第一二九話 打鞠
黄巾の乱が起こった光和七年(一八四年)、劉備たちは校尉の鄒靖の下で戦果を挙げた功績により、中山国安喜県の尉(軍長官)を拝命していた。中山国は、劉備の故郷である涿郡の隣にある。
この県も涿郡に引けを取らない辺鄙な地で……大地には果てなき大草原が広がっている。古代から遊牧民のように馬と慣れ親しむ土地柄であり、名馬の産地でもある。
劉備が幽州で挙げた戦績は、州都である薊での黄巾賊鎮圧。他にも小規模の反乱をいくつか討伐した。
それらは、鄒靖に付かず単独での行軍もあり、公式の軍功としては扱われなかったが、それでも県尉という要職に就けた。
劉備は討伐した黄巾賊の残党を吸収し、自身の部曲(私兵)とした。その部曲で治安維持を担う。
ここから百里(四十キロ)ほど南下した所に、黄巾の大乱にて張角の弟、張宝が最後まで頑強に抵抗した拠点、下曲陽県がある。
戦乱から三年近く経つが、下曲陽の人口は極度に減少し、近隣の安喜県までその余波が影響していた。
故に安喜県での税収は少なく、劉備は自分の部曲を養うのも一苦労なのである。
何より立身出世を望む野心家の劉備にとって、田舎の平凡な毎日を味わうには若すぎた。
そんな平穏な日々にも多少なりと事件は起こる。張飛がおこしたいざこざは、退屈凌ぎに潤いを与える出来事であった。
張飛と関羽は日々の訓練に余念がない。広がる大草原に飛び出し、劉備の部曲たちと騎馬による競技に勤しんでいた。
蹴鞠という鞠を足で蹴る競技だが、日本でいう蹴鞠とは違って、二班それぞれ各六~十二人に別れて試合をする。
鞠室と呼ばれる新月型の枠がある球門が両端に六つある。芯に毛髪を詰め革袋で覆われた鞠を、足で蹴って球門に投入する球技である。
この球技は春秋戦国時代からあり、漢代には広く普及しており、特に軍隊の訓練の一環として推奨されていた。また、宮廷の遊びとして、宮女も嗜んでいたとも言われている。
細かい規則が定められており、公平な試合運びができるように審判もいた。それぞれの班には指示を出す監督もいたという。
だが、張飛や関羽が試合っていた球技は、蹴鞠とは似て非なるものであった。皆が馬に操って競技を行う。槍先を竹製の熊手に代えて鞠を奪い合い、球門に放り込むという、特殊な競技だ。
日本にも、馬上から打棒を使って毬を打つ打毬という伝統武芸がある。宮内庁や東北地方で文化として残っている。中国から奈良時代に伝わったとされている。
張飛たちはこの競技を打鞠と呼んでいた。
始めの頃は、張飛と関羽を除けば、まともに試合すら出来ない者ばかりだった。それでも試合を重ねるごとに、皆の士気は上がり腕も上達していった。
ある春の日の朝、残雪が消えかかる平原の上で、いつものように打鞠をしていた所に、ふらりと体格の良い若い男が、大きな弓を抱えて現れた。
「益徳さん。鞠室ン中で寝てるふてえ野郎がいるんすけど、どしたらエエですか?」
眠ぼけ眼であくびをしている張飛に、部下の士仁が頭をポリポリ掻きながら尋ねた。
「ああ? 誰だソイツは。すぐに放り出せっ」
張飛は逆立つ虎髭を振るわせ怒鳴りあげた。
「んだども、そいづがまた手強ぐって。オイラだちでは敵わねぇんでさ」
「あんだけ毎日訓練しでるっつうのに、一人にかなわねぇのが?」
張飛は報告に来た士仁を罵倒しつつ部屋を出ると、競技用の柄の長い熊手を手に馬に飛び乗った。
「おめえら、ついて来いっ!」
「おう!」
一斉に皆が馬の背に乗り込むと、遠くに見える鞠室へと向かった。騎馬十数頭が横一列に隊列を組んで颯爽と草原を走っていく。
走り去る馬たちの影が朝日に映える。距離はそう遠くなく、馬で駆ければすぐ辿り着く。確かに鞠室の中に人が座り込んで寝ている。
