第一四九話 野望
翌日、管統と石真は、少数の供の者をつれて、世平のいる昆嵛山へと向かった。
天気が良い日は、木漏れ日が緑に輝き、小鳥が囀る美しい森だ。が、曇や雨の日となると、たちまち霧が立ち込め、鬱蒼とした密林に変わり、昼間でも近づき難い樹海となる。
むしろ晴れた日の方が少ないくらいだ。生憎、この日はどんよりした灰色の空が広がる、薄暗い曇の日であった。
「世平どのは、こんな所に住んでいるのか……? 真人を目指す道士なら、断崖絶壁の上とか、霊峰の山頂に住むとか、そういうものだと思っていたが……」
「そうなのか? どこに住んでようが、知ったこっちゃないが、あのジジイは、真人とか仙人とかいう類なんかじゃないぜ。だが、見た目はそう見えるかもな」
「まぁ、見た目も重要な要素だ。舐められるような外見じゃ、話にならねぇからな」
信心深い割に、現実的な事をいうのが、管統という男の面白い所だ。石真はそう思った。
岩肌の付近に建てられた、世平の住処が見えてきた。住処というよりは、苔の生えた掘建て小屋にしか見えない。
大柄な石真と管統の二人で入るのがやっとの広さだが、二人は世平に会うため、腰をかがめて入っていった。
「石真か……。思ったより、帰ってくるのが早かったな。おや、客人かな?」
世平は掘建て小屋の奥で座禅を組んでいた。客が入って来たのに気付き、普段通りの様子で石真を出迎えた。
そこには見慣れない客人もいたが、世平は動ずる事なく招き入れた。
「はじめまして、張大方。私は長広の管一族を束ねる元瑞という者です」
顔は岩石のようにでこぼこして、髪も髭も真っ白い。部屋の中も服装も整えてあり、不衛生な所は感じられない。
世平を取り巻く雰囲気すべてが、管統には好印象だった。少なくとも見た目だけでも合格点だ。
そして、世平の眼を見た時、その瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。世平のまぶたは下に垂れ落ち、その上から長い眉毛が伸びている。
眼力というにはあまりに小さな眼だが、管統には何か感ずる所があったようだ。
管統は単刀直入に心の内を世平に話した。青州に残った太平道信徒たちの指導者として、起って欲しいと訴えた。
「私はもうただの老いぼれだ。太平道には世話になったが、すでに信徒ではない。何もできることなどない」
「貴方を慕ってここに集まってる民衆が、大勢いると聞いております。私は無知ですが、人々にこの教えを広め、太平の世を築く手伝いをしたいと思っている。そのためにも貴方の力が必要なのです」
「すまぬ。私にはそんな力はない」
世平にも管統の熱い想いが伝わったが、首を縦に振ることは遂になかった。苛立ちを隠さず管統は詰め寄る。
「世平どの。言わせて頂きますがね、俺達がこうしている間にも、外の民衆は飢えて死んでいってる。その元凶は言わずもがな、くだらん天子や政治家どもが世を治めているからだ! 俺は大賢良師のように漢を潰そうとまでは思ってはいない。いずれ自滅するのは目に見えているからな。まずは青州の民を太平道によって救い出すんだ。その為には世平さん、貴方の力がどうしてもいるんだ」
「私を買いかぶり過ぎだ。私には民衆を導ける才幹も器量もない。私を慕う者もいるが、慰めてやることすら出来ん。ただ、彼らと一緒に田畑を耕して汗を流すだけだ」
石真は管統の肩を叩き、彼が振り向くと何も言わず頷いただけだった。世平に何を言っても無駄だから諦めろ、と言いたいのだ。
「そうか。それなら仕方がないな。実力行使で牟平を落とし、その勢いを駆って黄県を落とそうか。東莱郡は火の海になるかもしれんな。太平の道を推し進めるには多少の犠牲はやむを得ない」
管統は恐ろしい目つきで世平を見つめた。世平の目には、管統の思惑が見え隠れしているのがわかる。世平はあえて何も言わずに黙りこんだ。
