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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第七章  蒼天已死
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第七十三話  故郷

「張()さん。先程は故郷に帰ると言ったが、アンタはどこの生まれなんだい?」


 蘇双は馬を駆りながら、相変わらず不躾な態度で石真に訪ねた。


「俺を()と呼ぶ必要はない。(あざな)石真(せきしん)と呼んでくれていい。行き先は海辺だ。俺の故郷の海岸に戻る」


 具体的な場所をはぐらかされたので、蘇双は試しに石真へ聞いてみた。


卜己(ぼくき)大方(たいほう)がいる隣の倉亭(そうてい)県に合流しなくても良いのか?」


「野暮な事を聞くな、士然とやら。俺は我が道を行く。今日の出来事が俺を変えた」


 石真の言葉に嘘偽りは無いと、蘇双も確信したようで、世平と目を合わせて頷いた。そして、世平はもう一度問い直した。


「そうか。それで、キミの故郷は、どこなんだね?」


「故郷は、(せい)東莱(とうらい)郡の(こう)県。そこが俺の故郷だ」


「え……」


 世平はそう一言を吐くなり動きを止めてしまった。


「世平様、どうかしたんですか?」


「いや、なんでもない……」


 世平は老齢に似合わぬ力強い動きで、サッと馬の背に乗り込んだ。


 青州東莱郡の黄県といえば、世平が()()であった頃、最初に匿ってもらった場所であった。あの日、張倹を庇って死んでいった李篤(りとく)が眠る地である。


 運命とは皮肉なものだ……と小さく呟き、そしてすぐに「征かねばなるまい」と言った。


 東莱郡に向かう途中、世平にはもう一つ避けて通れない場所があった。今いる東郡の東隣りの郡である山陽郡である。


 ここにいる連中は誰も知らないが、山陽郡の高平県は世平の生まれ故郷であった。偶然にも、生まれ故郷が旅の道すがらにあるのだ。


 ついに自分の過去と向き合わねばならない時が来た。高平県の付近にまで辿り着くと世平は覚悟を決めた。


「実は、少しだけ寄りたい所があるんだ。君たちは先に黄県へ向かっててくれないか」


「高平に用事でもあるのか。それなら我々も高平に立ち寄ろうか」


 と石真がいうと、世平は大きく首を振って「一人で行きたいんだ、頼む」と願い出た。


「逃げるんじゃないだろうな」と石真は言うと、その言葉に蘇双が食い下がった。


「世平さんは自分からアンタに付いて行く言ったんじゃないかっ。ここまで来て逃げるワケがないだろう?」


「わかるものか。心変わりする事は誰にでもある」


 世平が二人の間に割って入るように言った。


「すまないが、どうしても一人で行きたいのだ。一日でいい。一日だけあればすぐに戻る。頼む」


「一日か……、仕方ない。ここらへんで少し骨休めでもしてるか」


 石真は渋々ながらも世平の単独行動を許し、高平県城の郊外で自分たちの部曲を休ませる事にした。


 十年ぶりだろうか。高平の県城をに入るのは。


 高平県は多くの皇族や名士を輩出する土地柄である。


 張世平……いや張倹は、前漢で趙王として名を馳せた張耳の末裔で、親友だった劉表も前漢の皇室の家系である。


 自分と劉表の二人が筆頭となり、山陽郡での「八及(はっきゅう)」を代表する人物として中原に名を響かせた。


 党錮の禁が起こる数年前、三万人近くいた(たい)学生(国立大学生)が番付を作り、清流派の名士として評されていた。


 それが、「三君(さんくん)」「八俊(はっしゅん)」「八顧(はっこ)」「八及(はっきゅう)」「八廚(はっちゅう)」である。数字は人数を表している。


「君」とは、一世一代で人々の宗師となる人物を指し、


「俊」とは、英雄の気質を持つ俊傑である人物を指し、


「顧」とは、徳行の手本となり人々を導く人物を指し、


「及」とは、能く人々を導いて宗師に倣う人物を指し、


「廚」とは、財産を投げうって人々を救う人物を指す。


 三君とされ筆頭であった竇武(とうぶ)陳蕃(ちんぱん)劉淑(りゅうしゅく)らの清流派士人たちは、宦官たちに機先を制されて獄死、自殺または逐電するなどして、政界から完全に消された。


 張倹は、宦官の筆頭だった侯覧に狙われて陥れられた。侯覧は不正と重税で人民を苦しめたが、張倹はその不正を暴こうとしたのだった。


 奇しくも同郷の朱並(しゅへい)という男が、侯覧に嘘の密告をして張倹を無実の罪に陥れた。


「張倹は同郷の二十四人を率いて反逆を企てている」と朱並が上書したのだ。


 朱並は日頃から張倹に相手にされていないことを逆恨みしており、侯覧に取り入って張倹を亡き者にしようとした。


 そこから張倹の長きに渡る逃亡生活が始まった。顔はまるで別人となり、名前も変えて当に別人となった。


 故郷の高平県に自分の一族は、もう一人も残っていないだろう、世平はそう思っていた。


 代々受け継いできた財産と邸宅を投げ打って、一族ともども逃亡の身となったからだ。


 張倹はこんな理不尽な事で一族を根絶やしにされるなど、そんな運命を受け入れられなかった。


 いつか時がくれば宦官の罪は暴かれ、自分の冤罪は晴らされ、再び一族は故郷で会えるだろう、と無謀ながらにもそれを信じた。


 侯覧が死んだ事は風の噂で聞いたが、そんな事など既にどうでも良くなっていた。どの道、自分はもう張倹には戻れない。


 張倹……と名乗っていた過去を捨てた世平は、望郷の念にかられながら高平の県城に入っていった。


 自分が生まれ育った張家の邸宅をもう一度見たかった。恐らくは無残な姿に変わり果てた邸宅を見て、ここに来た事を後悔するやもしれぬ。


 それでもその場に立てば、懐かしい日々を思い出す事ができるだろう。それが今の彼の望みだった。


 しかし、自分の生まれた邸宅の付近まで来ると、自分の予想とは少し違った風景があった。


 昔のままなのである。何一つ昔の記憶と変わらない、生活感がありありと感じられる、もっと言えば……幼少時代から青年時代までの思い出が走馬灯のように甦る、そんな佇まいが存在していた。


(誰か住んでいるのか――?)


 世平は門を潜って中を確かめたいのだが、そんな事は出来るはずもなく、ただ呆然と立ち尽くしているだけだった。

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