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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十二章  追奔逐北
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第一二八話  太史慈

 子義には孔融が何を言っているのか理解できなかった。孔融の次の言葉がさらに子義を混乱させた。


「恐らくだが、張倹は二人いるな」


「え……? さっきは同一人物だと……。どういう事なんでしょうか?」


「要するに、君と一緒に過ごした()()()が本物の張倹(ちょうけん)だ。この虎魄(こはく)玉帯(ぎょくたい)が、なによりの証拠。そして、彼の故郷の高平県にいる張倹は別人に違いない。つまりだな……張元節(張倹)は、党人(とうじん)として追われる身だった為、黄巾賊に身を貶め十年以上過ごした。だが、黄巾の乱が勃発し、国難を迎えた朝廷は、遂に党錮(とうこ)()()を解いた。だが、なんらかの事情で別人が張倹に成り済ましている。恐らくは……彼の親族の誰かが代わりを務めているのだろうな」


「党錮の禁が解かれたのに、何で素性を隠す必要があるのですか? 故郷にも帰らないなんて」


「戻れる訳がないじゃないか。黄巾賊などに身を費やしたのだぞ。それだけじゃない。彼は逃亡中に多くの者たちに匿われてやり過ごした。だが、彼を匿った者たちは一族郎党処刑されたんだ。私の兄も処刑されたし、もう少しで私の一族郎党も刑に服するところだった」


「貴方の兄上まで……」


「ああ。まだほんの少年だった私は、逃亡してきた張元節を匿ったのだよ。その代償に兄上を失ってしまった。多分、その事を元節どのも、風の噂で伝え聞いたに違いあるまい。だが、私は悔いてはいない。あの時はそれが信義だと思ったし、今でもそう思っている」


 孔融と張倹の壮絶な過去に、子義は身震いした。


 張倹……世平。だが、孔融の話を聞いて、世平の選んだ決断がなんとなく理解できた気がした。もちろん納得はできないが。


「それにしても、そんな災難を貴方にもたらしながら、さらにまた、あなたに頼み事をするなんて、神経の図太い人だな、あの人は……」


 子義にとって気掛かりなのは母の事だ。孔融は世平を憎んでいることだろう。自分の兄が処刑された原因は世平なのだ。


 過去にそんな遺恨があり、恩を仇で返すような相手に、自分の母を託すとは。どういう神経なのだろうと、子義は憤りを感じずにはいられなかった。


「それは……、君の母を助けたい一心であろう。私が仁義に篤く、信義を通す男だと知っているからだ。自画自賛するようだが、彼が、君の母を私に託した事は、決して間違ってはいない」


「恐縮です……。どうやって、感謝の言葉をお返しすればいいのか……」


 子義は地に膝をついて礼をした。孔融は腕を組んで下を向き、子義の顔を見た。


「大将軍からの招聘が、使者を通して連日連夜とどいておる。もう断りきれんようになってきた。だから最近は門を閉じて、来客の訪問を制限してたんだ。昔は連日のように宴会をしたもんだがな。今朝も先祖の墓で色々と考えこんでたんだが……と言っても、酒を飲んで寝てただけだったな。ははは……。だが、もう決めたよ。招聘に応じてまた京師に赴くつもりだ」


「京師……? では、私の母は……」


「まぁ聞け、子義よ。まだ話の途中だ。先の(黄巾の)大乱では王予州(王允)について従事を務めた後、侍御史(じぎょし)に任じられ京師に上った。ところが、やはり何もかも気に食わなくかった。だから、病と称して故郷に帰ってきていた所だ。その大将軍の何進が、今度は私に北軍中候(ほくぐんちゅうこう)になれと言ってきておる。正直言って乗り気ではない。あの屠殺屋上がりの男に仕えるのはな。だが、これは国家の為なのだから仕方がない。そこでだが、なんとか君の母上をここに連れてくることはできないのかね?」


