第一二三話 脱獄
世平は夜になるとウトウトと寝入ったが、夜中には目が覚めた。石真はすでに起きて、下の格子を引っ張っている。
すると、格子の一本が少しだけ横にズレた。「よし」と石真がいうと、格子の外に目をやって番兵が起きていないか確認し、世平の方に振り向いて言った。
「この格子を押さえててくれ。これを拡げている間に先に俺が出る。アンタは痩せてるから何とか出れるだろう」
格子がズレたとはいえ、隙間はかなり狭い。世平の体なら通り抜けられそうが、石真のような大男が出られるとは思えない。
「それじゃ、いっちょやるか」
そういうと石真は手枷を格子に押し付け、右手の親指を無理な角度に折りたたんだ。見た目はかなり痛そうだ。
「イテテ。くぅ、よっ」
と一息で手枷から手首を抜いて外した。
「俺は生まれつき身体が柔らかいのさ……」
左手も同じ要領で手枷を外すと、服を脱ぎ始めた。全裸になると服を牢の外に放り出した。
世平はさすがにギョッとしたが、石真は構わず仰向けに地面へ横になり、両手を伸ばして格子を掴んだ。
ふぅうう――と大きく息を吐き、寝た状態で背筋をピンと伸ばすと、肩が外れたかのように肩幅が狭くなった。
まるで蛇のように身体をくねらせ、するすると格子の隙間に入った。ゆっくりだが狭い隙間を着実に抜けようとしている。
傍目から見るとなんとも間抜けな絵面だが、図体の大きい男が狭い隙間を抜ける事は驚異的であった。
「ぐぐっ、ふぅ。なんとか抜けれたな。次はアンタだ。痩せてるから服を脱がなくても大丈夫だろう」
牢の外に出た石真は服を着ると、壁にかけてある手枷の鍵を取って世平へと投げた。
牢の鍵は常に衛兵が持っているが、手枷の鍵は壁に掛けてある事を石真は知っていたのだ。
「手枷を外せ。早くしろよ」
「行くのか。止めはせんよ」
世平は座したまま動かす言葉を発した。
「何を言ってる。早くしろよ。グズグズしてる場合じゃない」
「いや、私はこのまま此処に残るよ。君と一緒に行っても役に立たんし、足手纏になるだけだ。気にせずに行ってくれ」
「おい、いい加減にしろテメェ。駄々こねてんじゃねぇぞ!」
牢の外で声を押し殺しながら怒りを露わにする石真。石のように固り目を閉じる世平。
「此処に残って拷問された挙句、晒し首になりてぇのか。そんなに死にたいなら好きにしろ。だが、死に方を考えたらどうだ。俺に付いてくりゃそれなりの死に方を選べるぞ」
石真の説得は虚しく世平の耳をすり抜けた。
「ダンマリ決めやがって。てめぇが東阿県を出る前に自分が言ったこと覚えてねぇのか? あぶれた太平道の信者を導くとか何とか言ってなかったか? 立派なこと言ってイザとなったら何もできねぇのか?」
すると突然、隣の牢から高い声が聞こえた。
「コッチも出してくれへんかっ」
「誰だ、てめぇ」
隣の牢から声がした。見た所まだ青年で、話を邪魔された石真は怒気を含んだ。
「馬鹿野郎、静かにしろ。衛兵に気付かれたらどうする」
「ワイも出たいんや。ホンマ頼むわ!」
「黙れ、バカっ。衛兵が来ちまうぞっ」
「もう、来とるで」
「何!?」
見回りの者が音を聞きつけて一人でやってきた。
一人ならやれる――、石真は咄嗟に衛兵に体当たりして地面に押し倒し、相手の口を手で抑えて顔を横にむけ、こめかみに思いっ切り拳での一撃を食らわせた。
気絶した衛兵の身体を弄って、牢の鍵を探し当て、世平のいる牢の鍵を開けた。
「ジジィ、早く出ろ!」
「すまん……」
やはり世平は動こうとしない。
「このバカが。仕方ねぇ」
石真は気絶している衛兵の刀を取り上げて隣の牢へ向いた。
「ワイも出してくれるんか」
青年は喜んで格子にしがみついた。石真は刃先を顔に向け、半ば脅すように言った。
