第七十〇話 運命
その頃、県城から西に数里ほどいった所にある砦に一報が入ってきた。
「城から逃げ出して四散した筈の県民どもが、再び県城に立て篭もって守りを固めております」
第一報を受け取ったのは王度である。
「そうか、守りを固めるのは良い事じゃないか。……ん、県城が? どこの城だっ」
「も、もちろん、東阿の県城です」
「なな、なんだとぉ」
王度は顔を真っ赤にして声が裏返るほど叫び上げた。この一報はすぐに張石真の元にも届いた。
「なにぃ、どういうことだ、説明しろっ」
張石真も顔を真っ赤にして叫んでいる。
「あのジジイの言う通りにしたからこんな事になったんだっ、すぐに殺せっ」
王度の怒りは治まらない。
「てめぇに指図される覚えはねぇ。まずお前をぶち殺してからでも構わねぇんだぞ」
張石真も苛ついて王度の胸ぐらを掴んだ。
「うぐぐ、ア、アンタが城を出るって言い始めたんじゃないか」
苦しそうに声を振り絞る王度。
「オレのせいだってのか?」
石真は掴んだ胸ぐらの手に一層力が入った。
「そうだ、アンタだっ。アンタがあのジジイに唆されて城を出たんだろ?」
自分の胸ぐらで首を占めている石真の腕を強く掴んで、王度は怒気を含み気味に言った。
「ほう、怒ったのか。じゃぁ、てめぇならどうする?」
石真はそう言うと、胸ぐらから手を離した。
「もう一度あの城を攻め落とす。今度は県民どもを逃しやない。残らずとっ捕まえろ」
いつになく真剣な目で石真に言い返す王度。それに対し、石真は意外な返答をした。
「だったら、オレの部曲(兵)を半分貸してやるから、自分で城を取り戻してみろ」
「い、いいのか、部曲を借りても」
少し戸惑いながらも返事をする王度。兵を率いた経験はないが、貸してもらえるなら使うべきだと思った。
兵法書も何冊かは読んでいるので、自分でもやれる筈だ。王度はそう自分に言い聞かせた。
「やる気になったか。また攻め上がれば、アイツらはすぐに城から逃げ出すに決まってる。お前にも少しは花を持たせてやるから、やってみろよ。ジジイはきっちりオレがケジメ取っておいてやる」
「し、しかし、半数の部曲で県城を落とせるだろうか?」
「大丈夫だ。ジジイを処刑したら、すぐに残りの部曲を率いて合流する。先手を打って素早く攻め込むんだ。わかったな」
そう言うと、石真は部下を呼び兵権の委譲を伝え始めた。
「よ、よしっ、やってやるっ。やるぞ、やるぞ、やるぞっ」
王度は自分の顔を両手でバシバシと何回も叩いて気合を入れている。
そんな王度を横目で見つつ、石真は部下に小声で何か話している。
「……るんだ、わかったな」
「……はい」
王度は石真が何か企んでいる事に気付いてないようだ。
早速、王度は号令を発し部曲を率いて県城へ向かった。石真は王度が出陣したの見届けると、世平を呼び出して話を聞く事にした。
「あのジジイを砦の上まで連れてくるんだ」
部下の一人に怒鳴るように命令を下す石真。砦の上に一人登って行き、世平が来るのを待った。
すぐに世平は石真の目の前に現れたが、人払いをするように部下たちに命じて人を遠ざけた。
「世平。貴様、何を企んでいる。こうなる事を予測していたんだろう。ここでぶった斬ってやってもいいんだが、話の次第によっては助けてやらんこともない」
世平はいつものように、ゴツゴツした顔の奥にある瞳から石真を涼しげに見つめている。
「煮るなり焼くなり好きにしろ。言い訳はせん。だが、私の目的は……君等を救う事だった」
石真は刀を抜いて刃と反対の峰を自身の肩に置いた。
「冗談は顔だけにしとけよ、ジジイ。どういう意味だ?」
「私の話を聴くつもりがあるなら、真剣に受け止めて欲しい。今から私が話す事を」
「ふん、早く言え。手短にな」
「それでは、単刀直入に言おう。太平道の一斉蜂起は最初のうちは優位に進むが、後に終息に向かうだろう。そう、太平道はいずれ滅びる」
石真は刀を手にしたまま腕を組んで世平の話を聞いている。
「私は夢の中で中黄太乙より啓示を受けたのだ。大賢良師からは太平道の後事を託された」
「馬鹿々しい。そんなくだらん話を信じろと? それより、俺たち救う為だっ、てのはどういう意味だ」
「この程度の勢力では県城に立て籠もっていても守り切る事はできぬ、というのは張方殿も承知しておられたのではないか。また、城外におれば、攻めこまれたとしても逃げれば済む話だ」
最初は呆れたものの、後半の言葉は世平のいう通りだと石真は思った。とはいえ、彼の言葉をすんなり受け入れるのは癪に触る。
「現に県民どもは県城に戻って守りを固めている」
「今さら城などどうでも良いだろう。お宝は好きなだけ頂いたんじゃないのか? 今、戦えば双方ともに被害を大きくするだけだ。私と共に新たな黄天の地を求めて旅にでようではないか」
石真は刀を鞘に収めて、王度が率いる行軍を眺めながら話始めた。
「確かに、今さら県城を攻めた所で旨味はもうないな。そもそも太平がどうだ黄天とか、どうでもいい話だ。ただ、飯にありつければ何でも良かった。服も住む所もねぇ、食うにも困る連中を養うのがオレの役割だと思っていた。王度の手引きで手に入れた城だが、俺が求めていたのはそんなんじゃねぇ。だが、アンタに出会った事で何か運命が変わっていくように思えた。アンタ、本当は何者だ?」
世平は少し頷いて石真に話かけた。
「やはり、私とじっくり話がしたくて、王度に無理やり兵を貸して人払いしたのだね。君はただの盗賊まがいの男ではないと思っていた。だが、私はまだ自分の腹心である男にさえ真実を打ち明けておらぬ。ましてや、王度は少数とはいえ、軍勢を引き連れて県城に向かっている。あの男を連れ戻してから話がしたい」
「そうか。言っておくがアンタを信用した訳じゃねぇ。県城から何か不穏な動きがあれば躊躇なく切り捨てる」
石真は鞘に戻した刀を、もう一度抜く素振りを見せた。
「よかろう。では、残りの部曲を率いて、はやく王度の後を追おう」




