第二十九話 五色棒
その高官らしき男が、引き連れている護衛兵に手で合図すると、護衛の兵たちも松明を地面に投げ捨てて剣を抜き、曹操に向かって襲い掛かった。
残りの五、六人の北門の守衛兵達も曹操を援護しようと剣を抜き乱戦に踊りこむ。
曹操は腰に隠し持っていた五色の鉄棒を両手に持ち、華麗に振り回しながら高官の護衛兵たちの攻撃を軽やかに受け流した。
「アンタに感謝しなけばならんな……」
「何をほざいているのだ。今さら私に許しを乞うて、通行許可をだそうと言うのか?」
曹操は激戦の最中ずっと喋り続けている。
「まさか……ククク。オレが感謝しているのは、月光の下でアンタほどの腕前の男と戦える喜びを与えてくれた事。さぁ、オレをもっと楽しませてくれ」
「このガキぃ、頭がイカれてやがるな。しねぇ!」
そこへ門の守衛兵たちが加勢して乱戦となるが、守衛兵の方がやや不利になっている様だ。曹操の方も高官らしき男と一騎打ちとなり、激しく打ち合いが間も無く始まった。
「兄貴っ、加勢するぜっ」
突然、もう一人の若武者が剣を片手に、門の守衛兵たちへ加勢しようと乱戦に加わってきた。まさに猪突猛進、真っ直ぐ突き進んで来る。
後から現れた若武者の剣技も卓越したもので、門の守衛兵達と共に一気に形勢を逆転させていった。
「やるなっ、元譲。頼もしいぞっ」
曹操は加勢に入ってきた若武者を元譲と呼んだ。
元譲は豪快な剣裁きで高官の護衛兵たちを次々と薙ぎ倒していく。地面に倒れた護衛兵を門の守衛兵たちが止めを刺した。
残るは、曹操と激しく打ち合っている高官のみだ。しかし、激戦でありながら曹操は元譲の方に顔を向けて大声で話しかけている。
「おおっ、すべて討ち取ったか。はははっ」
「兄貴っ、気をつけろ!」
激戦の最中でありながら、曹操は加勢に入った元譲の方に目をやっていた為、相手を逆上させる事になる。高官は声を上げつつ剣を大きく振り上げ、頭上から曹操の額を狙ってきた。
「よそ見してる場合かぁ!」
高官が剣を振り上げた瞬間に、曹操は勝機を見出した。振り下ろした相手の剣を右手に持った打棒で靭やかに受け流し、同じく左手にある打棒の先で高官の喉元を思い切り突き上げた。
「でぁっ!」
ゴギッという骨が砕ける鈍い音と共に高官の首根っこが、枯れ木の様に無残な折れ曲がりを見せた。
「ぐぼぉあ」
首が折れると同時に高官は後方へと吹っ飛ばされて、地面の上を勢いよく転がって壁にぶち当り倒れこんだ。
口からは血の泡を吹きながら喉元を押さえてのたうち回っている。どうやら呼吸が出来ない様子だ。
「お見事で御座いました、兄上っ」
後から加勢してきたこの元譲という若武者は、曹操の従弟で、姓を夏侯、名を惇、字を元譲と云う。幼き頃より故郷の譙県で兄弟の様に育ってきた仲だった。
曹操が二十歳で考廉(地方からの官僚登用制度)に推挙された時に一緒に雒陽についてきた。十四歳で自分の師を侮辱した男を打ち殺してしまった為に、曹操が匿う為に連れてきてやっていたのだ。
「ふう。少々、手間取っちまったな。それにしても、元譲の方こそ見事だった」
「ああ。それより、この男、名前は忘れたが小黄門(宦官の高位)の蹇碩って宦官の叔父じゃないか」
「何だと? なんで、お前が知っているんだ」
「以前、オレの武芸の師匠の元に来ていた事があるんだ。偉そうにしていたが中々の腕だったのを覚えている」
「なるほど。蹇碩も宦官にしては筋骨隆々の身体の持ち主で、武芸に秀でている家系だと聞いた。この強さ、奴の叔父であるなら納得だな」
「にしても、ちょっとまずい事にならないか? 蹇碩は帝のお気に入りだって孟徳兄貴が話してた奴だろ」
「俺はあの大長秋の孫だぞ。外では寒門(身分の低い家柄)と蔑まれていても、ここ京師ではそれなりの権威がある。法を犯すヤツは何人たりとも許さぬ。オレに落ち度は無いさ」
「それはわかるが……」
「心配するな。ここでは誰もオレに手を出せやしない。それにしてもこの男、夜分に一体どこへ行こうとしていたんだろうな」
蹇碩の叔父と思われるこの男は、喉をつぶされて散々のたうち回った後、遂に呼吸困難で絶命してしまった。
「うごっ、ごぼっ……」
「死んだか。さぁ、検分するんだ。順番は違ってしまったが」
夏侯惇は彼の遺骸に近づいて嫌々ながらも隅々を調べた。やはり、何かを見つけたようだ。
「兄貴。コイツ、なにか書簡みたいなモンを持ってたぜ」
「なに、書簡? 見せてみろ」
書簡を読んでいる曹操の口元が少し緩んでいる。
「ほう、こりゃぁ、くくく。どうやら面白いモンを見つけちまったな」
夏侯惇は怪訝そうな書簡を覗き込むと、ゴクリと息を飲んだ。
「なんだってっ……。面白いなんて言ってる場合か。こりゃヤバイだろ。すぐに報告しなきゃ……」
「まぁ待て、元譲。この案件は俺にまかせろ。いずれ使わせてもらう。さぁ、ここを片付けてお前はもう休め」
曹操は書簡を懐にしまうと、夏侯惇に目配せをしてその場を去った。
夜中の騒ぎに人が集まり始めた頃、曹操の姿はもうそこにはなかった。




