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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第五章  刺客信条
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第三十六話  司寇刑

 その頃、南陽(なんよう)郡の(えん)県の出身である何進の妹、話題の何曄(かよう)こと()美人(美人とは後宮における側室の称号)は、雒陽の後宮内でとある宦官と語らいあっていた。


郭中常(かくちゅうじょう)、それは本気でいっているのですか?」


 何美人は自分の部屋で思わず甲高い声を出してしまった。郭中常(かくちゅうじょう)とは同郷の出身で宦官の高位である中常侍の一人、郭勝(かくしょう)の事である。


「何かご不満でも? 私のおかげで後宮に入れた事と、貴女の一族が絶大な権勢を誇れるようになった事を、どうかお忘れなく」


「いくら郭中常でも言葉の使い方を間違えると許しませんわよ。貴方には私の兄が、それなりの大金を叩いているのですからね」


「もちろん、忘れる訳がありませんよ。だからこそ……このお話を、もうすぐ皇后になられる貴女にお話するのです」


「恐ろしい……。宋皇后を陥れるなんて。わたくしが陛下の寵愛をうけようとも、変わらず私には優しくして下さっていたのに」


 郭勝も南陽郡の宛の出身で、何曄の異母兄である何進からの賄賂を受けて、何後宮入りする手筈を整えてやっていた。


「自分を責める事はありません。これはすでに決まっている事。(おう)())中常の謀略です。どちらにしても宋皇后はその地位を剥奪されて存在も消されるでしょう。貴女がこの計画のお手伝いを買って頂けるなら、皇后としての地位は間違いありません。そして、何氏一族の権威は盤石なものとなるでしょうな」


 地位は同じでも郭勝の上司である王甫も、賄賂で地位を約束する売官行為を斡旋していた。


 勃海王(ぼっかいおう)に推薦して王位につけてやった皇族の劉悝(りゅうかい)から、約束の賄賂を受け取る事が出来ず、怒った王甫は劉悝とその妻である王妃を、謀略で陥れて殺害する。


 劉悝の王妃は宋皇后の叔母であり、王甫は宋皇后やその一族から報復されるのでは、という被害妄想に陥った。


 王甫は後輩の郭勝が後宮入りさせた()美人に目をつけた。この娘は政争に使える……と。


「貴女が皇后になれなければ、私も立つ瀬がありませんよ。貴女の一族郎党もね」


 郭勝も自分の権勢を盤石にする為に、この何曄(かよう)の美貌がどうしても必要なのだ。


 何曄は壁に向いて手を付いて俯いた。


「やってあげるわ。一族の為じゃない、貴方の為でもない。わたし自身の為よ。皇后になって栄華を極めてやるっ。それでいいのね?」


「そう。それで良いのです……」


 後ろめたさが彼女の背を包んだが、やがてそういう感情も薄らいでいく。それが後宮という伏魔殿(ふくまでん)なのだ。



 頓丘(とんきゅう)の県令を順調に遂行していた曹操に、ある日突然、寝耳に水の凶報が飛び込んできた。


「皇帝直々の勅令により、冀州(きしゅう)頓丘(とんきゅう)県令・曹孟徳の任を解くと同時に、三年間の司寇(しこう)刑に処する」


 司寇(しこう)刑とは労役刑を受けた罪人達を監視するという比較的軽い刑ではあるが、県令を務める官僚にとっては屈辱的な刑罰である。


 さらに今回は監視するだけではなく受刑者と一緒に重労働も課せられるとの事。簡単に済む刑ではない。


 曹操の顔色は変わらない。むしろ少しニヤけている様でもある。遠い親戚である皇族の宋皇后の連座に、曹操も一緒に処せられたのだ。


 宋皇后は第十二代皇帝(劉宏(りゅうこう))の皇后であったが、郭勝と何美人の讒言(ざんげん)により幽閉されて半ば強制的に自殺させられた。


 宋一族は(ことごと)く誅殺され、親戚縁者もその災禍を免れる事は出来なかった。処刑された宋一族の一人である宋奇(そうき)は、曹操の従妹の夫であったのだ。


「オレが身代わりとなってその刑を受けます」


 夏侯惇が名乗り出た。曹操に恥を掻かせまいとする、彼の忠誠心だった。


「何を言ってんだよ。気持ちはありがたいけどさ、これぐらいの事で、お前に迷惑をかける訳にもいかねぇし」


 曹操は笑って夏侯惇の肩を叩く。そこで現れたのが、夏侯惇によく似た風貌の若者だった。


「いや、俺がやるよ。孟徳兄貴にはいつも世話になっているし」


 彼の名は夏侯淵で字は妙才。夏侯惇の従弟で似ているのは風貌だけでなく、腕っ節が強く剛毅な面、曹操に対する敬愛の念なども同じく似通っていた。


 曹操が県令の役に就いたと聞き、同じ故郷の(はい)(しょう)県からやってきて、夏侯惇と共に曹操の下で職に就いていたのである。


「妙才(夏侯淵)。お前までそんな事を言うのか?」


「孟徳兄貴。アンタはオレたち兄弟の憧れなんだ。小さいころから世話になってるしな。少しでも恩が返せるなら、こんな事ぐらいなんでもないさ」


 曹操と夏侯惇は顔を見合わせて頷き、感心した様子である。夏侯惇は目に薄っすらと涙が滲んでいる。


「妙才……」


「元譲(夏侯惇)兄貴。孟徳兄貴の補佐をできるのは、あんたしかいないんだ。付いて行ってやれよ」


「ああ……わかった。オレに任せとけ」


「ありがとうな、元譲。ありがとう、妙才」


 曹操は頓丘の県令をしている間に劉氏という妻を娶っていた。二人の男子と一人の女子を儲けたが、三人目の次男を出産後、すぐに逝去してしまっていた。


 その悲しみが癒えぬ間の出来事であったので、夏侯惇も夏侯淵も曹操に対する気遣いを怠らなかったのである。夏侯淵はその劉氏の妹を娶っていたので、余計に曹操への気遣いを配慮していたのだ。


 だが、身代わりになると言っても、曹操はすでに県令として著名な人物だったので、身代わりなどすぐにばれてしまう。


 とはいえ、曹家には有り余るほどの財力があった。賄賂などを駆使してとりあえず、夏侯淵を曹操の身代わりとして刑役に就かすことが出来た。


「すぐに刑を免除してもらえる様に手配しておく。それまで少しだけ辛抱してくれ」


「大袈裟だな、兄貴。大した刑じゃないんだから気にするなよ」


 刑の身代わりとなった夏侯淵を残し、曹操と夏侯惇は荷も軽く、愛馬の絶影(ぜつえい)白鵠(はくこく)にそれぞれが跨って、二人の故郷の譙県へと向かって直走る。

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