第一八一話 韓浩
少し時間は遡るが、董卓は袁紹の監視役として冀州牧の韓馥を送り込んでいた。
韓馥はかつて袁家に仕えた門生故吏であった。門生とはいわゆる門下生で、故吏は旧臣の意味である。
四代に渡って三公を輩出してきた袁家には多くの門生故吏がおり、彼らの多くは袁家に畏敬の念を抱いている。
そういう縁のある韓馥なら、怪しまれずに袁紹を監視できるだろう。
さらに恫喝をちらつかせておけば、韓馥が情に走らず保身を選ぶだろう。
――それが董卓の読みだった。
董卓の指示された通りに、韓馥は何人もの従事を袁紹の下に送り込んで終始報告させた。
「曹操が反逆の狼煙をあげたことで、袁勃海(太守)も挙兵の動きがあるようです」
もともと韓馥は決断力のない煮えきらぬ男だ。この期に及んで茶を濁した。
「今、私が冀州牧でいられるのも董相国のおかげだ。彼の挙兵を見逃せば相国をはじめとする西涼の軍団を敵に回す事になる。しかし、我が家系は代々袁家に仕えており、その恩恵もあって今の地位を手にしたとも言える。それに、本初どのの挙兵を阻止すれば山東の諸侯を敵に回す事にも繋がりかねない」
この時、治中従事史(事務補佐官)の劉子恵は、歯に衣着せぬ直言をした。
「この度の件は、中原を揺るがす一大事です。袁氏につくか董氏につくかで判断すべき事ではありません」
直言を受けて韓馥は口をつぐんでしまった。
「う……」
それでも韓馥は劉子恵を頼りとし、その意見を常に重視していた。彼の言葉は正論だが、そんなのは建前だ。誰だって自分の利を考えて行動する筈だ。
だが国家の大事と言われては、冀州牧としての立場がない。
そんな韓馥の腹中を察した劉子恵は、主君の面目を潰したのを少し悔いて謝罪した。
「失言でした……。申し訳ありません。どちらにしても我々は兵を持って解決するしかありません。とはいえ、兵を起こすの凶事であり、自ら火付け役になるのは避けるべきです。注意深く情勢を見極めてから動きましょう。冀州は京師から離れていますいが、肥沃な大地があり人口も多い。この立地と地盤を活かせばいつでも優位に立てるでしょう」
「道理はわかったが、勿体ぶらずに教えてくれ。この期に及んでもまだ、どうすべきか分からんのだ……」
「貴方が正しいと思う方を選んで下さい。私もそれに従います」
自分の決断を迫られ韓馥は息を飲んだ。いつかは否応なく選択を強いられる。今その時なのかもしれないと韓馥は思った。
董卓が京師でどれだけの権勢を誇っているか、その権勢でもってどれだけの暴虐を働いているか、それこそ伝え聞く事しか出来ない。
だが、董卓が独断で皇帝を廃して、幼少の皇帝を擁立したのは間違いない。これを持ってしても天下の大罪と言える。
しかし、袁紹に運命を託して董卓に抗ったところで、勝機はあるのだろうか。いや、自分が表舞台に立たなければ、どちらが勝とうとも中立として振る舞えるだろう。
「よし。本初どのが挙兵するのであれば、彼を支援し一緒に戦おう。ただし、君の言う通り表立って動かず、あくまで本初どのを背後から支援するだけに留めるんだ」
「御意……」
劉子恵は腑に落ちない面持ちだが、素直に韓馥の意見に従った。
韓馥からの支援が得られると聞いた袁紹は、冷静に振る舞っていたが内心は歓喜していた。
(こうも上手く事が運んでくれるとは――。曹操に遅れを取ったが、先制して董卓を討つのはこの私だ――)
名声は天下一の袁紹でも、半ば逃亡同然の身である。しかも冀州の最東端にある不慣れな土地では、思うように寡兵できなかった。
韓馥の援助はあくまで金銭、物資的な支援に留まっている。元々韓馥には多くの兵を集められるほどの名声はない。しかし、袁紹にはその目算があった。
