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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第八章  黄巾當立
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第七十五話  朝議

 中平(ちゅうへい)元年(一八四年)三月、雒陽の南宮殿にある朝堂(ちょうどう)(政務を取り仕切る庁舎)には、皇帝を始めとした宦官、政務官、武官が勢揃いして反乱軍討伐の集議を開いていた。


 現皇帝が帝位に就いて初めての大規模な軍議である。光武帝が後漢を興して以来の未曾有(みぞう)の反乱なのだ。


河南尹(かなんい)何遂高(かすいこう)を大将軍に昇格させ、雒陽及び河南郡の守備を命ずる。そして黄巾の賊徒どもの反乱を平定する為の追討軍編成を任せる」


 朝廷では太平道の信徒を、「黄巾賊」と呼んだ。もちろん、太平道の信徒が皆、黄色い頭巾を被っていた事に起因する呼び名だ。


 河南尹とは、首都の雒陽を含む河南郡を統括する行政長官である。その河南尹の職務に就いたのが、皇帝の寵愛を受けた何皇后の異母兄、何進だ。


 字は遂高(すいこう)。端整な容姿で威厳のある顔つきをしている。南陽で巨大な肉屋市場を経営していた可一族の長である。宦官に賄賂を積んで妹(可皇后)を後宮に送りんこんだ。


 宦官は子孫を残せない身体だが、高級宦官は養子を迎える事が許されている。もちろん、張譲も義息がおり、その妻は何皇后の妹を娶っている。


「御意、陛下の御心に添えるよう誠心を尽くし、必ずや大将軍としての任務を全うさせる所存でございます」


 大将軍の任を拝命した何進はひき続いて三人の将軍の名を呼んだ。


北中郎将(ほくちゅうろうじょう)盧植(ろしょく)()中郎将、皇甫嵩(こうほすう)()中郎将、朱儁(しゅしゅん)。三公と()の推挙によって任命する」


 中郎将とは、この後漢末期において羽林(うりん)(皇帝直属の近衛兵(このえへい))を率いる遠征軍団長の事である。


 北中郎将を拝命した盧植は、劉備や公孫瓚のかつての師である。儒学に深く通じ高名な学者でありながら、蛮族の反乱の平定にも功があった、名実ともに文武両道の将軍である。


 左中郎将となった皇甫嵩もまた文武ともに優れ、若い頃からその活躍が期待されていた名将である。北地郡の太守を務めていた。


 そして右中郎将となった朱儁は、幼き頃に父を亡くし貧しい暮らしの中から身を起し、異民族反乱を平定するなどの功を上げ、腕利きの将軍として中央に召しだされた。


「北中郎将は副官として護烏桓(ごうがん)中郎将(ちゅうろうじょう)北軍五校(ほくぐんごこう)を率いて賊軍の本拠地、冀州にて渠帥、張角を打ち取るべし。左中郎将、右中郎将は共に潁川(えいせん)へ向い渠帥(きょすい)波才(はさい)を討ち果たすべし」


 三人の将軍は横一列に並び、何進の前へと進み出で一斉に(ひざまづ)く。


 そして、太平道の反乱によって殺された各州の太守たちの後任として、数人ほどの名が呼ばれてそれぞれの太守として任命された。


 何進の後ろにある段の上には皇帝がおり、奇妙だが豪華で綺羅(きら)びやかな胡床(こしょう)(折りたたみの椅子)に足を組んで腰掛けている。


「逆賊・馬元義による京師での反乱を未然に防いだが、()まわしき黄巾の賊どもが中原の各地で一斉蜂起し、この京師にいつ迫ってこようかという勢いだ。数日前に届いた情報では、南陽の張曼成(ちょうまんせい)とかいう渠帥に(えん)の県城を落とされ、太守は惨殺された」


