第五十七話 発覚
時は、年号が変わったばかりの中平元年(一八四年)二月。封諝は久しぶりに南宮に参内していた。南宮は正殿であり、政務を取り行う施設である。
多くの宦官や士大夫が宮中に参内していた。第十二代皇帝・劉宏は奇妙な折りたたみの椅子に足を組んで腰掛けている。
その折りたたみ椅子は胡人(西方民族、特にペルシャ系民族を指す)が好んで使う椅子であり、装飾も胡人特有の妖しさが醸しだされていた。
今上皇帝は異民族である胡人の衣食住の文化を好んで用いていた。服装や生活器具、その他の嗜好まで胡式の物を普段から愛用し、庶民までもが皇帝を真似て京師の流行は一変したという。
この時代、椅子に座る習慣は浸透しておらず、正座して座るか、公儀の場でなければ胡座をかくが一般的だった。新しい物好きで、舶来文化を好んだ皇帝だ。
皇帝の座る胡床(腰掛)は数段しかない階段の上にあり、中常侍という官職の封諝は、腰を低くして早足で駆け登って行った。そして皇帝の手前の階段でひれ伏し、一通の書簡を手渡した。
「この度、私と徐中常が招き入れた済南の士大夫で、唐周という者を推挙したく思い、彼からの上表文を預かって参りました。上質の左伯紙に書かれた書簡でございます」
皇帝は胡床に座し足を組んだまま、その書簡を受け取った。左伯紙は当時の最新技術で改良された紙だ。
以前より紙そのものは存在した。材質が粗雑で紙の厚さも不均一、包紙として使わていたが、文筆に耐えうる実用的な紙を開発したの蔡倫である。
その蔡倫の弟子である左伯が改良した左伯紙はさらに上質で、書道家に愛されていたと言われている。
「ほう、左伯紙か。これはまた素晴らしい紙だな。まぁ、とにかく早く会議を終わらせて、西園の離宮でまた商売の続きをするぞ。徐中常も北宮で用意して待っておるしな」
皇帝である劉宏は事もあろうに、後宮の北宮殿で下女達に模擬店を開催させ、自分も商人の衣装に扮して商売や盗人の真似事をして遊び呆けていたのである。
「まぁ、まぁ、この唐周という男もまた、大金で官職を買いたい輩の一人でして。へっへへ。上書文を読んでやって下さいませんか?」
封諝が小声で耳打ちする様に言うと、皇帝の眉がピクっと動き、組んでいた足を直して、自ら書簡を受け取った。
「それならそうと、何故早く言わぬ。どれ、少し読んでみるか」
邪険にしつつも少しニヤついた顔付きで、その書簡に目を通している。しかし、にわかに皇帝の顔が曇り始めたではないか。
「ん、んん? な、なんだとぉお?」
突然、皇帝は胡床から立ち上がり、色をなして怒声を上げた。そして、その書簡を封諝の顔に叩きつけた。
「貴様ぁ! 朕を愚弄する気かぁ!」
普段は大人しく覇気のない皇帝だが、この時ばかりは怒髪天を衝く勢いで目の前の宦官を捲し立てた。
「ここに書かれているのは、なんだ! 太平道の張角が反乱を起し、馬元義がこの雒陽に招き入れて混乱させ、我が漢室を崩壊させる手筈が書かれてあるぞっ。今年の三月五日に蜂起すると明記されている! 封中常!」
真っ青な顔で身動き一つ出来ないでいる封諝は、急いで地面に落ちた書簡を拾い上げ、大汗を掻きながら上書文に目を通した。唐周から預かったはずの上書は、いつの間にか太平道の一斉蜂起を促す密書にすり替えられていたのだった。
「ひっ……。まさか、こんな、何故こんな密書がここに?」
「しらばっくれるかっ、貴様っ!」
狼狽する封諝の顔面を思い切り蹴りあげてふっ飛ばし、落ちた書簡を拾い上げて歯ぎしりをしている。ここまで荒ぶった皇帝の姿は今まで誰一人として見た事がない。
「コイツをひっ捕らえろっ! 徐奉と馬元義も探しだしてひっ捕らえろ! そして、唐周という男をここに連れてこいっ」
宮中内は騒然としている。いつも無気力なあの皇帝が怒声を張り上げ、謀反が発覚したと喚いている。騒然となるのは当然だろう。
と、そこへ張譲が遅れて駆けつけてきた。
「これは一体……」
封諝は血だらけの顔面を手で抑えながら、皇帝に平伏して命乞いをしている。
「陛下……如何なされました」
遅れてきた張譲を睨みつける皇帝。そして張譲に書簡を投げつける。
「張中常! これはどういう事だ、よく読んでみろっ」
張譲は素早く書簡を拾い上げて目を通してみる。しかし、彼の顔色はまったく代わりなく、淡々と書簡の内容を読み上げ始めた。
「 蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし、歳は甲子に有りて、天下は大吉となる……。こんなモノは嘘っぱちでしょう。私には子供騙しにしか思えませんな」
「朕を子供扱いするのは許さんっ。朕は全て知っておるのだぞっ。先ほど読み上げた文を謳った落書きが、この都のあちこちの壁や門に書かれていた事を! 都合の悪いことはすべて、この朕に隠しておったのだろう?」
宮中が騒然として騒めく中、張譲は至って冷静な立ち振舞いである。
「党人たちが謀反を企んでいると言うから、やむえず禁錮や処刑を下してきた。だが本当は、党人らこそ国士だったんじゃないのか? 逆に宦官の封諝や徐奉こそが、張角と通じていたではないか。満足のいく答えが返ってこないなら、たとえ張中常といえどもタダでは済まんぞ!」
皇帝は声を荒らげて言い放った。張譲ら宦官に対してここまで怒りを露わにした事はなかったかもしれない。




