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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十二章  追奔逐北
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第一三〇話  弓

「おい、コイツをこんなにボロボロにした理由はなんだ?」


 関羽が持ち上げた子義の顔は、顔じゅう血だらけで、白目を向いて気絶している。


鞠室(きくしつ)ん中から出てこねぇからよぉ、ちいとわからせてやったんだでぇ」


「チッ、コイツを運んで手当てしてやれ」


 子義は馬に担ぎ乗せられて劉備のいる邸宅に運び込まれた。


 すぐに話を聞きつけてきた劉備が、子義を担ぎ込んで手当している部屋にやってきた。


「おいおい、何やってるんだっ。こんなボロボロの怪我人なんぞ連れてきやがって」


「益徳が通行人に暴行を加えて瀕死の状態になっていたので、やむを得ずここへ連れてきました」


 関羽が劉備に告げ口するが、張飛も悪びれる様子は感じられない。


「何言ってるだよ、鞠室ん中で寝てやがったんだべ」


 劉備は溜め息をついて腕を組み、張飛に対して睨みつけた。


「益徳。無闇に暴力を振るうんじゃないと言ってるだろうが」


「こいつは口の聞き方がわがってながったでさ」


(益徳に何を言っても始まらぬ……)


 手の焼ける末弟を諭すのを諦めて、関羽に話を振ってみた。


「雲長、経緯を見てたのか」


「私が駆け付けた頃には、すでに益徳によって滅多打ちにされていました。それでも最初はこの子義という男が善戦していたようです。最後に気になることを言ってました……強くなりたい、と」


「子義? 子義というのか。強くなりたい……か。面白い男かもしれんな。益徳、お前が面倒みてやれ。絶対に死なすなよ」


「へぇ? お、オラ?」


「文句あんのか?」


「い、いんや……。ねぇですっ」


「よし」


 劉備の言葉には逆らえない。張飛には子供の頃に植え付けられた、劉備に対する恐怖心がある。七歳年下の張飛は、劉備がガキ大将だった頃からの子分だった。

 

 だが、荒くれ者の張飛が劉備に心服していたのは、恐怖心からではない。劉備に叩きこまれた義侠の心構えがあるからだ。


 その劉備から子義の面倒を見ろ、と言われたのだから、実行せねばなるまい。だが、自分流のやり方で子義の面倒を見ても良いのだと、張飛は勝手に解釈した。


 子義の容態は打撲の酷さで、一時は高熱に魘されたが、一晩を超えてからは驚異的な回復力で体力を取戻していった。


 もちろん、子義に対する献身的な介護を行ったのは、張飛でなく士仁やその部下や下女たちである。


 二日後には顔の腫れも引いて、起き上がれるようになった子義だが、その日の昼過ぎに面会に来た張飛へ不躾な言を放った。


「何しに来た。消えろよ」


「ああ? また殴られてぇのか? 誰のおかげで生きてられっと思ってんだっ」


「少なくともアンタのおかげじゃあないな」


 子義はニヤリとして皮肉を返してやった。張飛もニヤリとして目をひん剥いた。


「殺す……!」


 怒りを抑えきれない張飛は、机を蹴り上げて飛ばした。


「うりゃぁ!」

 

