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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第一章  望門投止(ぼうもんとうし)
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第七話  張世平

その夜、本堂の奥にある中規模の祭壇のある部屋で、張角、張宝(ちょうほう)張梁(ちょうりょう)の三兄弟らと八人の高弟、そして首脳陣である道士十数人が集まり、幹部会議を開いた。


 張倹も幹部の一人として招聘(しょうへい)され、他の幹部らと共に円を囲んで正座している。まだ張角はこの会議部屋に到着していない様子だ。


 この状況をよく飲み込めていない張倹は不安そうに周りを見回していた。よく見ると遠隔地に派遣される八人の高弟の一人として、あの張霊真が正座しているではないか。


 数日前に出会い、霧のように消え去ったあの男である。


「あっ……」という表情を声もなく顔に出す張倹。しかし張霊真は「そ知らぬ振りをしろ」と言いう風に目配せを飛ばし、そっぽを向いた。


 霊真の態度に対してどうしたらよいか分からぬ張倹は、仕方なく辺りを見回すなどして挙動が少しそわそわしていた。


「どうした、元節。落ち着かないのか?」


 背後から突然聞こえて来た声にまたも驚く張倹は、後を振り向くが人の姿も気配もなかった。


「大賢良師様っ」という掛け声と共に全員が一斉に起立したので、慌てて振り返り一緒に立ち上がり、皆が拝礼すると一緒に両手を袖に入れて胸の前で合わせ、頭を深く下げて拝礼をした。


 まるで疾風の如く颯爽と会議の場に現れた張角に、全く気付いていなかった張倹は、彼が後ろから話しかけた事を後で察したのだった。


 大賢良師こと張角は、両手を大きく広げて仰々しく「皆、楽にしてくれ給え」と、清々しい声を響き渡らせた。


 張角の言葉を聞くと、一同が一斉に「はい。お気遣い有難う御座います、大賢良師様」と返答し、すぐに顔を上げて着座した。


「今日は特別に皆に紹介したい人物がいる。そこにいる彼こそが高名な張(倹)元節殿である。山陽の東部督郵(とくゆう)であり八及(はっきゅう)と謳われた大人物だ。宦官に陥れられ野に下っていた所を匿った。彼は太平の道を切り開く同志である」


 再び一同が起立して両手を合わせ、張倹に向かって軽く頭を下げ、礼が終わるとすぐにまた着座した。


 張倹も遅れて腰を上げ、皆に向かって同じように揖礼した。


 今日の張角が見せる表情には神々しさはあまり感じられず、張倹にとっては邪念のようなものさえ浮かんで見えた。


「これから十年かけて太平道は中原の地を黄一色に染め直す。三輔(さんぽ)(長安一帯を指す地名)で名を馳せた駱曜(らくよう)は、緬匿(めんとく)法で民衆を(なび)かせ手懐けたようだが、所詮は奇術の(たぐい)でしかない。 天地を奉じ五行に従う我等の法は、人々を病や災難から救い出し、人の生きる道を示し導き出す。これを世に浸透させる事が、我等の使命である!」


 張角の放つ言葉は明朗闊達(めいろうかったつ)、例え暴言を吐こうとも崇高で尊大な言葉に聞こえるだろう。さっき張倹が感じた邪念の事はすっかり忘れていた。


「それでは本題に入ろう」


 張角が右手を上げると大きな布を持った道士がニ、三人背後から現れて、大きな卓の上にその布を広げ始めた。


 一(じょう)(約二平方メートル)ほどの大きな布には地図が描かれており、()(せい)(じょ)(ゆう)(けい)(よう)(えん)、予の八州に印が赤い文字で記されている。


 八つの州ごとに道帥(頭目)を送り込み、民衆から選出して軍を組織して、国家転覆の計を算段するという壮大な計画である。


 冀州を本拠地として、青州には管宗(かんそう)、徐州には唐周(とうしゅう)、幽州には程炎(ていえん)、荊州には張曼成(ちょうまんせい)、揚州には馬元義(ばげんぎ)、兗州には卜己(ぼくき)、予州には波才(はさい)


 布石は打ってあり、八つの州は太平道の教えが知れ渡っていた。古くからある黄老道から派生した新興宗派は広く医療を心得ており、飢餓や疫病に苦しんだ民衆が希望を見出すのも当然であった。


 軍事的な大規模革命を目論でいる新興宗派の教団に入信して、朝廷に反旗を翻す為の片棒を担ぐなど、張倹には後ろめたい心地だった。


 だが、此処まで来て引き返す事は出来ない。社稷の腐った漢帝国より貧困に喘ぐ民衆を救うには、この政変を実行し成功させ政権を執らなければ、という思いに変わっていた。


 民衆を救う事でこれまで自分が犯してきた罪、家族、師、友を裏切ってきた罪滅ぼしが出来ると、そう信じた。


 八人の高弟達は次々とそれぞれの州の方面長に任命されていく。方面長を「方」と呼び、大賢良師から太平径の伝導を許されその州における全権を与えられる。


 方とはすなわち医を意味し、人を救い世を救う医者として、その意味を与えられている。


 道士には数人の軍吏(ぐんり)(将軍)が随行する。軍権を担い、民衆から兵卒を選抜(えりぬ)き、鍛え上げる。すでにこの鉅鹿(きょろく)には数千人規模の軍団が組織されており、軍団そのものも「(ほう)」と呼んでいた。


