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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十四章  皇帝崩御
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第一七七話  任峻

 呂伯奢(りょはくしゃ)の邸宅から這々の体で逃げ出した曹操は、卞蓮(べんれん)と幼子の()だけを連れて行く事となった。


 共の者たちを連れていれば目立ち過ぎる。二手に分かれて故郷の譙県を目指す。


 女と幼子を連れて行くのは足手まといだろうという意見もあったが、曹操は逆に官吏の目をごまかせると読んだ。


「蓮、すまなかった。何事もなければ一晩はゆっくり休めるはずだった。私の愚かな勘違いのせいで、呂家の食客を図らずしも殺してしまい、あげく真夜中に逃げ出さなければならないとは」


「いえ、ご主人様。間違いや勘違いは誰にでもあることです。そして、起こってしまった事はもう変えられないのです……」


息子を抱いた卞蓮は曹操に寄り添って、暗闇の中を照らす微かな月明かりの中、まっすぐに曹操の目を見て言った。


「だからこそ、たとえ貴方が人を裏切る事があっても――、貴方だけは、人に裏切られる事があってはならないのです」


 その言葉に勇気づけられた曹操は、彼女がいればまた一歩前に進めそうな気がした。


「蓮……」


 卞蓮はこのように利発で機転が利き、危機に動じず挫けない意気を持っていた。


 しかし、彼女は歌妓の出自で、その身分の低い扱いだった。曹操の本妻にはなれない立場だ。


 本妻の丁夫人は名家の子女だが、気性が荒く虚栄心も強いので、曹操は彼女を持て余していた。


 曹操が卞蓮を常に側に置くのは、彼女の器量と才覚を必要としたからである。



 夜間に成皋(せいこう)県を出た曹操は、一昼夜眠らず東へ走りぬけ、河南尹(かなんいん)(河南郡)の東端にある中牟(ちゅうぼう)県へと差し掛かった。


 中牟県に入ると、不穏な空気に気付いた。関所でもない所で慌ただしく官兵が走り回っている。


 そのうちに、馬に跨った数十の兵に囲まれて身動きが取れなくなった。


「おそらく地元の亭長が兵を率いてきたのだ。おれ一人なら、蹴散らして突破できなくもないぐらいの数だが……」


「ええ。貴方だけなら囲み破って逃げおおせるのも難しくないでしょう。私が囮になるので、振り返らず先に行って下さい」


「何をいうか。今さらジタバタしても仕方ない。もはや運を天に任すだけだ。ここで果てるようなら、俺という男もそこまでだったという事だろう」


 卞蓮は静かに頷いた。曹操の表情と同じく、彼女も不安や迷いはなかった。


「はい――」


 おとなしく捕縛された曹操たちは、中牟県の県城まで連行され、手枷を嵌められた上で取り調べを受けた。


 卞蓮は幼子を抱いていたため、手枷はされずにそのまま別の部屋に連れて行かれた。


 曹操は狭い尋問室に連れて行かれたが、偽名を名乗って知らぬ存ぜぬを押し通した。


「貴様が曹操なのは、わかっている。素直に吐くんだっ」


 取り調べを行っている官兵は、捕らえた者すべてに同じ常套句を投げつけた。


「違います……」


 官兵の恫喝に曹操が全く動じないので、返って目立ってしまう結果となった。


「待てっ、ソイツは何か怪しい。直々に俺が吐かせてやろう」


 上官らしき男が現れて、また曹操を別室に移動させた。さらに狭い部屋で二人きりになった曹操だが、やはり動じる様子はない。


「君が手配中の曹孟徳なのは分かっている。初見だが、一目ですぐに分かる。語らずとも噂通りの傑物だな」


「さぁ……何のことだか。人違いでしょう」


「出来れば腹を割って話をしたい。私は任峻(じんしゅん)、字を伯達(はくたつ)だ。なぁ、本当のこと言ってくれないか」


「私の名は徐敦です」


「いいか、この部屋は俺とあんたの二人だけだ。もう一度いう――。本当のことを話してくれないか」