「ジジイ。今ならこの男を止める事が出来るかもしれんぞ。アンタが首を縦に振れば、それで話が終わりじゃないか」
「すまん……」
石真は無理だとわかっていながら、最後の説得のつもりで言葉を付け足した。が、世平はついに黙りこんでしまった。
目を瞑り黙する世平に一礼すると、管統は小屋を出ていった。続いて石真も後を追って外へと出て行った。
「言った通り頑固なジジイだったろ」
「ああ。だが、お前が言った通り、張世平には何か言葉では説明できない不思議な魅力がある。大賢良師の面影を感じるような気がするな。それに、人を苛立たせるくらい懸命な奴だ。お前が何度も殺したくなったのがわかったよ。まぁ、張世平には何を言っても今は聞く耳を持つ気はないようだが、そのうち嫌でも動かざるを得ないようになる」
実際には二人にとって張世平を動かす良い案などなかった。石真はもう張世平に固執する必要はないとさえ考えていた。
鬱蒼と生い茂る森の中を海に向かって進みながら二人は歩き続ける。
「予定通り、牟平の県城を攻め落とすぞ。宋全にも海から陸に上がって攻めるように指示するから、石真……お前も手伝ってくれ」
「わかった。でもな、少し気になったんだが、ほら、アンタが言ってただろ。武力で攻め落とすよりも、人の心を攻めることの方が重要なんだと。人の心攻めるとはどういう意味なんだ?」
「なんだ急に? 人の心を攻めるというのはだな、要するにだな、民衆に太平道の素晴らしさを教え広める事だろ」
「県城に攻め込めば、結局は民衆が犠牲になる。黄県もそうだが、どこの県城もまともな兵がいない。緊急の際にはそこら辺の農民や流民が駆り出されて無理やり戦わされるんだ。もっとも、飢えに苦しんでいる流民にとっては一時的にでも飯が食えるから、ありがたる者もいるだろうが」
「ほう。県令をしていただけの事はあるな、石真。だがな、さっきも言ったが多少の犠牲は仕方がないだろう。そもそも中黄太乙を信じられぬ者は、犠牲とも思わん」
「中黄太乙を信じていないのではない。その教えをまだ理解していないだけだろう。今こそ民衆一人一人に教えを浸透させてやるんだ。それこそが、人の心を動かす、人の心を攻める事なのではないか?」
「それはわかっているが、どうやるんだ、具体的に」
「基本に立ち返るべきだと思う。かつて太平道が行っていた、告解による病の平癒、その後の入信と、中黄太乙への信奉、志半ばで逝った大賢良師の忠実に継いでいくんだ。そして……、大賢良師の意志を受け継いだ一番弟子が昆嵛山の奥深くに潜んでいると神秘的な噂を民衆に吹き込んでいくんだ」
石真の導き出した意見は管統の心を打った。しかし、当の石真は真剣に中黄太乙を信奉しているのではなかった。あくまで太平道の立て直しと復興に着眼点を置いたのだ。
「そんな事出来るのか? あの張世平がいてくれるならともかく、今いる俺たちの部下は戦う事しか知らない荒くれ者ばかりだぞ」
「いや、そんな奴らばかりじゃない。俺の部下も荒くれ者ばかりだったが、多少なりとも太平道の道士たちから手ほどきを受けた者もいたし、その者たちは世平のジジイに仕えている。なぁ、元瑞。アンタの部下にも道士になれる素質を持っている奴がいるかもしれん。そういう奴らを選り抜き、民衆を導く道士を育てる」
「そんな事が出来るのか?」
「何事も最初は形から入るモノだろう。続けていれば本物になる。大賢良師という偉大な先人が、すでに道を開いてくれているんだ。俺たちで上手くやれば、なんとかできるんじゃないか? そんな風に思わせたのは、アンタなんだぜ。俺はアンタに出会ってなければ、ただの山賊で終わってた」
管統は石真の両手を取って顔を見合わせた。そして二人は頷いた。
だが、太平道という組織の持つ魅力と、再構築する可能性を見出した自分に驚くと同時に、見失いかけていた自身の野望に気付いた事に喜びを隠せなかった。




