第二十五話 熹平石経
当時の雒陽は数百万人もの民衆が生活する巨大都市であり、商工業が発達し、科学が進歩し、文化芸術が花開いた、先進的な都市であった。
賊の反乱や自然災害による作物の不作で荒廃しきった辺境の地に較べて、自由闊達な風土がこの雒陽にはいまだ存在していたのである。ただし、宮廷内を除いてはであるが。
劉備と公孫瓚が向かう先は雒陽の太学(大学)だ。雒陽城の南の開陽門の外にあって、太学の講堂は長さ十丈(二四メートル)幅が二丈(五メートル)もある。
講堂の前の石経と呼ばれる石碑に、儒教の基本経典である五経が刻まれるのである。高さ一丈(二メートル半)、幅は四尺(一メートル)もある石板が四十六枚も必要であった。
この石碑は熹平四年から施工が始まったので、熹平石経と呼ばれた。完成までに九年もかかったという。
秦の時代に行われた焚書、時代が進んでの散逸などにより、亜種の経典が流布していた。それを正すために学者らが長年選定した文章を刻んでいる。
公孫瓚は盧植からその石板を運搬、加工する手伝いを依頼されていた。太学生と一緒にこの肉体労働作業をする為に呼び出されたのだ。
劉備と公孫瓚は宿舎に着くなり作業着に着替えさせられて、雒陽の城下町をぶらつく間もなく、重労働に駆り出された。
「伯珪兄貴。これじゃあ遊びに行く暇もねぇじゃねぇかよ。盧先生もケッタイな仕事もってきてくれたなぁ」
「だから、遊びじゃねぇって言っただろうが。いいか、玄徳。この事業は太学生だけでなく、各州の士大夫(官僚、政治家)も見学に来るんだ。こんな好機は滅多にないぞ」
「つってもよぉ、兄貴。こんな重労働しながら何をどうしろっつうんだ。だいたい、好機って何の事だよ?」
「お前も得意だろぅ。ほら、いつものサボリ。これぞ、好機ってヤツよ」
「なぁるほど。そいつぁ、俺の得意分野だな」
劉備と公孫瓚は作業場からそぞろ歩きで遠ざかって行こうとしていた。現場は作業をする学生や職人以外にも、多くの見物人で賑わっていたので、サボることなど容易い事であった。
二人はソソクサと現場から去り、付近にある小屋に戻っていった。そこには労働者の着替え場があり、二人は作業着からいつもの普段着に着替えた。
「しかし、玄徳。こうして見てみるとお前の普段着はけっこう派手だな」
「そうかい? 雒陽に来て思ったんだが、俺より派手な服を着てる奴なんて、いっぱいいるじゃないか」
「確かにな。聞いた話だが、鴻都門って所に太学(大学)みたいなモンがあるらしいんだが、帝が自分の趣味で直々につくったらしい。そこの学生らが帝の好きそうな派手な着物を着てる奴らばっかでよ。そいつらの格好と来たら、お前より派手だぜ」
「へぇ。天子も粋な学校を作るじゃねぇか」
「何を言ってやがる。あの帝はなぁ、官職までも金で買えるようにしちまったらしいぜ。結局は汚職で儲けた汚ねぇ奴らばかりが蔓延っちまう」
「まぁ、どうせ俺らにゃぁ関係ない話じゃねぇか」
そんな世間話をしながら着替え終え、二人は晴れて堂々と外へ出て歩きはじめた。そこへ、石経の作業場を見学しに来た、金持ちそうな数十人の青年達の集団に出くわした。
その青年達は、いかにも高官の息子達と言わんばかりの、高級そうな服や装飾品、そして煌びやかな剣を帯びて威風堂々として歩いてくる。
「なんだぁ、あいつら。エラそうに歩きやがって。なんとか門って学生の奴らか?」
劉備はその集団を通り過ぎてから、小声で公孫瓚に雑言を呟いた。
「いや、ありゃぁ、有名な汝南の袁家のご子息様だよ」
「汝南の袁家? なんだそりゃ」
「あの真ん中の一番派手な奴が袁術ってヤツでな。字を公路って言うんだが、あのいけ好かねぇお坊ちゃんはよぉ、一族から四人の三公(三つの最高大臣)を輩出したっていう超名門の家系なのさ。今だって袁隗っていう袁一族の長が、三公の司徒をしてるんだぜ」
「三公? しと? なんじゃそりゃ」
「お前、んな事も知らねぇのか。もうちょっと勉強しろよ。三公ってのはな、天子の次に偉い三つの役職だよ。お前に分かり易いように簡単に説明するとだな、司徒は財政、司空は治水、太尉は軍事を司ってる。やれやれ……」
「そ、そうか。で、袁術ってのはその司徒をやってる名門の一族のお坊ちゃんってワケだな。ふむふむ」
その貴公子は姓を袁、名を術、字を公路という。皇室の劉家に次ぐ、というほどの名声を得ていた名門中の名門家系の次男であるが、まだ若いので男気を売りに侠を気取って放蕩生活を送っていた。
が、最近は心を入れ替えて地元の推薦による(考廉)という制度で出世し、朗中という若手官僚が就く地位にあった。
「それと、袁公路の横に付いてる赤い巾を被った武人がいるだろ。あれが江南の暴れん坊の孫文台って奴らしい」
「暴れん坊ねぇ。へぇ、孫文台か」
「十七歳の時に一人で海賊を始末しちまったっていう話だ。江南の呉郡でのし上がった叩き上げの軍人でな、切り込み隊長として名うての男なんだってよ。この前も会稽で起こった許昌って賊の乱で大活躍したらしい。その時の論功行賞で都に呼ばれたんだ。袁公路がその武勇を聞いて近づいてるって噂だ」
孫堅…字を文台。海賊退治で名声を得た孫堅は、青年将校として順調に出世街道を歩んでいた。
「ほぉ、そりゃぁ凄そうなヤツだ。お、向こうからも、なんか似た様な奴らの集団がこっちに来るぜ」
「ほおぉ。今日は珍しい日だな。袁家のもう一人のお坊ちゃん集団にもお目にかかれるとは」
「袁家のもう一人のおぼっちゃんか? もう一人ぼっちゃんがいんのかよ。もしかして、あの立派そうなな顔立ちの男か?」
「ああ、そうだ。アッチのぼっちゃんは袁本初って奴でな、袁術の兄ではあるんだが…、実は、早くに亡くなった叔父から引き取られた養子らしい。弟の公路は本初の事を、叔父の妾(側室)の子だろう、って陰口を叩いてるらしい。まぁ、妾の子だからこそ養子に出されたのかもしれんな。だが、皮肉にも袁紹の方がいろいろと目立ってるんで気に入らんようだ」
「へぇ。あの袁本初って奴、目立ってるという割には地味な格好だな。顔立ちや体格は確かに名家のお坊ちゃまって感じだけどな」
劉備と公孫瓚は、人の多い通りを踵を返して、袁家の集団の横に並んで、気付かれないように話している。