目当ての鞠室の周りに、張飛を中心として騎馬がぐるりと囲んだ。そして鼓膜が震えるほどの大声で張飛が怒鳴った。
「オイ、小僧っ、はよう出てごい!」
男はゆっくり立ち上がり、肩や首を回しながら鞠室から出てきた。
「何だっ、朝っぱらからウルせぇなあ」
背丈は七尺七寸(約百八十センチ)ぐらいあり、張飛と同じくらいだ。張飛に較べると身体の線は細く見えるが、筋骨隆々で強肩な身体つきをしている。
齢もまた張飛と同じくらいに見える。口髭と顎鬚は立派だが張飛のような虎髭ではなく、短く整った形をしている。腰には刀を帯び、背には立派で綺麗な大弓を背負っていた。
「おう、思ったより骨のありそうな奴だな」
張飛は熊手の槍を手に、馬から降りて男に近づいた。
「てめぇ、名前は?」
「俺は太史……子義。青州から来た」
「太史、子義。青州からだとぉ? 今、謝れば許してやっから、皆に頭下げて今すぐ消えれ」
「何で頭を下げる必要があるんだ。俺はここで寝てただけだ」
「人んちで勝手に寝やがったくせしで何を言ってやがんだ、てめぇは。身体で教えてやらなきゃわがらねえのか?」
「ふん、ここがアンタのねぐらだとはな。そいつぁ悪いことしたな」
「ぶっ殺すっ!」
張飛は激昂し、熊手の槍で鞠室を粉々に粉砕した。子義は華麗に宙を舞って攻撃を躱す。地上に着地する前に刀を鞘から抜き、着地すると即座に反撃を開始した。
「でりゃぁ!」
最初は子義の攻撃が優勢に見えた。張飛が武の達人だとはいえ、持っている武器は木製の長い柄についた竹製熊手で、殺傷性は低い。鉄の刀を振り回す子義に、分があるように思えた。
だが張飛の殺人的な連打は、常人には耐えられない激しさだ。さすがの子義も、張飛の怒涛の攻撃で次第に追い詰められていく。
(山賊のくせに、何て腕前だ――)
子義は張飛の武芸の腕前に驚愕した。打ち込む連打の一つ一つが速く、重く、そして正確なのである。ただの力技ではない、武の真髄を見た気がした。
子義も途中まで張飛の攻撃を的確に凌いでいたが、息が上がって身体の動きが鈍ってきた。防御するだけで精一杯、とても反撃など出来ない。
「ぐああっ!」
遂に刀を撃ち落とされて最後には滅多打ちにされてしまった。
「待てえぇい、益徳!」
関羽の怒号と共に青龍偃月刀が突然に目の前に現れ、張飛の持っていた熊手の槍が叩き折られた。
「おっ!?」
気づくと横には、馬で駆けつけた関羽がいた。
「雲長アニキ、何しやがんでぇい」
「弱い者イジメか。ちょっとやり過ぎだろう」
関羽は青龍偃月刀を子義の方へ向け、張飛に警告する。
「何言ってんでぃアニキ、先に喧嘩売ってきやがったのは、この小僧の方だぜ」
張飛が指差すとズタボロだったはずの子義が、枯木のように立っているではないか。
「待て。まだ、終わっちゃいねぇ。俺は……強くなりたい。強くならなけりゃならねぇんだ」
子義は張飛に滅多打ちにされても決して倒れなかった。刀を地面に突き刺し、両手で刀の柄に寄りかかっている。意地でなんとか足を踏ん張り、地に膝をつけないよう踏ん張っている。
「けっ、しぶてぇ野郎だ。とどめを刺してやる」
「益徳!」
張飛は折れた熊手の柄を頭上に振り上げたが、関羽にもう一度怒鳴られて少し怯んでしまった。そして誤魔化すように次兄を宥めた。
「冗談、冗談、大丈夫だからしんぺぇすんな。気絶させるだけだべや」
張飛は振り上げた熊手の柄を投げ捨ると、子義の鳩尾に思いっきり拳を放り込み、悶絶させた。
「ふぐぅ!」
子義は口から泡を吹き、地面に倒れこむ。関羽は倒れた子義の髪の毛を、粗雑に掴んで頭を持ち上げた。




