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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十四章  皇帝崩御
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第一六七話  帰還

「宦官が陛下を連れて逃げただと!」


 袁紹と袁術が放った言葉は、ほぼ同時だった。彼らは宦官を殺戮するのに夢中で、皇帝のことなど頭の片隅にもなかった。


「盧尚書(ろしょうしょ)らが後を追っています。我らもあとを追いますか?」


「今さら我らが追っても間に合わん。陛下の御身は、盧尚書に任せておこう。先に十常侍どもの首を確認するのだ」


 最初に殺された趙忠(ちょうちゅう)、何一族と同郷の郭勝(かくしょう)、夏惲(かうん)、孫璋(そんしょう)、畢嵐(ひつらん)、栗嵩(りつすう)、高望(こうぼう)、張恭(ちょうきょう)、韓悝(かんかい)、宋典(そうてん)……の十人の首が並べられた。


 その他、二千人近くいた宦官は根こそぎ殺されて、北宮内は惨殺死体と血の臭いが充満している。


「張譲と段珪の死体が見つからないようです」


「逃げたか……。奴だけはこの手で仕留めたかったが」


 袁紹は血の海の中で、復讐の宴に酔っている。宦官を人だとは思っていない。無事だったのは宮女たちだけだ。


 あまりの酸鼻(さんび)に気絶した宮女も少なくない。にも関わらず宮女達は、翌朝には血の池となった北宮内の清掃を命ぜられた。


「あなたの言う通りだったわね。こんな恐ろしい事になるなんて」


 血の海となった宮廷で清掃をしながら、紅晶は冷静に小声で話す。


「君のおかげで助かった……」


「喋らないで。ほとぼりが冷めるまでは当分、その格好でいるのよ」


 蘇脩は宮女の服を紅晶から借りて女装していた。宦官は女装して化粧すれば女に見えなくもない。


 こうして、宮廷内での惨事は終わりを告げたかに見えた。だがそれはほんの序章に過ぎなかった。


 董卓は軍勢を引き連れ、早朝から皇帝らの捜索を続けていた。


「まだ手掛かりは掴めていません……」


「そんな報告はいらんっ。死ぬ気で探せ!」


 董卓は部下に不眠不休で捜索を命じている。苛立つ心を抑えて知覚を研ぎ澄ませた。


「そいうや、顕陽苑(けんようえん)で変な童謡を聞いたな。侯は侯に非ず、王は王に非ず、千乗万騎が北芒に走る……」


 この童謡は雒陽の近辺で盛んに唄われていたという。


「勘を頼るか」


 董卓は北の方角を見て願掛けし、軍勢をまとめて北芒へと急いだ。


 北芒(ほくぼう)とは雒陽の北東にある丘で、皇族の墓地としても知られている。


「なんだ、あの軍勢は」


 皇帝らと共にいる閔貢は、南から部隊が迫って来るのを見た。


「陛下、ご安心下さい。護衛がようやく迎えに参ったようです。丘を降りて彼らと合流しましょう」


 迎えに来たのはかつて太尉だった崔烈(さいれつ)である。閔貢の部下が闇夜を走り、報を聞いた王允が彼を迎えに寄越したのだ。


「陛下っ、遅くなって申し訳ございません!」


 皇帝は眼前に平伏した崔烈に目もくれず、横に視線をやっていた。 


「あれは……」


 南西の方角から、黒尽くめの異様な軍勢が向かってくる。


「あ、あれは……西涼から来た董将軍です」


 騎馬隊を先頭に数千の歩兵を率いた董卓は、砂煙を巻き上げながら北芒山の麓へ辿り着いた。


 崔烈の到着から少し遅れての事だ。董卓も馬を降りて皇帝の前に膝をついた。


 その巨躯はまるで猛獣のような威圧感を相手に与える。腕や足は丸太並である。


「陛下。私が来たからにはもう安心ですぞ。私が直々に京師までお送りしましょう」


 皇帝は董卓の軍勢を見て少々驚いている。崔烈は皇帝の動揺を感じ取り、董卓を叱責した。


「貴様が董卓か。陛下の前で無礼な振る舞いは許さんぞっ。まずは貴様のむさ苦しい軍兵を十里退かせろっ」


「クソやかましいっ!」


「うっ」


 崔烈は董卓の一喝で腰を抜かし、言葉がでなくなった。


「昼夜問わず陛下の為に三百里走り抜けて来たのだっ。貴様如き役立たずに、退けと言われる筋合いはない! これ以上余計な事ほざいたら頭カチ割るぞ!」


 皆、董卓の気迫に呑まれて動けない。


「ふん……」


 董卓は皇帝の側に寄って拝謁したかと思うと、とんでもない言葉を吐いた。


「陛下。この度の中常侍らの騒ぎは、自業自得と言えるでしょうな」


