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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第二章  草行露宿(そうこうろしゅく)
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第十三話  揚州

 張譲ちょうじょうの屋敷から出るとすぐ、腕を組んでいる若者が立っているのが見えた。なんと蘇双が待っているではないか。


 彼の姿を見た途端に、張倹の心は張世平へと戻っていった。


「何故、ここがわかったのだね?」


「そんなの知りませんよ。ただ、貴方を探してここを通りかかったら、貴方がいたのです」


 蘇双が世平に向かって、いささか立腹ぎみに言い放った。


「それは偶然だな。それより、すまなかった。だが、これで遠回りせずに済んだようだったな。張中常ちょうちゅうじょう殿とは話がついたよ。先ほどすでに大賢良師たいけんりょうし様への使いも出してある」


 世平の話に蘇双はあっけに取られたのか、頓狂とんきょうな顔をして突っ立っている。そもそも張中常という人物が誰なのかさえ判っていないのであろう。


「張中常? ここは、その方の邸宅ですか?」


「そうだ。これで私の役目もこれで終わった。さぁ、一緒に幽州に帰えろう」


 世平が世を向けて立ち去ろうとしたが、蘇双はその場を動かず、後ろから申し訳なさそうに声をかけた。


「それが……実は、貴方を探している間に、雒陽に住んでいる同士より、もうひとつ新しい任務が届いたのです」


「一体、何だ。京師に着いて早々にか。誰からの指令だね?」


「はい。実は先ほど馬大方ばたいほうの部下だという同士から、揚州(ようしゅう)方面の方の一人である、張大方に不穏な動きがあるという報告が入っておりまして……」


馬大方ばたいほう? ああ、馬元義ばげんぎか。京師に出入りしているとはな。それより、張大方とは張霊真ちょうれいしん先生の事かね?」


「え、ええ。恐らくはそうでございましょう。確か、張大方と貴方とは旧知の間柄であるとお聞きしましたが」


「いや、まだ知り合ってから日は浅いのだが、まるで昔から彼に教えを請うている気がしている」


「そうですか。知人であるなら話は早い。それではすぐよう州へと出発しましょう」


「なんだと、揚州? まだ南に向かえというのか。何日かかると思ってるんだっ。それに、とある任務を大賢良師から言付かっている。鉅鹿に一度戻ってそれを届けねばならん」


「ですが、急ぎの用事だからと私も命令されたのです。すぐに出発しろと。これも大賢良師のご意思だと」


「どういう事だ。私の方は確かに『急ぐ必要はない』と言われたが、非常に貴重な物を預かっている」


「貴方の用事が急ぐ必要ないのなら、先に張大方……張霊真さまを追いましょう」


「追って何が出来るというんだ……」


「でも、行かなければ」


 張世平は手に抱えていた訳経典を見て、何かの因果を感じた気がした。張霊真にもう一度会いたいという気持ちも多分にあった。


「仕方ない……。それでは揚州に向かうとするか」


 結局、張世平と蘇双は新たな旅に出る前に、必要な物資を雒陽で供給し、一泊もする事なく雒陽から離れる事となった。


 張譲の邸宅で起こった騒ぎの為に閉ざされていた城門は、夕方には開放されたが、日の入りと共に閉じられてしまう。


 二人は急いで出立の支度をすると、すぐに城門を出て雒陽から立ち去って行った。


 馬元義からの情報で張霊真がいると思われる正確な場所は聞いている。揚州九江(きゅうこう)郡の寿春(じゅしゅん)県に滞在しているらしい。


「任務の内容は、巴蜀(はしょく)に向かおうとしている張霊真を連れ戻す事……そう聞いております」


 揚州に向かう道中で世平と蘇双の二人は、任務の話にはそれほど触れずに、幾度となく取り留めのない話をしていた。


 それは……世平が、しきりに蘇双という若者の出自や、太平道で育った経緯を知りたがったからだ。


 蘇双が過去の話をする時はいつも、若者らしからぬ落ち着きで淡々と語るだけだったが、一度だけ悲しみの表情を浮かべながら話をした事がある。


「私には生涯を誓い合った許嫁がいました。と言っても私と彼女の二人だけで“奔”の約束したのですが」


 身体は大きいとはいえ、その顔つきはまだあどけなささえ感じるほど若い蘇双に、許嫁がいたというのだ。


 当時としては十代前半での結婚は珍しい事ではなく、一般庶民は「(ほん)」という言葉が、高貴な身分のいう“婚”を意味していた。


「彼女も私と同じく孤児で、同じ道館で幼き頃より一緒に育てられていたのです。成長するにしたがい、私達はお互いを意識し合うようになっていったのです」


 世平には考えられぬ話であった。士大夫の世界では、妻を娶る前にお互いの顔を見ることさえ有り得なかった。婚前の自由恋愛など許されるような時代ではなかったのだ。


「私には到底理解できぬ話だな。で、その許嫁は、今はどうして居るのだね?」


 蘇双は少し黙りこんで、宙をぼんやりと眺めながら言った。


「結局、私達の関係が父にバレて、引き離されてしまいました。許された恋ではなかったのです。私の妻は高貴な家の娘でしたから」


「当然だろう。親の了解を得ずに婚姻するなど、そんな事が許される訳がない」


 すると、蘇双が急に声を荒らげて怒鳴るように世平に言ったのだ。


「世平様はまだ儒教思想から抜け出せていらっしゃらないのですね。私のような最下層の民にとって相思関係にある男女が」


 淡々と話し続ける蘇双の昔話に、世平はズカズカと割って入ってきた。


「思想は関係ない。また互いに相思の関係だろうと意味はない。これは常識の話だ。それより……何故、私が儒教思想に取り憑かれていると思ったのかね?」


 蘇双は口をつぐんで黙りこくった。その日、二人が交わした会話はそこまでであった。


 しかし不思議なのは蘇双が今まで、世平の出自や過去を一切聞こうとしなかった事だ。


 世平にとっては聞かれたくない過去であるし、過去について余計な詮索をしない蘇双の存在は、旅を一緒に続ける者として得難い存在なのかもしれない。

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