第四十四話 評
「迫り来る乱世を平定し、民を安んじ国を治め、漢室を新たに再興できるのは、君をおいて他はない」
「えっ?」
何顒と曹操は同時に、歩みを止めて向かい合った。
「何を根拠にそのような……。ましてや漢の再興だなんて」
「大法螺吹きだと笑うか? 言っておくが、私にも許子将と同じように、人を見る目がある。あの男は好き嫌いで人を見る傾向があるが、私は違う」
許子将とは、月旦評で有名な人物評の大家である。曹操を「治世の能臣、乱世の姦雄」と評した許劭だ。
「あなたの見る目が確かだったとしても、私にはそんな力があるとは思えません」
「もちろん、君一人ではその覇業を成し得る事はできない。王佐の才(王を支える才能)を持つ者たちが必要になる。私が知る限りで、もっとも王佐の風格を持つ者は、 潁川の荀文若だけだ」
「潁川の荀文若。あの潁川一の名門、荀氏の一族ですか」
「そうだ。文若の甥である荀公達とは親友でな。公達もまた優れた策士だが、文若は若年ながらさらに上回る。いつか覇者を補佐し、王道に導く力を持つ者、まさしく王佐の才を持つ男だ」
「しかし、彼の様な名門の御曹司が、私の様な寒門(身分の低い)の下で仕えるでしょうか? 名門中の名門である袁本初殿に仕えるに違いありません」
「ここだけの話だが、本初殿には人を使う能力はない、と思っている」
「何を仰られますか。本初殿は寒門出の私にも礼を尽くして接してくれます。彼を慕って集まる名士は、数え切れないほどいるではありませんか」
「とぼけるのはよせ。君も気付いているんだろ……。確かに本初殿は名門でありながら、身分の上下に関係なく誰にでも遜り、礼節をもって迎え入れる。だから彼の周りには多くの有能な士があつまる。しかし、彼には上に立つ者として必要な力が欠落している」
「それは?」
「決断力だ。彼の持つ優柔不断さが、いつか破滅を招くかもしれない、と危惧している」
「破滅だなんて……」
「本初殿はいずれ来るであろう乱世に、先んじて名乗りを上げる覇者となろう。だが、その決断力の無さが大きな足枷となって、自らを瓦解させる遠因となるやもしれん。君にはそうなってもらいたくないのだよ」
もちろん曹操にも判っていた。袁紹(本初)の器では州牧程度にはなれるであろうが、天下を治めるには十分ではないだろう。
曹操は両拳を顔の前で合わせて、何顒に対し深々と頭を下げて礼をした。何顒も礼を返し、曹操に言葉を送った。
「だが、知っての通り、お尋ね者の私は、本初殿の庇護を受けているからこそ、こうして京師に潜伏していられる。この恩義は彼に尽くさねばならぬ」
「貴方から受けた数々の助言。本当に痛み入ります。それにしても、もうすぐですね。党錮の禁が解かれるのは。そうすれば貴方はこの京師の中を堂々として歩ける」
「何故、そう思うんだ? 京師にはすでに、馬元義のような張角の腹心が潜伏しており、宦官どもを巻き込んで政変を起こそうと企んでいるというではないか。漢の屋台骨を崩しては党錮の禁どころではなくなる」
「だからそうなる直前に太平道の反乱を阻止し、宦官や帝には国家の危機感を煽り立てる必要があります。そこで私は一人の男に目を付けました。唐周……という馬元義の部下です。彼も張角の腹心ですが、馬元義の下で働くことを不服に思っているとの情報をつかんでいます」
「素晴らしい。そこまでの情報を手に入れているとは。君はやはり私の見込んだ通りの男だな」
「張譲ら宦官たちの好き勝手にさせる訳にはいきません。しかし、唐周を動かして馬元義と反目させるのも容易な事ではありません。張角の人格支配から解き放ち、太平道を裏切らせる為には……」
何顒は突然に鞘から剣を抜き、自分の額の前に翳した。
「そこで私の出番というワケだな。孟徳殿、君の真意は判った。後は私に任せてくれ……」
曹操は驚き急いで何顒の前に跪いた。
「待ってください。何も貴方のお力をお借りしようと言う事では……」
「いや、私にやらせてくれ。必ずや唐周を脅して寝返らせるみせようぞ」
「いったい、どうやって……?」
「私でなければやれぬ仕事があるのだ」
曹操は袖を靡かせながら、素早く両拳を眼前で突き合わせて、深々と礼をした。
「それでは、何伯求殿にこの案件をお頼みします。くれぐれも無理をなさらぬよう、お願い致します」
何顒は少し頷いてから再び歩き始めたが、曹操に対して袁紹の住む小屋の方角を指し示した。もう一度戻って袁紹にきちんと挨拶し直して来いという意味であろう。
「また会おう」と言葉を残して曹操の目の前から姿を消した。