 曹操は相変わらず顔色を変えずに平然としている。任峻は咳払いして静かに語った。


「今は県令の主簿でしかないが、私も董卓には不満を持っている。いや、不満どころではない。寧ろあの男を討つべきだとさえ思っている」


「それは穏やかではありませんな。そして、貴方は自分の名を名乗った。董卓を討伐する、とまで言い放った。その意気に感じ入ったよ」


「二言はない……」


「そうか――。私が、君の探している()()()だ。焼くなり煮るなり、好きにするがいい」


 任峻は少し含み笑いをし、立ち上がって刀を取った。その腕は血管が浮き出るほどに力が入っている。


「なるほど。覚悟は出来ているようだな。それならば――」


 薪を割ったような音がズバッと鳴るった。


 すると、曹操の手に嵌められていた木製の手枷が、見事に二つに割れた。


「綺麗に()けたな。お見事だ、伯達殿。なぜ、俺を助けるのだ」


「貴方を()()と見込んでのことだ」


「私が国士……? どういう意味かね」


 任峻は改まった顔つきになると、片膝を地に付いた。そして、曹操の前で左の掌に右拳を当てて頭を垂れた。


「貴公は董卓の暴政に立ち向かい、彼奴(きゃつ)を討つ為に一人で宮中に乗り込んだとか。しかし運悪く仕損じ、羽林(うりん)兵を蹴散らして京師を脱出した。その噂は私も聞き及んでおります」


 曹操は悲しげに笑った。それぐらいの覚悟はあるつもりだが、行動に移すには至らなかった。


「その噂とやらは針小棒大になっているが、私が京師から逃げてきたのは確かだ」


 いつの世も噂につく尾ひれというものは、得てして大袈裟になるものだ。


「だとしても、貴方に董卓を討つ意志があるという事は、信じてもよろしいのですね」


「もちろんだ」


 互いに目を見合うと、任峻は頷いて話を始めた。


「この前のことですが、私の上司である(よう)県令を河南尹への昇進を推薦上表しました」


「ふむ」


「悪逆非道の董卓を野放しにして、誰も誅伐しようとしないのは日和見主義者ばかりだからだ――と、楊県令を推したつもりだった。楊県令が口火を切って挙兵すれば多くの諸将が呼応し、一万の兵を召集できる――と」


「そこまでの決意があるのなら、私と一緒に来ないか」


 楊県令を置いては行けぬ、と任峻は即答した。


「彼を河南尹に上表したものの、それ以後は何一つ進展していません。それどころか官職を捨てて逃げたいと泣き言を漏らす始末。彼では荷が重すぎたのでしょう。とはいえ、彼には恩がある故、置いていく事はできません。もし、董卓を相手に戦える者がいるとすれば――孟徳殿、貴公はその一人であると思っています」


 照れ隠しのため、曹操はあたまを掻いた。


「そこまで言われたら、むず痒くなるな。だが、誰に言われずとも俺は必ずやる。まずは旧知の陳留(ちんりゅう)に寄って友と会い、我が故郷の(しょう)に戻れば、すぐにでも従弟達と共に挙兵できるが……今は時間がない」


「貴公の故郷の()の他に、()()は縁のある場所なのですか?」


「陳留には私の盟友、(ちょう)(ばく)孟卓(もうたく)が太守として赴任している。董卓討伐の軍を組織するのであれば、彼の協力が不可欠なのだ」


「そうでしたか。もし貴公が挙兵した後に此処を通るのであれば、我らはその時こそ県を上げて貴公に仕える所存です」


「私が今日、貴殿から受けた恩は決して忘れない。力添えをもらえるなら尚の事だ」


 二人は互いに深く礼を交わし、曹操は晴れて自由の身となった。


 別室に連れて行かれた卞蓮も、幼い息子を抱いて曹操のもとへ戻ってきた。


「心配かけたな。だが、もう安心だ。これからもお前には苦労をかけるが、それでも俺についてくるか――?」


 曹操のぶっきらぼうな問いに、卞蓮は迷いなく答えた。


「はい、もちろんですとも――」


 三人は久しぶりに静かな夜を迎えることができた。

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