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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第二章  草行露宿(そうこうろしゅく)
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第十一話  隠し部屋

 世平は両腕を後ろ手にされ縄で手を縛られた。こで一人の屈強そうな武装した兵士のみを残し、その馬小屋から他の兵士たちを退出させた。


 退出させた後で小屋の扉を閉めて、地面に置いてある巨大な箱を兵士に明けさせると、そこには地下に続く階段があった。


「こんな所に隠し部屋か……」


「かつて李膺(りよう)が私の弟を追って、この邸宅に侵入してきた事があってな。張りぼての壁に隠れていたが、すぐに見破られて殺されたんだ。あの時の教訓で、さらに周到な隠し部屋を作ったのだ」


 張譲の弟である張朔ちょうさくは残忍で欲深な男として有名であった。好奇心で妊婦の腹を掻っ捌いた事もあるという。


 張朔(ちょうさく)は、清流派の代表格で司隷校尉(しれいこうい)(首都警察長官)の李膺に、彼の犯した多くの罪を問われ、兄の張譲が匿っていたのだが、すぐに李膺に見破られて弟を処刑されたという因縁があった。


「なかなか良くできてるだろう?うふふふ。まぁ、当の李膺は党錮の獄で激しい拷問を受けた末に逝ったがな。ククク」


 李膺が死んだのは聞いていたが、拷問死した事を世平は知らなかった。


 怒りと悲しみが沸々と湧き上がってくるが、今の自分には何も出来ない。涙が溢れ出てくるのを抑えられなかった。


「泣いているのかい?そう怖がる事はないだろう、ふふふ。さぁ、こちらへ来なさい」


 張譲が用意した手燭の蝋の光を頼りに、世平は薄暗い地下室に続く階段を歩かされた。


 地下室は薄暗く、空気も冷えている。僅かな光に照らされて、鉄の椅子が光を放っていた。それに座らされてしっかりと縛り付けられた。


 椅子の前には丸い小さな台があり、簡帛(絹布で作られた高級な書簡)らしき物が置いてある。


 この地下室は、手燭を持った張譲と、椅子に縛り付けた張世平と、先ほどから連れていた一人の兵士との、三人だけとなった。


「すまんね。一応、念のため」


 張世平は縛り付けられたまま、何も言葉を発しなかった。


「太平道の使いなのだろう。名は何と言う?」


「張、世平……」


「世平、か。私は勘が良くてね。だから先ほども賊の襲撃をかわす事ができた。最近は何かしら揉め事が多いのでね。まぁ、いい。話を元に戻すが、私はね、太平道の力の大きさを知っている。大賢良師……いや、張角とは以前少し付き合いがあってな。それ以来、彼の偉大さと教えには感服しているのだ」


「そうでございましたか」


「それにしても、君の声は聞き覚えがあるな。顔は初めて見るが……」


しまった、そう心で呟いた。張世平、いや張倹の額に少しだけ汗が滲む。


「もしかして……いや、そんなはずはないか。ここに来るなんて自殺行為だからな。ふふふふ。なぁ、張倹!」


「何を仰るのですか。私は張世平だと言ったではありませんかっ」


 背筋が凍った。このあたりから、張世平はすっかり張倹というかつての逃亡者に戻ってしまっていた。


 張倹は背筋に冷たい物を感じながら恐る恐る顔を上げて張譲の顔を覗きこむと、彼の髭の無い口元が厭らしくニヤけていた。


「ふふふ、誤魔化すなよ。すべては大賢良師から聞いているのだよ」


 大賢良師(たいけんりょうし)が、私を売ったのか……この宦官に。


 張角め、その為に私を助けただけだったのか。だがそれも仕方あるまい、と観念した。


すべては覚悟の上で京師に赴いたのだ。何を今さら恐れる必要があるというのだ。


「そうだ、私だ。私が張元節(ちょうげんせつ)、張倹だよ。それで文句はあるまい」


「ほう、あっさり認めたなぁ。清廉潔白で質実剛健と謳われた士大夫の中の士大夫、あの張倹さまが、太平道の信徒になっているとは聞いていた。だが、この京師に戻ってくれるとはなぁ。顔や姿が随分と変わった事も聞いていたが、まさか私の邸宅の前で立っているとはねぇ。一目見てピンときたよ。先ほども言ったが、私が勘が良いんだよ」


 さらにニヤけた顔で張倹に詰め寄っていく。この白い歯のこぼし方は好奇心を満たそうとする者の卑しさを象徴している。


「それにしても、大賢良師も粋な事をするね。ふふふ。」


「最初からすべて仕組まれていたのか」


「おっと、勘違いしないでくれたまえ。私は昔から君の事が気に入っていてね、君の味方のつもりだよ.