 地元州郡の政管組織はこの軍事組織を恐れたが為に太平道に深入りできなかった。もちろん、太平道信者が地元の政界に早々と浸透していたという事情もある。


 そして一万人の信者を従える軍団は「大方(だいほう)」と呼ばれ、各州の方面長としての役割を与えられた。


 大方には軍吏の他に数十人規模の有能な道士も同行する。太平道の他州への入植準備計画の態勢は万全といえる状況であった。


 揚州方面長である大方には馬元義(ばげんぎ)という大方が任務に当たる。彼の司方(副司令官)として張霊真が着いて行く。


 張倹は幽州の大方に同行する道士の一人として選出された。後に知る事となるのだが、張倹はそれぞれの州の監査役として各地を回る任務を秘密裏に与えられた。


 その秘密任務は別として、任務に対して意外なほど抵抗感がなかったのは、この宗教に心底に帰依したから、それとも民衆の為に働ける喜びを感じたからであろうか。


 だが、張倹には一つだけ心配事がある。それは自分がお訪ね者であるという事だ。政界で活躍していた名士であり、今は追われる身である。逃亡中に風貌は少し変わったであろうが。


 会合は滞りなく延々と続きようやく終了した頃にはすでに外は暗くなっていた。


 自分の帳に帰ろうとした矢先、またも煙のように現れた白髪で短い髭を蓄えた男、張霊真に出会う。


「待っていたよ……」


 普通なら驚く所だが、張倹はもう慣れっこになっていた。


「貴方は大賢良師とは違う何か特別な能力を持っているのですかね?いつも不思議な雰囲気を纏っていますね」


「ふふふ、面白い事を言うな。彼からは色んな事を教わったよ。とても大事な事だ。元節……もいずれ解る」


「それはそうと、霊真どの。貴方がここに来たのは……」


「お節介をしに来たのさ。ふふふ。心配事があるのだろう?」


「やはり、貴方は人の心が読めるのですね」


「そうではない。誰だって心配事の一つや二つはあるだろう。相手の心情を察して先読みをするだけだ。何を欲し、何を嫌い、何に心を寄せるのか。例えば、相手の為を思って善意で行った事でも、相手がそれを望んでいなければ、その人にとっては余計なお世話でしかない。誰かを思いやり誰かの為に何かをしようと思うならばまず、相手の気持ちを汲もうと努めるのが先決であろう」


「それが、(タオ)……で御座いますか?」


「道とはこの宇宙の様に果てなく尊い。我々が知り得るの事柄など極僅かな範囲でしかないだろう。さて、君の心配事だが今見る限り、それほど気にする必要はないと思うな」


「それは何故でしょうか?」


「こちらを見給え」


 張霊真はたまたま近くにあった水溜りを指差した。張倹はゆっくりとその水溜りを覗き込んだ。


「なんと醜い……」


 月明かりが水溜りに反射して照らし出された自分の顔を久しぶりに見た。水溜りには、顔が崩れたまるで岩石の様に歪な形の顔が映っている。


 しかも髪や髭は真っ白になっている。なぜ今まで気づかなかったのだろうか?


 逃亡中に馬上から放り出され顔面を強打したことが原因なのだろうが、張倹はすっかり忘れていた。


「自分では気付いてないと思っていた。その顔なら例え旧友であろうと素知らぬ顔をするであろう」


「なんと……これでは息子や弟に再開したとしても……」


「君の息子なら自分の父だと判るさ。それは心配しなくとも良い。その様な風貌になったのも宿命だろう」


「宿命……。それは一体?」


「君には常人にはない特殊な力が秘められている。大賢良師が君を助けたのも君の持つ力に導かれての事だ。君の持つ力が宿命を背負わせた」


 そういえば、治療と看病をしてくれた道士も同じ事を言っていたが、張倹には意味がわからなかった。


「とりあえず、字も変えなければならんなぁ。お尋ね者だからね、君は。そうだな、例えば……世平、っていうのはどうかね?」


「世平……、張世平」


「そうだ。世平だ。どうかな?」


「はい、ありがとうございます。この名を大切に使わせて頂きます」


「それでは、私はもう行かねばならぬ。また、会おうぞ、世平」


 張霊真はまた闇の向こうへと溶け込んで行った。先程までしていた会話は現実だったのか、ふと自分に問い直すほど妖しい時間だった。


 しかし、この日から張倹こと張元節は、自分を張世平と名乗るようになる。


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