 会議場は少しざわめく。が、何進は構わず続けて宣う。


「もちろん、城が落とされたのは南陽だけではない。しかし、張角の居座る冀州と、波才が揺るがす予州での狼藉ぶりは著しく、最も危険なのはこの二つの賊軍だ。この二つの拠点を落とすことが最優先課題であるっ。国家の社稷(しゃしょく)を揺るがすこの大事を前に、各将軍達は、皇帝陛下への忠誠を護る為、その身命を懸けて職務に望んでもらいたい!」


 大将軍・何進の演説が終わるのを見計らうように、一人の将軍が通る声を響かせつつ異論を唱えた。


「大将軍。恐縮ではありますが、一言だけご容赦お願い致します。我が軍……いや、その多くの軍が、兵卒も装備もまだ不十分にございます。身命を賭してこの反乱を収る所存ではありますが、先立つものがなければ戦う事すら出来ませぬ!」


 それは左中郎将、皇甫嵩の言葉だった。もちろん、そんな事は皆が百も承知である。雒陽が長く戦乱とは無縁だったが為に、数万程度の近衛兵しか用意されていないのだ。


「陛下の前で何と恐れ多い事をっ。下がりなさい!! 陛下に直接口を聞いてよいのは中常侍(宦官の役職)だけなのだぞっ」


 何進に替わってしゃしゃり出た張譲は、目を吊り上げて皇甫嵩を叱り飛ばした。続いて大将軍・何進も皇甫嵩を牽制した。


殿中侍衛士(でんちゅうじえいし)(近衛軍)は張角の本拠地である冀州に進軍する為、()北中郎将の北軍五校にほとんどの兵力を割いており、他の諸将以下は部曲(私兵)でもって賊軍の鎮圧に当って欲しい、と何度も通達しておるではないか。陛下の御前で泣き事を言うのは許されぬぞ」


 だが、皇帝はスクッと立ち上がり張譲と何進を抑止させて、皇甫嵩の方に向いて言葉をかけた。


「よい。朕は左中郎将の話を聞きたい。天下の大乱が起ころうとしている今、耳の痛い諫言であろうと甘んじて受け入れる必要がある。さぁ、遠慮なく何でも言ってくれ」


 左中郎将・皇甫嵩は拱手行礼(きょうしゅこうれい)(こぶし)(てのひら)を合わせて礼をする)して頭を下げたままの姿勢で自分の意見を述べた。


(しか)らば、遠慮なく私の拙意(せつい)を申し上げます。まずは、人材がまだまだ不足しております。戦略眼のある者を推挙して頂きたいのです。過去に将軍職にあった者の子孫でもかまいません」


 皇甫嵩はここでほんの少し黙り込んだ。その後、関を切ったように喋り出す。


「そして、中蔵(ちゅうぞう)(国庫)にあると言われる莫大な金銭、そして西園の厩舎(きゅうしゃ)にある名馬の数々、これらを討伐軍の兵士たちに分け与え、戦力と士気の向上の為に有意義に使わせて頂ければ、必ずや賊軍を打ち払ってまいります」


 討伐軍の諸将が集まる軍事評議会は静まり返った。皇帝の執拗な蓄財ぶりは皆の知る所であり、言ってみれば国一番の守銭奴である。


 皇帝が斡旋した売官制度で私腹をこやし続け、彼の懐には莫大な金銀財宝が蓄財されている。皇帝の個人的な庭園『西園(せいえん)』には国中から集めた数百頭の名馬が揃って飼い慣らされていた。


 そんな金の亡者が自身の財産を手放す訳がない、誰もが内心ではそう思っていた。


「左中郎将っ、無礼な。あまりにも無礼であるぞ! 態度は慇懃(いんぎん)かもしれぬが、恐れ多くも陛下の私物を提供しろなどと、言っていることは盗人の遠吠えと変わらんではないか!」


 張譲はたまらず怒りをぶちまけた。皇帝に売官の斡旋を促した張本人でもある張譲にすれば、この軍議の席での皇甫嵩の発言は許しがたいものがあった。

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