私が君をここに連れてくる様に頼んだのさ。信じられぬかもしれんが、私も黄老の道を歩んでおり太平道を奉じている」


「え……?」


「社稷の腐りきった漢帝国にとどめを刺す事ができるのは私しかいない。小便臭いガキの皇帝なんぞどうでも良かったんだ。だが、事を起こすには準備が足りないし時期尚早すぎる。もっともっと綿密に計画を練る必要がある」


「計画……」


「そうだ。腐れ儒者どもを一掃する必要がある。黄老の道を否定しようとする輩たちだ。それだけでなく……自分の私腹を肥やすことにしか興味のない宦者たちも一掃したい。特にあの目障りな侯覧こうらんを排除するのが先決だ」


侯覧(こうらん)!」


 張譲が話しているのを遮るように張倹は侯覧の名を叫んだ。


 細長い張譲の眼がピクリと動いた。張倹の反応に微笑した。


「お前さんの仲間じゃないのか。なぜ仲間を憎む必要があるんだ」


「ふふふ。仲間な訳がないだろう。君の次ぐらいにアイツを殺したがってるのは私かもしれんな。君も酷い目に遭わされたんだろう。どうかね、良かったら手を貸してやってもいいぞ」


「手を貸す?」


「そうとも、あいつは調子に乗り過ぎた。もう老いぼれの時代は終わったのだ。いずれ私が奴の権力を引き継ぐ」


「要件を先に言ってくれ。私に何をして欲しいんだ。この通り、老いぼれて何も出来やしないぞ」


「まぁ、聞け。私が侯覧を葬り去ってやろう」


「そんな事が出来るのか……」


「出来るとも。あの皇帝は私の言う通りに動く。だが、そうはさせまいと私を監視する奴らもいるのだ。その内の一人の侯覧は最も鬱陶しい奴なんだが、同じくらい鬱陶うっとうしい王甫(おうほ)曹節(そうせつ)も健在だ。アイツらが消えれば、ゆくゆくは私が政権を担う事になる」


 侯覧は先帝(桓帝)の存命時に王甫や曹節を手下として強権を揮ったが、先帝の崩御と共に急速に権力を失い、反侯覧派と親新帝派の宦官にその地位と命を狙われていたのだった。


「君はかつて侯覧の邸宅を没収し、その一党を捕縛しただろ? あの時はいい気味だったよ、うふふ」


「侯覧が死んでも曹節や王甫がいるんだろう?」


「あの二人も目の上のたん瘤だが、まだ使い道はある。まぁ、時期が来たら奴らも成敗してやるさ。まずは侯覧を屠ってやらなければ」


「何故、私にそんな話をするのだ。さっきも言ったが、私に取引出来るものは、何もないぞ。それに、どうやってあの侯覧を倒せるというのだ」


「先帝の後ろ盾があったからこそ侯覧は権勢を振るえたが、今は曹節が擁立した新帝の時代だ。侯覧が干されるのは当然だろう。まぁ、私が秘密裏に曹節と王甫に風説を吹き込んでやったのが功を奏したのだがな。侯覧は近々告発されて中常侍の職を解かれ、その印綬(いんじゅ)(官位の印)を剥奪されるだろう」


「仮に、お前の言う通りに侯覧が官界から追放されたとしても、私に取り引き出来るようなモノなど何もないんだ。一体どうしろと?」


「張角、いや、大賢良師は君の事を甚く気に入っていてね。それで、だ。太平道が政権を転覆させた暁には、私の地位を保障してもらいたい」


 そういう事か、張倹は心の中で呟いた。宦官は権力欲が人一倍強い生き物だ。本来なら自分がもっとも軽蔑する生き物である宦者に、取引を持ち掛けられている。


 父系社会を重視する儒教観念からすれば、実の子孫が残せない宦官は忌むべき存在だが、黄老道、太平道の観念からすれば人は皆平等で、この張譲もまた自分と同じ存在なのである。


「この漢帝国、腐っているとはいえ、あと十年はもつだろう。帝は十代のガキだから使い道もある。我等が中常侍の意のままよ。宮廷内では商人の真似事をしておるわ」


「貴様が帝を意のままに操り、宮廷内から国家の社稷を腐らせて、帝国の滅亡を早めようという算段か。しかし、この漢室の宮廷内においても、すでに貴様の地位は約束されているじゃないか」


「そうだ。だが、所詮は去勢された宦官の身分よ。どんなに人臣を極めて最高位に登りつめようとも、私を心から慕う人間など一人もおらぬ。私はもっと人々から敬われ慕われる人間になりたいのだ」


 今までニヤケ面で話していた張譲の口元が急に強張りだし、真剣な眼差しで張倹に語りかけている。


「そのために栄華に彩られ未来を約束された今の地位をかなぐり捨て、荊棘の刺で行く手を塞がれようとも、宦官という身分に囚われず生きる事ができるのであれば、漢の社稷を根本からへし折る事も厭いはしない。太平道において私の地位が約束されて然るべきだろう?」


「私ならそんな与太話を聞くと思ったのか…?」


「うふふ。だって、あの清廉潔白の士と謳われた張倹が、家族や友人を犠牲にして逃げ果せているんだものねぇ」


 張倹は欲深い宦官に痛い所を突かれ、何も言い返せない自分が情けなくなった。しかし、太平道の為に恥を忍ぼうと自身に言い聞かせた。


 そう、太平道を信奉する者にとっては、清流も濁流も関係ない。同じ道を学ぶ者はすべて平等なのである。


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