(まずはあの男に動いてもらおう――)
董卓討伐を掲げて挙兵すると、袁紹はまず雒陽からほど近い司隷州河内郡まで兵を進めた。
袁紹が雒陽の辺近処にある河内郡の河陽津にまで進軍したのには理由がある。まずは雒陽に近づくほど袁紹を知る者も多い故に寡兵がしやすくなる。
それだけではなく、河内郡太守の王匡と内密に呼応する計画だった。王匡はかつて何進の部下であり、袁紹とも親しくしていた。
王匡は焼け野原の孟津県へ二万の軍勢で進軍していた。対するは、南対岸の平陰県に布陣する牛輔が率いる董卓軍である。
血気に逸る王匡を唆したはもちろん袁紹である。自軍は後方にて布陣した。
(董卓軍の力を計るにはうってつけの男だ――。負けても俺の名に泥がつくことはない――)
袁紹の胸算用を知らない王匡は、ここぞとばかりに意気揚々と進軍した。
「戦というのは先手を打つのが肝心だ。西涼の猛者だかなんだか知らんが、田舎モンどもに中原の戦というものを思い知らせてやる」
かつての王匡には自分のための蓄財はせず、貧しい者に施しをするような侠気があった。その反面、血気盛んで行き過ぎた所業も垣間見られた。
挙兵の財源を確保するために河内の官民を隅々まで調べ、脱税や不法があると容赦なく逮捕して罰金を課した。従わない者は一族郎党を処刑し、財産を没収したという。
こうして資金を集めて兵を招集し二万もの軍勢を集めたが、遺恨を残す手段だったので官民ともに王匡への不信が拡がっていた。
しかし王匡は、人の鼻息を窺えるほど気の利いた男ではなかった。人心を失いつつあるとも知らず、精強な涼州の軍を蹴散らすつもりでいた。
王匡が意気揚々としているのは、頼りとする将軍がいるからだ。
「君の手腕をここで見せてもらおう。今度はただの山賊ではない、天に仇なす大逆賊というべきか。必ずや武功を挙げて戻ってくるのだ」
「はっ」
王匡が名指ししたのは、字を元嗣、姓名を韓浩という。
韓浩は黄巾の乱の際に活躍し、在野ながらもその名を知られていた。
司隸河内郡の山林地帯の出身だった韓浩は、横行する山賊に業を煮やし、自身で部曲を集めて自警団を結成した。
県の部隊は張り子の虎で山賊を撃退する力もなく、韓浩の活躍で近隣の山賊は鳴りを潜めた。
河内郡でその活躍を知られた韓浩は、その俠気を王匡に買われたのだった。
王匡に見出された韓浩は兵曹従事(軍長官)に抜擢され、度の挙兵では真っ先に先鋒を命じられた。
黄河に沿って進軍する王匡軍は、韓浩を孟津に留め置いた。
孟津の西隣の港町である河陽津まで兵を進めた。
「韓(浩)兵曹、対岸の平陰の軍から密使が来ておりますが」
「密使だと。どうせくだらん恫喝に違いない。まぁいいだろう。よし、通せ」
牛輔は韓浩宛に使いの者を送った。王匡にではなく韓浩に直接である。密使は韓浩に書簡を渡して返答を迫った。
書簡は密書にするほどの内容ではない。向こうの陣営に韓浩の親族がいるから、互いに兵を収めて酒宴を開こうとのことだ。
親族とは杜陽という韓浩の舅だ。河陰県の令を務めていた。
「なるほど。つまり、俺の舅をダシに投降しろと言う訳か。率直に言うが、公私混同してまで逆賊に仕えるつもりはない。帰ってそう伝えろ」
董卓の密使の者を前に、韓浩はきっぱりと言い放った。密使の者は一瞬たじろぐような素振りをみせたが、無言で頭を下げるとそそくさと退出した。
このまま使者を追い返せば、舅の杜陽は容赦なく処刑されることだろう。
韓浩とて断腸の思いであったが、兵曹従事としての職務を放棄する事は、士としての誇りが許さなかった。