第五十四話 贈り物
「兄貴……。雲長。いつまで待づだ? どうせ来ねぇべよ。あいづらの言うこたぁ信じるなんざお人好し過ぎんぜ」
張飛は地面に寝っ転がり肘をついて手に頭をのせている。確かに、戻ってくるのが少し遅い気がする。
「まだそんなに時間は経ってないだろう? お前はせっかち過ぎるんだよ」
関羽は劉備と共に立って出迎えようとしている。座って待つのは礼儀に反すると思ったのだろう。
「そもそも、馬や武器を他人にくれでやる奴なんているわげねぇべ」
「どうせ俺たちにはまだ行くあてもないんだ。時間なんて気にする必要はないだろ」
関羽と張飛のちょっとした押し問答をよそに、劉備は相変わらず無言で待ち続けている。
そのうち、遠くからかなりの数の馬を引き連れて蘇双が戻ってきた。
待ちくたびれて不貞寝をしていた張飛は、首を上げて起き上がりだす。
「おお? 本当に馬を連れてきやがったでっ」
「どうせ来ねぇだろう、とか言ってたくせに何だよ、その態度は」
張飛の驚きように関羽は皮肉をこめながら苦笑した。劉備の表情は変わらずである。
蘇双は馬を連れてきた数人の従者を、先に世平の所へ戻るよう小声で促した。
(――山賊に脅されて身ぐるみ剥がされるだろう。俺がなんとかするから先に帰ってくれ――)
従者たちが逃げるように去って行くと、蘇双は百頭ほどの馬を劉備に引渡した。馬にはそれぞれ一頭づつに、防具と武器を入れた皮袋を載せてある。
「世平さまの言い付けで戻って来たんだ。この馬や武具をすべてアンタ達に引き渡す。もちろん、無償で……」
「本当によろしいのですか、こんなに多くの馬や道具を。せめて世平殿にもう一度ご挨拶だけでも」
「世平様がアンタの目の前にいると、受け取りつらいだろうから、と言ってわざわざ私に用事を託したのだ。四の五の言わず、とっとと持っていけよ」
張飛は訝しげに蘇双の方を向いていたが、彼に近づいていき頭を下げて礼を述べた。
「玄徳兄貴に対するおめぇの態度は許せねぇが、ここでおめぇをブチのめせば兄貴の顔に泥を塗っぢまう。それに、オイラもおめぇに無礼な態度をしだのは認める。だがら、士然。これは全部、有難くもらっとく」
ふんっ、と鼻を鳴らした蘇双は、相も変わらず突っ慳貪な口調で張飛に言い返す。
「お前に丁度良い武器がある」
蘇双は馬にくくり付けていた、かなり長い白布を、重たそうに持って降ろした。
「それを扱えるか? 益徳とやら」
「ああ? なんだこりゃあ、矛か? えれぇ長えな」
白い布がするりとほどけて、黒光りする長い柄の槍のような武器が肌を露わにした。その長さは一丈八尺(四メートル)もある。明らかに常人では扱いきれない長さだ。
金属で出来た長い柄の先端は、刃先が二つに割れて、蛇の舌のようである。
「すんげぇ。こんな矛、見だごとねぇ」
「蛇矛と呼ばれている。儀礼用に特別に作られた巨大な矛だ。儀礼用とはいえ、その刃先の切れ味は保証する。今までこの矛をまともに扱えた奴はいない。いや、使おうと思う奴がいなかったのだ」
蘇双の言葉を聞く素振りも見せずに、張飛は巨大な蛇矛にジンマリと見入った。
蛇矛は後漢時代には存在していなかったとされていたが、近年の考古学によって当時から存在していたと見る向きが強い。
張飛は異様な長さと重量感のある蛇矛を、難なく片手で持ち上げて二、三歩下がると皆に向かって言った。
「てめぇら、オイラの側に寄んじゃねえど」
そう言って人払いをすると、風切音をびゅんびゅんと鳴り響かし、高速で剣を振り回した。
その華麗な矛さばきは、関羽のそれに劣らない、いや、それ以上の鮮やかさかもしれない。まるで突風が巻き起こる如き豪快さ、剣に反射する光が荒々しくも滑らかに輝く派手やかさである。
「この巨大な蛇矛を……あの重量の武器を片手で軽々と扱えるとは。なんという凄まじい男だっ」
蘇双は試しに持たせてやったものの、張飛の手に馴染んだ巨大な蛇矛を見て感嘆せずにはいられなかった。
「こいつも貰っていいのか?」
張飛は振り回していた蛇矛の動きを止め、まじまじと刃先を見ながら言った。
「ああ、どうせ、お前以外の人間には扱えないだろうからな。使わなければただの置物でしかない」
ずっと黙ってみていた劉備が、蘇双に近づいて深々と頭を垂れた。
「本当に頂いてもよろしいのですか。感謝のしようもないし、どうお返ししたら良いのか検討も付きませぬ」
蘇双も改めて深くお辞儀して、返答した。
「これは張世平様の御意志です。私には理解できない事ですが、私の主の御意志に従うまでです。貴方なら世のため人のために、有効に使って頂けると仰っておりました。それでは、これで…」
蘇双はそう言うともう一度お辞儀をして、さっきの従者が逃げ帰った方向へ去って行った。
そこにいた大勢の者たちが唖然としていたが、蘇双のさり際にはしゃぎ始めた。
「やったぁ! 武器だ!」「馬だ! 俺のもんだ!」「金目のものばかりだぜ!」
「静まれいっ!」
蘇双がびっくりして振り返るほどの大喝した声が響いた。
声の主は劉備。劉備の大喝に、辺りは一瞬にして静寂が訪れた。
「感謝の意を込めて、世平殿に礼をしろ。それが出来ぬ者は、俺の部曲として迎え入れぬぞ」
皆は一斉に両膝を地面に付けて蘇双に向かって頭を下げて礼をした。もちろん、その遠く向こうにいるであろう世平に向かっても。
劉備とその部曲は、去っていく彼らの後姿に改めて深い感謝の念をこめて頭を下げた。