 子義は飛んできた机を避けたが、張飛に首根っこを掴まれた。


「ぐうっ……!」


 だが、何かを思い出したかのように眉間に寄った(しわ)が穏やかになり、子義の首から手を放してやった。


「くっそ、殺しちまう所だったで。おっめぇ、オラのアニキに感謝すんだな」


 その後すぐに、大きな物音を聞きつけた張飛の部下やら何やら数人が駆けつけた。


「どうしたっ! なんださっきの音は?」


 子義は首元を手で押さえて、咳払いを二、三度している。


「益徳さん、何があったんですか?」


「うっせぇ、なんでもねぇ」


 駆けつけた部下に悪態をつく張飛。子義は息を整えると張飛に質問をした。


「兄貴だと? アンタの兄貴が俺を助けたのか」


「おお、感謝しろよオメェ。ウチの兄貴はなぁ、この安喜(あんき)の県尉だ。劉県尉ってんだ」


 県尉という官位名を聞いた途端に、子義の表情が緩んでいくのがわかる。


「劉県尉。懐かしい名だ……」


「オラの兄貴を知ってるだか?」


「いや、オレはかつて黄県の県尉に親身にしてもらっていたんだ、結局は裏切られてしまったが」


「へぇ。オメェもオイラと同じ役所勤めのモンか」


「役所……? アンタ、官吏なのか……?」


「ああ? ……ああ、玄徳兄貴に仕えてっから、一応そういう事になるな」


 子義は行儀良く足の脛を地に付け、張飛に謝罪した。


「本当に申し訳ありません、今までの非礼をお詫びします。まさか、貴方が官吏の方だったとは」


 急に畏まって正座して謝罪する子義に、張飛も変に改まっている。


「え? あ、そ、そっか。わかりゃあエエんだ。オラの方こそ、ちいっと殴っちまって済まねかったな、ガハハハ」


「ちょっとじゃねぇだろ、益徳。まったく単純な奴だな」


 関羽が部屋に入ってきてすぐに皮肉を言い放った。子義が目を覚ましたと聞きつけてやって来たのだ。


「るせぇなぁ。コイツの面倒みてやろうって言ってんだ。強く成りてぇんだべ? 子義よぃ」


「はい、強くなりたいです。俺はてっきり、あなたたちが賊の残党か何かかと勘違いしてました」


 関羽はクスリと笑って張飛の肩を叩いた。側にいた士仁は申し訳なさそうに下を向いている。


「確かに、お前のしかめっ面を見りゃあ、山賊と間違われても仕方ねぇだろうよ、ハハハ」


「あぁ? 雲長兄貴の方がおっドロしい顔してるでねぇか」


 周りにいた連中は子義も含めて大笑いした。張飛や関羽も釣られて一緒に笑っている。


「それにしても見事な弓を持っているな、子義とやら」


 関羽の言葉通り、見事な装飾を施された大きな弓である。弦の長さが、張飛や子義の背丈と遜色のない大きさだ。


 騎馬民族の多い北方に限らず中原では、馬に乗りながらでも扱いやすい、四尺程度の弓が用いられる事が多い。七尺を超える長弓の存在は珍しく、実用的でない飾り物の弓が多かった。


 古代より中原では威力のある飛び道具としては、(クロスボウ)が主力であり、長弓は発展しなかった。


 余談ではあるが、魏志(ぎし)東夷伝(とういでん)倭人条(わじんじょう)(魏志倭人伝)には、倭人が長弓を扱っている点について触れられている。日本民族は、後世まで長弓を扱い続けた世界有数の民族である。


「はい。これは出立の日に孔文挙(こうぶんきょ)さまに頂いた弓です」


「孔文挙……? 誰だそりゃ。知ってるヤツいるか?」


 張飛が目をギョロギョロさせながら皆に聞くが、関羽を含めて誰も知っている者はいなかった。北方では孔子の末裔の存在を知らないのかと子義は勘ぐってしまった。


 劉備の集団の中で博識ぶっていた関羽は、話を誤魔化すように子義の弓に話題を変えた。


「それより、えらく馬鹿デカイ弓だな。こんな長い弓じゃ速射もできないし、騎射もできやしないだろう」


 子義は頷いて弓を持ち上げた。


「私は昔から弓が得意でよく練習しておりました。こんな大きくて凄い弓を扱った事はありませんが、必ず使い熟してみせます」


 何を言ってるんだコイツは、と張飛は思った。だが、敢えて口には出さなかった。恐らくその場にいた者達もそう思ったであろう。


 子義のたぎる潜在的な能力の開花を、誰も予想だにしていなかった。

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