第十七話 孫堅
「こいつが、あの有名な胡玉か。なんや、あっけないやっちゃのう」
余裕綽々として賊たちの前を悠然と歩き回る将軍。体躯は長身で剛健、将軍然としているが、驚くほどに若く見成りもやけに質素だった。
遠くから様子を見ていた世平と呉景は、あっけない幕切れに唖然とした。
「おい、あれ……」
その将を見た呉景は、ある重大な事に気付いた。
「あ、アイツや。アイツが孫文台や!」
「アイツ? 首だけになった賊の親玉の事かね?」
「ちゃうて、将軍や。間違いない、あれが孫文台や。賊どもを猗も簡単に討ち取ってまうとはな。めちゃめちゃ強いな」
「なら、やはり海賊ではないという事か。問題は解決したな。海賊の首領を討ち取った将なら、呉家の親戚縁者も姉君の婿として文句を言う者はあるまい」
「ま、そういうこっちゃな。あの若さで将軍やったとは。信じられへん」
立ち尽くす呉景をよそに、張世平は馬に乗って浅瀬の川を渡り始めた。
一方、中洲では馬上から五人衆の若者の一人が、将軍に向かって声をかけた。
「お見事でした、将軍殿。で、軍はどこにおるんですか?」
「俺は将軍とちゃうで。ま、未来の将軍様やな。せやから軍はおらんで」
「は?」
「んな事より、ほれっ、そいつら縄で縛っとかな、逃げてまうで」
「は、はぁ」
若い五人は男の言う通り降伏した賊達を、船を停めていた縄で縛りあげた。そこに張世平が遅れて中州に着いた。
「こちらが孫文台どのですか?」
その男を孫文台と呼んだ。年齢はあの五人と近そうだ。
「軍吏やないて、あんた、何者や? 軍に合図しよんか思たで」
「あれは芝居や、芝居。軍が近くおるみたいに演じただけや。この賊ども、まんまと引っ掛かったな。で、そういうあんたらこそ何者や?」
「ええ度胸しとるわ。俺は朱(治)君理や。数えで十七。新米の亭長(役人)をやっとる。ここらの警備をしよんや」
「俺は程(普)徳謀。幽州から越して来た。こっちの男は韓(当)義公。俺と同郷だ」
「ワシぁ黄(蓋)公覆じゃ。荊州から来た。こっちのおとなしいのが祖(茂)大栄じゃ」
「みんな役人さんかい。俺ぁ親父と冨春から銭唐に商いに来ただけの男や。姓は孫、名は堅、字は文台。俺も数えで十七、よろしゅう頼むわ」
「アンタも十七か。そりゃ奇遇や。せやけど、親父さんと行商に来ただけて、ホンマか? 賊に遭遇して、ついでに討ち取った……っちゅうんか?」
「ま、そういうこっちゃ。商いついでに嫁も貰いに来たんや」
皆が唖然としてると、彼の老いた父が船から降りてきた。
「堅よい。お前、ホンマ無茶しよるな」
「そういうなや、親父。今日はお手柄を立てたったで」
なんとも拍子抜けする能天気な男だが、五人の若者には偉大な男に映っていた。
朱治は、孫堅との運命的な出会いを肌で感じた。
「文台はん。よかったら、お国の為に働かんか?」
「お国の為?」
「そうや。俺が県長に言うて推薦したるさかい。胡玉を討ち取って海賊どもを一掃したんや。黙っとっても県の方からアンタん所に出向いてくんで」
「おもろそうな話やな。この力、持て余しとったんや。お国の為に使えるんやったら本望や」
この海賊討伐を機に、孫堅は県尉(県軍長官)の役を得て、異例の出世となった。
五人の若者は後に、孫堅の麾下に入り将軍として活躍する。
地元の名門で州の従事である朱治は、この日より孫家に尽くす半生を送る。
幽州出身ながら南方の揚州に赴任していた程普(徳謀)と韓当(義公)は、後に猛将として活躍する。
荊州出身の黄蓋(公覆)と祖茂(大栄)は、知勇兼備の将として陰日向で奔走する。
そして張世平と一緒に来ていた呉景も、孫堅の傘下で将として活躍するのである。
呉景の姉と孫堅の婚姻は上手く纏まり、二人は晴れて夫婦となった。
それはさておき、張世平は師である張霊真を探す為、停泊中の賊の船内を捜索した。暗く狭い船内を探すのに時間はかからなかった。
「この海賊船ではなかったか……」
このご時世なら海賊など腐るほどいる。仕方あるまい、と諦めかけていた……その時。
「勘が当たったな――」
「うわあ!」
驚いて暗闇をみると張霊真がいる。彼の神出鬼没ぶりは健在だ。彼は船室の簡素な檻に、道士らしき者二人と一緒に閉じ込められている。
「また驚かせてしまったかね。君のおかげで助かったよ、元節。いや、今は『世平』だったな」
「霊真先生。ここにいたのですね」
「そうだ。酷い目に遭わされた」
「それにしても、何故こんなことに」
「わかるだろ。君がもっとも慕う大賢良師の差し金さ」
「そんな馬鹿な……」
「この賊も太平道の信徒さ。海賊だけじゃない、太平道はそこら辺の盗賊や山賊とも繋がっている。利用できるモノは何でも利用する。それが張角のやり方だ」
「私は、中常侍の張譲に会ってきたんです。彼も太平道の信徒でした」
「彼だけじゃない。張譲の取巻きの宦官らもそうだ。驚く事に、浮屠とも繋がりを持っている」
「聞きました。大賢良師は、浮屠の経典を元に太平清領書を作り上げたと」
「張譲はそこまで暴露したか。太平清領書は何度か献上されたが、人を惑わす妖書として認められなかった。内容が不完全だったのだ。だからこそ、張角は浮屠の訳経典を元にして太平道の経典を作り上げた」
「実は、浮屠の訳経典を張譲から預かってます。これを大賢良師に届ける予定でした」
「私が大賢良師を裏切ったので連れて帰れ、という訳だな。私を捕らえ、訳経典を鉅鹿へ持って帰るか?」
世平は手にしている浮屠の訳経典を手に、静かに首を横に振って笑顔を見せた。
「そうか。だが、鉅鹿に帰るんだろう? 私を逃した件はどう説明する?」
「なんとでもなるでしょう」
張霊真は短い白髭を触りながら、何度も頷いて世平の顔を見た。
「なら、檻から出してくれ。外に出て話したい。ここは息苦しい」
世平は慌てて暗い船室の中で鍵を探し始めた。話に夢中で檻にいる事を忘れていた。
「鍵はない。その頑丈そうな木板を横に動かしてくれ」
なるほど、と世平がつぶやくと、霊真のいう木板を横に動かした。牢中からは触れない構造になっている。
牢に囚われていた浮屠の三人を出した後、他の道士を残して世平と霊真の二人は船の甲板へと出た。




