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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第八章  黄巾當立
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第七十六話  党錮の解

「まてぇい!」


 皇帝は張譲の怒りを吹き飛ばすくらいの勢いで声を張り上げた。しばしの静寂が続いたあと、また皇帝が言葉を放つ。


皇甫(こうほ)左中郎(さちゅうろう)。よくぞ言ってくれた。私がこうして資銭を蓄財していたのは、漢室の有事に備える為だったのだ。遠慮せず必要な分だけ持っていくがよい。そして我に反旗を掲げた愚かな逆賊どもを殲滅してくるのだ」


「おおおお」


 南宮の会議場内が感嘆の声でどよめく。皇帝は誇らしげに皆を見下ろしている。そして、左中郎将・皇甫嵩は再び拱手行礼(きょうしゅこうれい)して頭を下げた。


「陛下の寛大なるお慈悲に、兵士たちの士気は極限まで達する事でしょう。私も陛下にお仕え出来る光栄、幸甚の至りに御座います」


 皇甫嵩は更に深く頭を下げて大きく息を吸い込んだ後、ほんの少しだけ顔を上げて言った。


「陛下から頂いた御蔭(みかげ)を前に、もう一つだけお願いしたい事があるのです。よろしいでしょうか……」


 少しの沈黙と共に張譲が顔を上げて歯噛みしたが、皇帝は何か言おうとした張譲に対して首を横に振って目で合図した。張譲は仕方なく唇を噛み締める。


「よかろう。申すがよい」


 微塵も臆することなく皇甫嵩は大きく頷いた。


「では、単刀直入に云わせて頂きます。党人たちを(ゆる)してやって欲しいのです。つまり、党錮(とうこ)の禁を解いて頂きたいのです」


 長いの静寂が訪れた後、人々の希望とも絶望とも言えぬ、歓喜と悲鳴の入り混じった喧騒が巻き起こった。


「おおっ」


「ああっ」


「ひぃいい!」


 さすがの皇帝も皇甫嵩の言葉に、動揺して顔色を強張らせてしまった。


 張譲は逆にこの状況を冷静に見ているようだった。不気味な静けさを身にまとっている。今度は張譲の相棒である趙忠が鼻息荒くして皇甫嵩に食いついた。


「党錮の獄に繋がれた罪人どもは、天下の大逆を企てようとした謀反人だっ。今度の黄巾の賊たちと何ら変わらん類の者たちだっ。党錮の禁を解くなどと、恐ろしい……それだけは許しませんぞ!」


「いいえ、皇甫左中郎将の言う通りです。今すぐ党錮の禁を解かなければ、黄巾賊と結託して陛下に牙を剥くやもしれませぬ」


 威勢よく趙忠の讒言を遮ったのは忠烈の宦官、 中常侍の呂強であった。


「ば、ばかな、だまらっしゃいっ」


 趙忠は呂強に掴みかかろうとしたが周囲の者に止められてしまう。


「落ち着けい!」


 皇帝は大声を発して趙忠を睨んだ。そして呂強に話しかける。


「以前から其方が申しておったな。具体的にどうすればよいのだ」


 趙忠に掴みかかられた怒りからか、呂強は額から血管を浮き出させて言った。


「はっ、陛下っ。まずは陛下の側近に仕える奸臣をお斬り下さいませっ」


 趙忠は色をなして叫び、唾棄しながら呂強を罵倒した。


「きいっ、奸臣なのは貴様だろうが! ぜ、絶対に許さんぞ!」


 会議の席が浮足立って収まりが効かなくなってきている。遂に、皇甫嵩の隣にいる男までが強硬に自説を主張し始めた。


「私も呂中常と同じ意見で御座います。天下の禍は外側から来るのではなく、内側から起こるものだと聞いております」


 突然の発言で会議場をさらに沸かせたその男の名は、姓は()、名を(しょう)(あざな)南容(なんよう)という。孔子の弟子に(あやか)って字を南容と変えたのだとか。


 身長は八尺(約一八五センチ)の堂々とした体格で、護軍司馬(ごぐんしば)という官職にあり、皇甫嵩の副官とも呼べる相棒のような存在だ。


「直接に陛下にお話できるのは、中常侍である我らだけだと言っておろうがぁ」


 と、吠える趙忠。その騒ぎをよそに傅燮(ふしょう)は勝手に喋り始めている。


「黄巾賊などという反乱の徒などは、所詮、烏合の衆でございます。我らが必ずや討伐してご覧して頂きます。しかし、朝廷内に蔓延る讒言、姦佞の輩を誅伐しない限り、朝廷に対する反逆は絶える事がないでしょう」


 もはや、朝堂内の混乱は収まりがつかない状況となってしまっている。北中郎将の盧植はこの混雑の収拾を図ろうとした。


「貴様らっ、陛下が落ち着けと言ったのが聞こえんのか! 傅燮よ、立場を(わきま)えろ。陛下の許可無しに物申すなど無礼千万!」


「こ、これは失礼を致しましたっ。どうかご容赦を……」


 傅燮は即座に膝を付いて深く陳謝した。続いて盧植は呂強に問う。


「呂常侍。陛下の質問に対し、速やかに答えて頂きたい」


 盧植の鐘が響くような大声に、混乱の極みに合った朝堂が一気に静まり返った。呂強もその声に我を取り戻した。


「はっ、御意。党人については陛下の御慈悲を天下を示すために大赦をお与えになるのです。党人たちも必ずや陛下の仁恵に心を改めて、陛下にお仕えする事でしょう。間違っても黄巾賊に与する事はしない筈です」


 皇帝はその言葉を聞いて皇甫嵩と傅燮の方に目をやった。


 臣下の者は公的な場では皇帝と目を合わせてはならない、というのが習わしであったが、皇甫嵩は俯向けた顔を少しだけ上げて皇帝と目を合わせた。そして小さく頷いたのである。


 その後すぐに今度は呂強の方へと目をやった。呂強の目は力強く光輝いていた。


「よくわかった。それでは本日を持って、その罪を悔い改めるという党人に限り、大罪を赦し朝廷への辟召(へきしょう)を許可する。朕の決定の前にいかなる異議であろうと一切認めぬ。わかったな」


 ここに至って十八年にわたる党錮の禁は、ついに解かれることになった。呂強は膝をついて深々と喉頭して言った。


「党錮を解き、宮中の倉と西園の(うまや)を開放した、陛下のご英断は必ずやその歴史に刻まれ語り継がれる事でしょう。これで将軍たちも後顧の憂いなく反乱軍の鎮圧に専心できるというものです」


 呂強は皇帝への賛辞を述べたあとで、皇甫嵩と傅燮の方を見て力強く頷いた。

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