表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十四章  皇帝崩御
178/181

第一七八話  護衛

 ここ数日は不眠不休の逃避行だったが、曹操は深い眠りを得られることはなかった。


 それは当然ながら安眠だったとは言い難い。ほんの些細な音でもその都度に目が覚めた。


 数回は眠りから覚めただろうか。だが、朝方の馬の(いなな)きで身を起こした。


(馬か。まさか追手が――)


 曹操はすぐに剣を取って構えた。卞蓮(べんれん)も起きたが、異様な雰囲気に気付いて我が子を抱き寄せた。


(あの男は裏切りなどしない。しかし、万が一もありうる――)


 だが、曹操は手に取った剣をゆっくり下に置いた。


(蓮たちを置いてはいけぬ以上、身構えても仕方のないこと――)


 二人とも覚悟は決めていた。意を決して外に出てみると、自身の疑り深さに嘆息した。


 嘶いた馬は、任峻(じんしゅん)が善意から用意した容車(ようしゃ)だった。


 容車は官吏の婦人を乗せる馬車で、幌のついた馬車だ。幼子を抱く卞蓮を後ろに乗せて、曹操が馬を駆るのだ。


 その馬車を前に任峻は頭を下げて、曹操に手を向けた。


「すみません、こういうものしかなくって。ただ、これなら返って怪しまれないのではないかと」


 何がどうなら怪しまれないかは、実際はわからないものだ。ただ、この容車があれば楽に移動できる。今はそれで十分だ。


「有り難い。何から何まで本当に色々と世話になった。この恩義は決して忘れない。また必ず会おう」


「ええ、また必ず」


 互いに同じ志を確認しあった二人には、多くの言葉はいらなかった。


 曹操は容車の荷台に卞蓮と幼子を乗せると、自身は馬に乗ってを手綱を取った。


 今朝も空は薄暗い雲に覆われている。このところ晴れた日を見たことがないが、雨が降っていないだけマシだった。


 河南尹(かなんいん)(河南郡)中牟(ちゅうぼう)県から南東へと三百里(120km)の道のりを一週間ほど進んだ。


 そしてようやく(えん)陳留(ちんりゅう)郡の己吾(きご)県に辿り着いた。


 ちなみに、今上(現)皇帝である劉協(りゅうきょう)の即位前の称号が()()()である。よって、その間は陳留()ではなく陳留()であった。


 皇族が統治する間は、郡ではなく国となっているのだ。とはいえ、皇族に統治権は与えられていないので、あくまで名目上の称号である。


 その陳留郡の統治を任されたのが張邈(ちょうばく)であった。董卓は袁紹や袁術に次いで名声の高かった張邈を陳留郡の太守(たいしゅ)に任じた。


 曹操が陳留に寄った理由は前述のとおり、親友の張邈に会うためだった。


 親友とはいえ、今はお尋ね者の身である。迷惑をかけるのを承知で会いに行くのだ。張邈は大手を振って出迎えてくれるだろうか。


 曹操が抱えもつ一抹の不安は、思ったとおり杞憂であった。


「よくぞ無事に辿り着いたものだ。ここに寄ってくれるであろう事は、公路(袁術)殿の密使によって情報を得ていた。ひとまずが安心して寛いでくれ」


 張邈は疲れきっていた曹操を暖かく迎え入れたが、袁術からの密使と聞いて、喉に何か引っ掛かるような感覚を覚えた。


公路(こうろ)殿の密使だとっ。私はアイツのおかげで酷い目にあったんだぞっ」


 怒鳴るつもりはなかったが、思わず声を大にしてしまった。


「何があったんだ」


 曹操は事の発端から今までの経緯を、怒りに任せて張邈にぶちまけた。


「君の怒りはわかる。若干、行き違いがあったようだ。公路殿は必ずや君が董卓討伐の為に立ち上がる、と信じていたのだ」


「だとしても、こんなやり方は承服できん」


「では、本初(袁紹)殿が我らに相談もせず出奔した事についてはどう思う?」


「何が言いたいのだ」


「兄のように慕ってた男が突然、何も言わずに消えた。その後は連絡も取れない。だが、公路殿は我らと共に行動を起こそうとした。君の家族は彼の根回しがあればこそ京師を早めに出奔できた。そういう見方をすれば、自身の優柔不断さが危機を招いたと思わないか?」