 自業自得なのは、宦官なのか……それとも皇帝を指すのか。いずれにせよ、皇帝の面前で不敬にあたる発言だ。


 それでも董卓に口答えできる者は誰一人もいない。


 董卓は不穏な空気を意にも介さず、陳留王に歩み寄った。


「私が前将軍の董卓です。お抱えして差し上げましょう」


 と閔貢の胸に抱かれていた陳留王を勝手に抱き上げた。


「ぐふふ」


 董卓はニヤけながら周りの者に陳留王を見せびらかした。


「い、いやだっ、おろして!」


 董卓に抱かれるのを嫌がり暴れるので、仕方なく陳留王を離した。すぐに閔貢の足元に走って行きしがみついた。


「ふん……まぁ、いいだろう」


 と小声で言うと、董卓はサッと騎乗した。


(見たところ、皇帝は大した人物ではない。弟の陳留王は、まだ幼いが使える……)


「さぁ、京師に帰りましょう。我軍が先導して行きます。おい、役立たず! すぐに陛下の馬を用意せんか!」


 唖然としていた崔烈だが、我に返るとすぐに馬を二頭用意した。皇帝は馬を差し出されると一人で騎乗し、陳留王は子供なので閔貢と一緒に騎乗した。


 董卓が馬上から皆に下知すると、軍が一斉に動き出す。


「この私が側におりましょう。役立たずどもと違って頼りになりますぞ」


 董卓は陳留王と閔貢が乗った馬の横に付いた。まるで自分が皇帝を救出したと謂わんばかりだ。こうして、この奇妙な一行は、早々に京師への帰途に就いた。


 皇帝の生還を知った袁紹や袁術らは、宦官らが脱出した雒陽城の北、穀門にて帰還を待った。


 助けだされた何太后も、皇帝の帰りを心待ちにしている。何太后は懇意にしていた宦官らを失い、更に兄弟の何進や何苗も失い、蛻(もぬけ)の殻になっていた。


 今の望みは、ただ……息子である皇帝の無事だけだ。


 助け出されたとはいえ、異様な地響きと共に現れた董卓の軍勢の先頭にいると思うと胸騒ぎを抑えられない。だれもがそう思っただろう。


「見えてきたな。あれが前将軍、董卓の部曲(ぶきょく)か」


 最強と謳われる董卓軍を間近で見るのは、袁紹も初めてだった。後ろからは崔烈たちが申し訳程度に後を付いて来る。


「袁(えん)中軍(ちゅうぐん)。少し居ぬ間に、京師が大混乱に見舞われていたとは露知らず」


 董卓が雒陽に帰還する少し前に、故郷の泰山で募兵を終えた鮑信(ほうしん)が帰還していた。董卓の軍勢が来るのを遠目に、袁紹と二人で話している。


「先ほど戻って来たそうだな。ご苦労だった、鮑(ほう)騎都尉(きとい)」


「ありがとうございます、袁(えん)中軍(ちゅうぐん)。司隷校尉(しれいこうい)に昇進されたそうで。寡兵ながら精鋭を集めて戻って参りました。成皋に着いた際に大将軍が殺されたと知り、火急で戻った所存。誠に心痛み入ります」


「うむ。諸悪の根源である宦官を滅ぼし、その上、陛下も無事に保護されるに至って、大将軍の無念を晴らし弔う事が出来た」


「袁司隷(袁紹)のご尽力があっての事でしょう。しかし、これで陛下の無事が保障された訳ではありません。あの董卓とかいう西涼の荒くれ者を今討ち滅ぼすべきかと」


 鮑信は率直に袁紹に進言したつもりだが、袁紹はあからさまに態度を硬化させた。事もあろうか、董卓を討てとの進言。


「何を言ってるんだ。陛下を護衛し、京師の治安を維持する為にこそ、董将軍を呼んだのだぞ」


「大将軍の主簿(陳琳(ちんりん))や盧尚書も董卓の召聘に反対していたと聞きます。実際に奴の軍容を見たら同じ気持ちに成らざるを得ません。董卓は必ず良からぬ事を企んでいると思われます」


「馬鹿な。軍容を見ただけで何がわかるのだ」


 董卓の軍勢を見ながら、鮑信は無遠慮な返事を袁紹に見舞った。


「見てわかりませんか。公卿百官を後に引き連れ、自軍を先頭にし、不遜にも陛下の隣に並んでいる。自身の権勢を誇示して陛下を蔑ろにしているとしか思えない。必ずや謀反を起こし漢室に害を加えるに違いありません」


「そんなのは杞憂に過ぎん。私と大将軍があの前将軍(董卓)を召し出したのだぞ。逆に討ち滅ぼすなど、天下の笑い者になってしまうぞっ」


「言っておきますが、董卓を滅ぼすのは今を置いてありません。貴方ほどの名声があれば、汚名などすぐ返上できます」


「もうよい! そんな戯れ言は聞きたくないっ!」


 袁紹は捨て台詞を残してその場を去った。鮑信も動じず「では」と一言置いた。


 そして、城外に駐屯する自軍に戻り、帰郷の支度を始めた。

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