、 曹操が率いる羽林軍の先頭にいた部隊から伝令が入ってきた。


「遠くに見える長社城の方角が明るくなっております。火の手が上がったに違いありません」


「火計だな。晴れたとはいえ、こんな湿った時期に火攻めを成功させるとは、皇甫中郎と朱中郎は聞きしに勝る猛将だ。よし、皆の者、遅れをとるなよっ」


 羽林軍は即座に行軍の速度を上げて長社に向かっていく。曹操の後について、夏侯惇、淵、曹洪も急いで馬を駆る。


 羽林左右監である苑銛(えんてん)李准(りじゅん)も、曹操の背後について勢い良く馬を駆った。


 その間、羽林左監の苑銛(えんてん)は何度か曹操の横に並んで、チラっと曹操の顔を伺ったた。


 曹操は苑銛の挙動不審な動きを察知したが、気付かぬふりして一心不乱に疾走する。


 馬上で手綱を引きながら、苑銛は曹操にある確認をしようと、曹操の駆る馬にさら近づいた。


「騎都尉殿、火炎が強くなってきている様ですね。如何致しましょう」


「何がだ?」


 曹操は戦場の方を向いたまま不遜に答える。


「いや、どういう作戦でいくのかと。まさか、このまま策もなく突っ込むだけではありますまい」


「では聞くが、張中常殿からはどういう指示があったのだ。羽林右監の李准とも色々示し合わせて何か企んでいるのか?」


 苑銛はギョっとして馬上で少し動きが止まり、思わず李准がいる方角へ目をやった。が、すぐに気を取り直して曹操に返答した。


「な、何を仰られているのか、意味がよくわかりませぬが……」


 取り繕うような苑銛の返事に、曹操は鼻であざ笑うような笑みを浮かべ、すぐに「どうっ」と手綱を引いて馬を停止させた。


 苑銛も同じく馬を急停止させると、李准も一緒に馬を停止させた。そうすると全軍の兵が足を止めた。戦場はもう目の前に迫っている。


「わかっているのだ、苑左監、そして李右監。張中常殿から私の目付け役を仰せつかっているのだろう? 遠慮する事はない。協力して皇甫嵩らを討伐するのだ。見た所、炎に巻かれて太平道の神軍が不利になっているようだが、我らが加勢すれば巻き返せるハズだ。ここは一致団結して攻め入ろうではないか」


 苑銛は馬の手綱から両手を放し右拳を左手の平で押さえると。李准も全く同じ行動をとった。


「そうでございましたか、騎都尉殿。そこまでのお覚悟だったとは。これで私も李准も肩の荷が降りました。未だ兵たちには知らせておらぬのですが、貴方が号令を掛ければ羽林兵も従います」


「なるほど。それでは最初の号令を苑左監と李右監の二人から全軍に下知してもらおう。敵は皇甫嵩であると。その後は私が音頭を取って皆に号令をかけ、一気に長社城を攻撃する」


 曹操たちの会話は戦場から鳴り響く業火が燃え盛る音や、兵士たちの怒号または悲鳴でかき消され、他の兵士たちにはまるで聞こえていない。


 苑銛と李准は曹操の申し出に頷くと、刀を抜いて兵士たちの方に向き、まずは苑銛の方から大声で下知が出された。


「全軍に通告するっ。皇甫嵩と朱儁は錯乱して自らの兵を焼き殺そうとしている。かくなる上は我らが長社城に攻め入り、この乱を平定するのだ!」


 曹操は苑銛の機転の聞いた台詞に拍手を送りたい気分だった。苑銛は兵士たちを動揺させないように長社城を攻めるように仕向ける作戦だ。


 だが、兵士たちは何故に長社杖に攻め入らねばならないのか理解できなかった。もちろん、苑銛の言う内容を聞き取れなかったという事ではない。曹操も続いて刀を抜いて全軍に号令を発した。


「騙されるでないぞっ。長社城に攻め入るなどとんでもない戯言だっ。敵はあくまで黄巾賊! 皇甫左中郎将を救うのが我等の使命ぞ。裏切り者の苑銛と李准をここで成敗致す!」


「えっ、なんでっ、グゥ、ううう……」


 夏侯惇は後ろから得意の弓矢で苑銛の背中を貫き、夏侯淵は手戟を投げ飛ばして李准の胸を突いた。


 苑銛と李准はそれぞれ血飛沫を上げながら落馬し絶命した。突然の出来事に羽林兵たちはただ呆然とするしかなかった。


「黄巾賊の裏切り者がここにまで潜んでいたとは。この二人は黄巾賊と通じて我等を長社城に攻めこまそうとしたのだっ」


 曹操の演技は大したものだが、何が起ったのか判らず困惑した兵士たちの方が多かったであろう。


「裏切り者の苑銛と李准を始末した今、夏侯惇と夏侯淵を新たに羽林左監と羽林右監に命ずる」


 兵士たちにとっては、全くもって何が何だかよく判らない状況だが、混乱を起こす者はおらず、統制に乱れはなかった。さすがは皇帝直属の部隊である。


「気を取り直して征くぞっ。燃える炎の海に乗って黄巾賊を打ち破るのだ。孫子の兵法にも火攻めの時は素早く奇襲すべしとある。皆の者、征けぇえ!」


 曹操の号令によって羽林軍の兵士たちは、戦場のすぐ近くにいる事を思い出した。


「何をしているっ。騎都尉からの攻撃命令が出ておるぞ、征くのだ!」


 夏侯惇が大声で兵たちに号令をかける。夏侯淵や曹洪も馬を引いて駆け出した。


 義弟たちの働きでようやく兵士たちも動き始めたが、戦場に近づくにつれて羽林軍らしい機敏な動きを見せ始めた。

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