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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第二章  草行露宿(そうこうろしゅく)
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第十八話  浮屠

 世平と霊真は船の甲板に出ると、周りを見渡した。中洲では賊たちが縄に繋がれ、慌ただしく連行されていく。それを横目に見ながら二人は話し続ける。


「もう少し、張角について話しておきたい。彼は霊力こそ無いが、若年から学に通じる天才だっだ。孝廉(こうれん)(漢代の推挙制度)に推挙され宮仕えもしていた。しかし、彼は党錮(とうこ)の禁に巻き込まれ、京師を追放された。その後、我が父の下で修行を積みつつ、る野心を膨らませていった」


「貴方の父……」


「私の名は(えい)。そして、父の名は(りょう)。字を輔漢(ほかん)。蜀にある鶴鳴山(こくめいざん)にて天師となり、人々をあるべき道へと導いた。齢は百を超えるが今も健在」


 天師道の話は噂で聞いた事があるが、霊真の父が創始者だとは。


 彼の話によると、父である張陵は呉の天目(てんもく)山で生を受けたが、一族の本籍は()(はい)国の(ほう)県だという。若き頃は雒陽に登り大儒学者となった。


 第四代の和帝が、彼の高名を仰ぎ高官に取り立てたが拝受ぜず、各地を旅して人々を救い、鶴鳴山にて玄元老君(老子)から奥義を授かり天師の位についた。


 しかし、彼の話の中には突拍子もない出来事も多々あった。


 鄱陽(はよう)にある雲錦(うんきん)山で修行中に龍と虎を呼び寄せたので、龍虎山と名付けられたとか、西方の壁魯洞(へきろどう)で制命五岳摂召万霊及神虎の秘文を発見したとか、(すう)山の石室で黄帝九鼎丹経を手に入れたなど、まるで作り話にしか思えなかった。


 また、霊真は父の張陵が大儒学者だった頃に京師で出生し、成人すると黄門侍郎(こうもんじろう)に推された。張陵には十数人の子がおり、霊真は長男だが、修行で各地を飛び回る父の顔を知らずに育ったという。


 その為、一時は父に反目して張角と共に太平道の創始に一役買った。その間に末子で弟の張脩が天師道の跡継ぎに容認されていた。


 一度は捨てた天師道に回帰したのは、張角のやり方についていけなかったからだ。


「角は太平清領書を偽造する為に、実践的な教義を持つ浮屠の経典を手に入れて、さらに我が父が創始した道の教えを乞うと、自分で太平道を立ち上げて独立した。それがあの男の正体だ」


「しかし、私は彼に救われた」


「それは君に何かしらの使い道があっての事。知っての通り、彼は兵(軍事力)による漢(王朝)打倒を目論んでいる。太平の世を築く為とはいえ、これ以上の災を起こすなど、私は耐えられない」


「お言葉ですが、先生。陰陽において物事の原初は混沌より始まる、と。太平の道を行く為には、乱を避けては通れないのでは?」


「私は、張角が説く偽りの太平を認めるつもりはない。我が父を鼻祖(びそ)(開祖)とする天師道こそが我が道だ。禍乱を招く事で世を変えられるとは思わん。易姓革命(王朝交代思想)を起こそうとしている。それは道から外れた危険な思想だ」


「鼻祖である父の教え捨て、大賢良師と共に太平道を立ち上げた貴方が、再び天師道に戻るのですか」


 いつになく世平の霊真に向けた言葉は辛辣だった。


「角と共に太平道を起こしたのは、同じ志があったからだ。今はそのような志は皆無だが。彼が天師道からその術を盗んだように、私も張角が説く太平道からその術を頂いて帰る」


「術……浮屠の経典の事ですね」


「そうだ。張角は浮屠の経典を手に入れる事に執着していた。あの海賊たちは浮屠僧と取引の為にここへ来たらしい」


「京師でも少しは知られてますが、ここ揚州では民衆にまで浮屠の教えが僅かながらでも広がり始めています。海運が発達している土地柄だから外来の物も多い」


「そう。私が囚われていた船内には、浮屠径が数十冊と共に、訳径僧も幽閉されていた。蜀にある渠亭山へと運ばねばならぬ。天師道の発展に多いに役立つであろう。よければ、君も一緒に来ないか? このまま太平道にいると、賊に落ちぶれるだけだ」


「私には先生の様に清い心を保つのは至難かと。例え、大乱が起きようとも、多くの犠牲を払おうとも、自分の信じた太平の世を全うする為であるなら仕方ない、そう思うのです」


 霊真に対しては張角よりも親近感を感じていたし尊敬もしていた。だが、世平にとってはやはり霊真の考えが絵空事に思えてならなかった。


「残念だが、君の事は諦めよう。君を説得している時間はないからな。信じられぬだろうが、父が大蛇に飲まれる夢を見た。何かの暗示に違いない。急がねばならぬ」


「申し訳ない。でも貴方に出会えて良かった。いつか天師道の教えを乞いに蜀の地へと行ってみたいものです」


「今生の別れになるやもしれぬが、魂はいつでも繋がっている」


 外から張世平を探す蘇双の声が聞こえ始めた。霊真は左手で船倉の外を指し示し、船内からの退出を軽く会釈して促した。


 張世平は船内を出て、蘇双らと合流した後、若い五人組の頭領の朱(治)君理に話の経緯を説明し、海賊の赤馬(せきば)(小型快速船)が張霊真の所有である事を伝えた。


「本来やったら、俺らが船を預かって検分せなアカンけど、ま、ええやろ。面倒になる前に出航せえや。ほな、達者でな」


 と、快諾を得た。孫堅と若い五人組そして呉景らは、縛り上げた海賊たちを連行して銭唐まで戻るらしい。


「孫文台さんと姉貴の将来は安泰や。文台さんの出世は間違いなしやで。ワイも鼻が高いわ、道士さん。色々と有難うな。ほな、気い付けて」


 呉景の表情は明るく、姉と孫堅の結婚を喜んでいた。現金だが何とも憎めない青年である。


 張世平も久しぶりに心底の笑顔で彼らを見送り、蘇双らと共に己の信じた道を戻った。


「それでは、お元気で。今生の別れになるかもしれませんね」


「肉体はそうかもしれん。だが、魂はいつでも繋がっている。君にはそういう霊力が備わっている」


 世平は霊真の言葉を有り難い気持ちで受け取った。


 味気ない別れの挨拶を済ませると、霊真を乗せた船は海へと向かった。揚子江から四川へと登ってゆくのだろう。


 張世平たちも再び冀州の鉅鹿へ戻るが、張世平……いや、張倹の敵である侯覧が自害したという話は、冀州への帰路の途中でその噂を耳にした。


 雒陽の朱雀門に宦官を弾劾する張り紙がたくさん貼られ、その中に侯覧の名があり、党人を殺戮した罪や、汚職で人民から大金をせしめた罪などが書かれていた。


 弾劾文には有力宦官の王甫や曹節の名もあったが、侯覧に全ての罪をかぶせて印綬を取り上げ、自害を強要された。


 裏で張譲が手を引いていたに違いない。予言通り張譲は政敵の侯覧を陥れ滅ぼした。


 世平にとって複雑な気持ちだった。自分の知らない所で生涯最大の敵である侯覧は勝手に滅んでいた。あの憎き官者。できれば自分で手を下したかった。


 ある意味、太平道に仕えたのは侯覧や漢に対する復讐心からでもあった。ただ、今はもう昔の自分には戻れない。


 仲間の敵を取る事もできない。世平として進み始めた歯車を止めるのは、誰にも出来やしない。

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