「申し訳ありません。母は故郷を離れる事を選ばないでしょう。それに足も不自由になってきております、無理に連れてこようとするなら、死を選ぶやもしれません」


 子義は地面に両手をついて頭を下げた。


「わかった。使いの者をやって支援する事にしよう。それでよいかな?」


「ありがとうございますっ。本当にありがとうございます……ううう。この御恩は決して忘れません。必ずや、必ずっ。貴方のお慈悲と御恩に報いると誓います!」


 子義は孔融の足元で感涙に咽び泣いた……嗚咽を何度も漏らすくらいに。


「それで、これから君はどうするのかね?」


「貴方の御恩に報いる為にも、この身体を鋼鉄の如く鍛え上げ、夜は眠る間も厭わず書を読み、少しはお役に立てる人間となって帰ってくるつもりです」


「私が聞いているのは、そう言う事ではない。行く宛はあるのか、と聞いているんだ」


「いえ、宛はありません」


「私の下で働く事も出来るぞ」


「有り難いお話ですが、貴方様にご迷惑をかけてはならないので、熱りが冷めるまでは身を隠します。北か南か……北に行きたいと思います。己自身を鍛錬する為にも」


「北か。そうだ、遼東(りょうとう)郡に行く気はないか?」


「遼東郡……。あの幽州の僻地ですか?」


 遼東半島の先端から東莱郡の海岸までは、海を越えて直線で約ニ百里(約百キロ)。その間には廟島(びょうとう)群島が連なっており、古くから良漁場として栄えている。


 その為か、遼東郡と東莱郡は海路を通じて政治的にも商業的にも頻繁に交流があったのである。


「そうだ。私の部下でな、邴根矩(へいこんく)という偏屈者の儒者がいるのだが……この私が手を余すほどの変わり者でな。あの鄭康成(ていこうせい)にも引けをとらない素晴らしい儒者だ。にも拘らず、青州は黄巾賊の巣窟だから、安心して学問に打ち込めないと抜かす始末。で、ここからが本題なのだが、邴根矩は遼東郡に行きたいそうだ。もし良かったら邴根矩と一緒に船に乗り、渤海(ぼっかい)を渡って遼東郡に行ってみないか?」


 邴根矩(へいこんく)とは、姓名を邴原(へいげん)、字を根矩、とする高名な儒学者である。


 同じ青州北海国出身で、ともに高名な儒学者である鄭玄(ていげん)(あざな)康成(こうせい))と並んで著名な人物であった。


 鄭玄はすでに高齢であり、互いの交流はなかったが、邴原はまだ三十代と若い。


「それは有り難いお話ですが、実は……船が苦手でして」


「何? 海に囲まれた東莱郡の出自なら、船に乗るのは日常の事ではないのか?」


「申し訳ありません、船だけはどうしても……。必ず、遼東で船も勉強します。ですが、馬なら得意です。それに、色んな土地を見て回りたいのです。修養を収めつつ見識を深める為にも、遼東へ船で直行するのではなく、少々は遠回りしてでも自分の足で歩いて行きたいんです」


「そういう事なら仕方ない。少ないかもしれんが当面の旅費も出してやろう」


「本当に何から何までお世話になって、感謝の言葉がみつかりません。必ずやこの大恩に報いる為に、遼東で修行を積んで帰って参ります」


「よかろう。それではまず、私の元に帰ってくるまで、決して死なぬと約束しろ。死んでしまっては私に恩返し出来ぬぞ。はっはっは」


「はいっ、必ずや生きて還り、受けた恩義をお返しに参上する所存です」


「最後に、君の姓と諱の事を聞いても良いかね? この尺牘に書いてあるとおりかな」


「私の姓は()()、諱を()と呼びます。そして字を()()と言います。」


「太史慈か。雄々しく慈しむ……素晴らしい名だな。その名に恥じぬよう逞しく生き抜くのだぞ」

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