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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第七章  蒼天已死
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第六十八話  追い込み漁

 あくる日の早朝、山の麓には薄っすらと靄がかかっていた。薛房(せつぼう)は寝静まっている数万人の県民たちの前に立ち、大声で何か叫び始めた。


「起きろ――っ! みんな起きるんだーーっ!」


 薛房の雷鳴のような大声が響き渡り、多くの者たちがびっくりして目を覚ました。


「なんだっ、なんなんだ?」


 皆は、寝ぼけ(まなこ)で薛房を見るが、まだ状況が理解できない。一体何を叫んでいるのだろうか?


「賊だっ! 賊が攻めて来るぞっ!」


 ()()()()()()()、その衝撃的な一報は、残りの寝坊助たちの目を一斉に覚ませた。


 (にわか)にざわめき始めた山の(ふもと)だが、それでもまだ逃げ出そうとする者はいなかった。


 しかし、一人の男が山頂の方を指差して何か言い始めた。


「上だっ、上を見ろっ」


 その言葉に皆が一斉に山の頂に向かって顔を上げた。


 (もや)が掛かっていてハッキリと見えないが、松明(たいまつ)を手に持ち旗を掲げた騎兵が数十騎ほど見えた。


「うああっ、賊だぁ!」


 大きく銅鑼(どら)を打ち鳴らしながら山の頂きから騎馬が駆け下りてきた。


「賊だっ、賊が襲ってきた! 逃げろっ」


 緩やかな坂とはいえ、山から下り降りる速度は疾風の如くである。


 数十騎の騎馬は、混乱する東阿の県民たちの隙間を縫って走り抜けた。


「もたもたするなっ、我らの後に着いてくるんだっ。賊は我らのすぐ後ろにいるぞっ!」


 走り抜けた騎馬隊はそう叫びながら走っていく。どうやらこの騎馬隊は賊ではなく、賊が急襲してきた事を知らせる為の尖兵隊(せんぺいたい)だったのだ。薛房は大声で叫んで県民達に逃げることを促した。


「黄巾賊はすぐそこまで迫ってきているっ! あの騎馬隊に付いて逃げろっ!」


 そう言いながら薛房も走りはじめた。慌てふためく県民たちも訳もわからず数騎の騎馬隊の後を追って走りはじめた。この騎馬隊は薛房の直属の兵士で、生え抜きの戦士でもある。


 騎馬隊が向かっているのは、県民たちが逃げてきた県城の方向であるが、県民たちは慌てふためき、どちらの方向かは判っていない状況だ。


「逃げろっ、逃げろ! はやくっ! 後ろから賊が迫ってきているぞっ」


 数万人の県民たちが砂埃を大きく巻き上げながら、ほんの数騎の騎馬の後について県城に向かってひたすら走り続けた。


 誘導する為の騎馬隊だけでなく、賊に扮した騎馬隊も背後から仰々しく追撃させている。


「上手くいきましたねっ、仲徳殿。まさに追い込み漁ですなっ」


 馬を勢いよく走らせながら後ろを振り返り、程立の顔を見る蘇双。程立は幼き頃より育った近くの川で、追い込み漁をしながら育っていったのだった。


 川幅の狭まった所に網を張り、上流から竹竿などで水面を叩きながら魚を誘導し、網にまで追い込んでいく。


 張った網のように県城まで県民を連れ戻すには、牽引する誘導役と、賊に扮した追い込み役が必要だ。


 県城に賊がいるのも忘れて(実際にはもぬけの殻になっているが)、必死の県民たちは県城の方向に向かって走り続けた。


「まだこれからだっ。気を抜いてはいかんぞっ。俺たちが先に内側に入って城門を開く。そこに県民たちをうまく誘導して、県令を助け出すんだ。だが、本当の勝負は城を取り戻してからだがな!」


「県令は無事なのですか?」


「無事だ! 俺は薛房を信じているっ。県令が生きていたとなれば、県民たちの士気を取り戻せる!」


 程立は馬を駆りながら振り返り、背後から追ってくる県民たちを見た。


 県民たちと馬の距離はどんどん開いていく。自分たち騎馬隊は城内に突入する尖兵でもあり、先に県城の城門を開いて、速やかに県民たちを入城させなければならない。


 ここでモタつくと、本物の黄巾賊に見付かり、背後を狙わる恐れもある。とはいえ、賊軍も城門を開けっ放しで出て行く訳がない。おそらく少数の守備兵を残して城門を閉ざしているに違いない。


 程立は県城の様子を外側も内側もくまなく状況を把握できている。東にある裏門の付近は城壁が崩れている所も多く一番侵入しやすい箇所だ。


 そこを目指して一気に駆け抜けていく。もうすぐそこに県城が目の前まで迫ってきていた。


「いくぞっ、城壁を登って突入するんだっ。崩れている部分が一番登りやすいぞっ」


 数十騎の騎馬隊は目的の県城の東側に辿り着いた。裏門付近の壁が崩れた登りやすい場所だ。しかし、程立は一つだけ皆に言ってない事があった。


 それは……壁が崩れやすく、かなり危険であるという事だ。だが、切迫した状況の中でそんな事を教えた所で、皆の士気を挫くだけだ。


 馬を降りた程立は真っ先に城壁に近づき、二、三丈(五、六メートル)ほどの壁をよじ登り始めた。それに続いて蘇双や他の者たちも同じく城壁を登りだす。


 当時の城壁は版築(はんちく)と言って、砂利や(あし)などを混ぜた黄土(の粘土)を突き固めた土塁で出来た城壁がほとんどであった。


 黄土で作る版築はかなり頑丈で、城壁を建造するのに非常に都合が良かった。とはいえ、雨水の浸蝕などで老朽化すると崩れやすく、そこから侵入し易い場所ができる事もある。


 程立は初老で長身という一見すると壁登りには不利な条件が揃った肉体の持ち主だが、意外にもその動きは素早く、しかも力強い動きで崩れた城壁の隙間を長い手足を駆使して登り切った。


「あの巨体で、なんて身軽さだ……。しかも一息で登りきったぞ!」


 蘇双は策士でありながら豪胆な程立の一挙手一投足に感心せざるをえなかった。

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