第二十二話 公孫瓚
その日の晩には、劉備と徳然の二人は、涿郡にある盧植の邸宅に辿り着いた。
盧植、字は子幹。背丈は八尺二寸(一九五センチ)の高身長、高名な儒学者でありながら歴戦の将、文武両道で清廉潔白の士として名高い後漢の名将である。
前年に彼は揚州の九江郡で起こった蛮族の反乱を治める為、州の太守(郡の長官)に任命され、賊の反乱を鎮圧した。
その後、病と称し官職を捨て故郷の涿郡へ戻り、自分の邸宅で「尚書章句」や「礼記解詁」などの儒書を仕上る為に執筆活動に励んでいた。
ただ、彼も思う所あって、国の将来を憂い、若い子弟を募って勉学を教え、立派な国士を育て上げたい願望を叶える機会を伺っていた。
そしてまず、諸事情で太学に行けなかった幽州の三十人ほどの士大夫の子息達を招き、一団を組んで雒陽近郊にある緱氏県の山中へ行く事になった。
劉備と徳然ならびに幽州の各地から集まった若い師弟達は、盧植の邸宅に一泊してから、次の日の朝に緱氏山へと出発する予定だ。
「私が君らの師となる盧子幹だ。ここから少し遠いが、私がかつて学んだ緱氏山で一緒に勉学に励んでもらいたい。中華全土から多くの若者が集まるから、我が州の師弟達も他の者に負けないように頑張って欲しい」
「はいっ」
若き徒弟たちは一斉に頭を垂れて、廬植に深いお辞儀をした。
次の日の朝、三十数名の盧植が率いる一団は、隊列を組んで故郷を後にした。劉備はその一団の中で最後尾の位置で並んで歩く。
少し隊列が進んだ所で、一人の強面の若者が最後尾まで下がってくると、劉備の横に付いて軽く会釈した。
「アニキ、昨日はお疲れ様でした。これからも宜しくお願いしやす!」
「おう。まぁ、気楽にやれや」
「はいっ、ありがとうございます」
若いのがそう言うと、そそくさと前方の方に走って戻っていく。
劉備のすぐ側にいた徳然が、不思議そうな顔で尋ねた。
「兄貴、今のは誰なんだい?」
「おう、アイツか。エラそうにしてたからよ、昨日の夜のうちにシメてやったぜ。随分、おとなしくなったがな」
「すんげぇな、兄貴は」
「へんっ、いつもの事よ」
「そっか……ん、あれ、後ろから白馬の武者が走ってくっけど、ありゃなんだべ?」
「あ? 何だ?」
振り向くと、白馬に乗った若者が、勢いよく向かってくるではないか。その白馬に乗った若者は最後尾の劉備の横を、一陣の風と共に通り過ぎ、列の前方に向かった。
すると隊全体の前進が止まり、白馬の背からその若者が地面に降りて、先頭の盧植の前で膝まついているのが見えた。
少しの間、二人の会話が続いていたが、その若者は隊列につく事を許されたようだ。若者も先頭付近で白馬を引いて再び歩き始めた。
「ぬぁんだ、アイツは。エラそうに白い馬で駆けつけやがってよぉ。おい、徳然。てめぇ、アイツの情報仕入れてこいや」
「え、情報……オイラが? ど、ど、どうやって?」
「誰かに聞いてくりゃぁいいだろ。はやぐしろぃ」
「あ、あ、へイ」
徳然は小走りに前の方へと走っていった。それから当分の間は戻って来なかったが、なんとか情報収集して劉備の元に戻ってこれたようだ。
「はぁ、はぁ、あ、兄貴、情報仕入れてきた……」
「おう、話してみろぃ」
「うん、あんの白馬に乗ってきた人、遼西郡の太守の娘婿って話だ。姓は公孫、名は瓚、字は伯珪。遼西じゃ、ちょっとしだ有名人らしい」
「こりゃ、もう一人シメなきゃならねぇ奴が増えだな。太守のムコだぁ? 白馬で遅れて現れやがって、ふざけんじゃねぇぞっ、坊っちゃん野郎が」
劉備の大きい耳が小刻みに動いている。徳然はそれを見て顔面蒼白になった。劉備の耳がこうなったら必ず波乱が起こる。ひと騒動ありそうな予感だ。
夕方、初日の行軍だった為、早めに幕営を張って一晩を明かす事になった。
そこで劉備は、徳然に公孫瓚を呼んでくるように手配した。徳然は公孫瓚に色々とおべっかを使って、何とか劉備のいる幕営まで連れくる事ができた。
劉備はその公孫瓚という男を初めて間近で見たが、若いのに堂々として威厳と風格があり、容姿も素晴らしく背が高い端整な顔立ち、身体も壮健で典型的な美男子。
何やら余計に腹が立ってくる気分だ。
「遅かったなぁ、待ちくたびれたぞ」
「一体、何の用だ。こんな所まで呼び寄せやがって」
公孫瓚はかったるそうに捨て台詞は吐きながらやってきた。
しかし、劉備と初めて対峙して見て、その異様な体つきに少々驚いた様である。耳はかなり大きく腕が膝を超えるくらい異常に長い。こんな男は初めてみた。
「おう、オラぁ劉玄徳だ。おめぇが公孫瓚ってヤヅかぁ。白馬に乗ってしかも遅れて現れるたぁ、どういう事ったぃ、コノ野郎。カッコつけてんじゃねえぞ、コラァ」
会うなり突然の罵倒だった。公孫瓚は瞬間的に怒髪が逆立ち、顔を真っ赤にさせて武者震いを始めた。
「ぁあ、なんだと? とんだご挨拶だな。そんなにぶっ殺されてぇんなら、相手してやるぞ、デカ耳野郎がっ」
待ってました、とばかりに顔をニヤつかせる劉備。首や肩をボキボキと鳴らしながらゆっくりと立ち上がった。
公孫瓚は素早く動いて劉備に近寄った。そして頭を乗り出して額がぶつかりそうなほど顔を近づけた。
「今さら後悔しても遅せぇぞっ!」
グッと劉備の胸ぐらを掴み、公孫瓚は叫ぶように脅しかけた。
劉備もこういう男の対処は慣れっこで、全く動じる様子はない。そもそも劉備が売った喧嘩である。