「南方の訛りか。てめぇを出してやるから、俺の命令に従え。早速やってもらいたい事がある」
「なんでも聞いたるさかい、はよ開けてくれ」
「じゃぁ、隣のジジイを担げ」
「な、なんやて?」
「大丈夫だ。このジジイは痩せてるから軽い。てめぇなら楽勝だろ」
世平はギョっとして立ち上がった。
「そんな事はやめろ。私は此処に残る。代わりに隣の若者を連れて行けばいい」
「ジジイが来ないなら、若造は置いていく。ジジイの気分次第でこの若造の運命が変わるぞ」
「そんな……爺さん、頼むわ! このオッサンの言う通りにしてくれっ」
若者の悲痛な声が世平をついに動かした。
「仕方ない。私も行くから隣の牢を開けてやってくれ」
「二言はないな。よし、コイツも出してやる。おい、お前、名はなんと言う?」
「ワイは、玉夷っていうねん」
「この鍵をやるから好きにしろ」
「待ってくれっ。ワイもアンタらと一緒に行かせてくれ。どうせ、どこ行く宛もないんや」
「よし、玉夷も行くって言ってんだ。いくぞ、ジジイ」
意を決した世平は頷き、石真は手枷を外してやった。そして隣の牢の鍵も開け、玉夷の手枷も外した。
「手間掛けさせやがって。いくぞっ」
三人は寝ている番兵の横を静かに通り過ぎると、獄を取り囲んでいる壁に向かって走った。
壁を超えれば取り敢えず脱獄できるが、石真は獄舎の正面入り口へと走った。
すると、警備しているはずの番兵が全員倒れている。その奥から影に隠れていた兵がぞろぞろと十人ほど現れた。
「劉県尉、いや張方殿っ。今から牢獄の方へ向かうつもりだったのですが」
久しぶりに見る顔だった。石真の腹心の莉旋である。最初から救出する為に此処へ来る手筈だった。
「フン、お前らが遅いから俺から出てきてやったのさ。しかし、官吏ってのは本当に役立たずだな。こんな手薄な警備だから各地で賊が蔓延るんだ。で、どうだ、手筈は」
「計画通りです。方殿の部曲は明け方までに県城に到達する予定です。それはそうと、誰ですかコイツは」
玉夷を親指で指さして石真に尋ねる莉旋。玉夷はただ睨むだけで何も言わなかった。
「成り行きでな。隣の牢に入ってた奴だ。コイツが自分から付いて来たいって言ったのさ。なんかの役に立つかもしれねぇ」
「方殿がそういうなら……」
「おい、いつまでも俺を方と呼ぶな。それより、明け方までに仕事を済まそう。手筈通り二手に分かれていくぞ。奪えるだけ分捕っていくんだ」
石真は莉旋とその部下たちに指示を出すと、世平と玉夷にも袋を持たせた。
「なんだこれは?」
世平が手渡されたのは大きく丈夫そうな麻袋だ。しかし何も入っていない。
「今から県令と太守の屋敷に乗り込んで宝物を頂くのさ。その袋にありったけ詰め込むんだ」
「馬鹿な。盗人の手伝いをしろと?」
「馬鹿なのはテメェだ、この野郎っ。腐れ宦者の親戚縁者から財を奪って何が悪い。民衆の血税を搾り取って得た金財だろうが。俺から奪い取ったモンもかなりあるぞ。もう四の五の言ってる場合じゃねぇ。先立つものがなけりゃ、飢え死にしちまうんだ!」
「それなら、もう一度言う。ここで殺してくれ」
「ちっ、面倒臭えっ」
石真は手刀で世平の後頭部を強く打ちのめし、気絶させた。
「手間かけさせやがって、本当に殺してやろうか。おい、玉夷。さっそく仕事が出来たぞ。このジジイをそこの檻車に放り込んで城門まで運んでやれ。それじゃ俺たちは仕事を始めるぞ」
「こんな事しよる場合とちゃうやろ。はよ逃げんでええんか」
「先立つものがなけりゃ逃げる意味がねぇ。お前は黙ってジジィを運べ」
玉夷は訳もわからず石真の言う通りに従った。そして、石真と莉旋らは獄舎から一斉に飛び出し、闇夜の街に消えて行った。