 確かに、曹操は自分の優柔不断さを認めざる得なかった。


 董卓に叛意がありながら、仕えようとしていた。袁術が手荒い手段を使わなければ、曹操がこうして陳留に来ることも無かっただろう。そして、袁紹は一人で逃亡したのだ。


「くっ……」


「納得出来ないようだな、孟徳。まぁ、いい。今は疲れているんだろう。少し休むがよい」


「すまんな。さっきは怒鳴ってしまって。君がいなければこうして心からの休息を得ることはできなかった」


「いいんだ。さぁ、ゆっくり身体を休めておけ。」


 張邈の言に素直に従った曹操は、丸一日休息を取った。親友の邸宅では何の心配もなく、泥のように眠りを貪った。


 翌日、逃避行の疲れを癒やしたであろう曹操をみて、張邈は一つ提案を持ちかけた。


「どうだ、昨日は十分に骨休めできたか」


「ああ、一日休んだからな。だが、ゆっくりしている時間はない」


「それはわかっているが、焦りは禁物だ。なぁ、知っているとは思うが、隣の襄邑(じょうゆう)県に衛子許(えいしきょ)という人物がいる、どうだ、会いに行ってみないか。会っておいて損のない人物だぞ」


「衛子許――。彼の高名は俺も何度か耳にしている。それは有り難い話だ。是非合わせてくれ」


 衛子許とは……姓名を衛茲(えいじ)、字を子許(しきょ)という。


 陳留郡でも特に名の知られた名家で、徳と節義を持って知られた人物であった。


 若い頃は郭泰(かくたい)という名門儒家の弟子で、かつては朝廷に何度も招聘されたが、固く固辞して(まつりごと)に関わることはなかった。


 現在は陳留太守となった張邈が、密かに懇意にしている。衛茲の高名は曹操も耳にしていた。


「君ならそう言うと思っていた。襄邑までの道のりは護衛をつけるから心配いらん。君の妃と子息は俺が匿っておくから、すぐにでも会いに行ってこい」


「なぜそこまで俺に……」


「盟友だからさ。それに、自分には彼を動かす力はなかった。だが、君なら彼の助力を得られるやもしれん」


 張邈の惜しみない友情に曹操は目頭を熱くした。そして翌日の早朝すぐに出立した。


 その道中に護衛についたのが、典韋という偉丈夫であった。


 大柄な典韋は大きな矛を乗せた肩で、風を切って歩いている。


 小柄な曹操はその横で馬に乗って、手綱を引いて進む。


 その後ろからは典韋の手下が数人ついてくる。彼らも親分のように肩で風を切って歩いている。


「孟卓から聞いたんだが、俺の従弟の元譲(夏侯惇)の護衛についてくれたそうだな。張譲への邸宅に行く際に活躍してくれたと聞いている」


「元譲さんか……。あんたが従兄(あにき)なんだな。あの旅は楽しかったなぁ」


「ふふふ。元譲もそう言っていたよ。命を懸けた旅でも遊興と変わらんのだな」


「戦も遊びも、命張らなきゃ楽しめねぇですよ。そういうアンタも、董卓を相手に喧嘩売ってきたって聞いてますぜ。相当な命知らずじゃなきゃできねぇ芸当だ」


 曹操は口元を緩めて笑うばかりだった。


「いつから孟卓に仕えているんだ?」


「いや、実際には張太守の直属じゃぁねえんです。司馬(副官)の趙公に仕えてるんですわ」


「そうか。なぜ君のような逸材を側に置かないのか理解できんな」


「なんつうか、どうも俺とは気が合わねぇというか……。でもアンタとなら気が合いそうですわ」


 典韋が頭をかきながら、小声で言った。


「はははっ、俺もそう思うよ。だが、親友の部下を勝手に引き抜く訳にはいかないからな」


 旅の道中では典韋が、これから向かう襄邑県での話になった。襄邑の劉氏には世話になった恩義があり、劉氏の仇敵である李永の邸宅に単身で乗り込み刺殺したという。


「李永には百人以上の食客がいましてなぁ。その場は逃げおおせたんですが、あとからウヨウヨ追ってきて。まぁ、一人残らず返り討ちにしてやったんですよ」


「その話も聞いている。君がどれほどの豪傑なのかは、一目みれば瞭然だ」


 典韋はまたも頭を掻いて、今度は大声で笑った。襄邑までの道のりは曹操にとっても愉快なものだった。


 張邈の傘下にいる以上、この男を引き抜いて自分の部下にする事はできない。だが、いつかまた再び彼が自分の護衛になってくれる事を願った。


  衛茲の邸宅に辿り着いたのは、雲を赤く染めていた頃だった。曹操はまた会おうと誓って、護衛として同行してくれた典韋と別れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