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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第二章  草行露宿(そうこうろしゅく)
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第十話  張譲

 張世平ちょうせへい蘇双そそうは行商をしながら数ヶ月の旅を経て黄河を渡船した。なだらかで丘陵きゅうりょう状の高くない山が東西に伸びる邙山(ぼうざん)を越えると、その山頂からは盆地のど真ん中にある雒陽(らくよう)城と城下に拡がる街が一望できる。


 邙山は雒陽の北側にあるので北邙(ほくぼう)山とも呼ばれ、王侯貴族おうこうきぞくを葬る墓地として知られていた。北地に墓地を作るのが中原(ちゅうげん)(中華の中心地)の習わしでもあった。


 巨大な都市のまわりには、北に位置する邙山と、南を流れる伊水(いすい)(河)、東には汜水(しすい)が流れ、堅牢な成皋関(せいこうかん)(のちに汜水関(しすいかん)、または虎牢関(ころうかん)とも呼ばれる)を要し、西には古来より鉄壁の防御をほこる函谷関(かんこくかん)がそびえ立つ。


 雒陽は古来より山水に囲まれた天然の要害であり、常に国家の中心として栄えた。数千年に渡って幾多の王朝が雒陽(洛陽)を国家の首都として社稷を置き、後世には九朝の古都などと称されたのにはそのような理由がある。


 さらには盆地である雒陽の廻りを、函谷関と成皋関を含む八つの関所で取り囲み、()()()()と称されて物資の流通や人の往来などが常に監視され、防波堤となって外敵の侵入を拒み続けていた。


 雒陽とは……即ち「洛陽」と同義の名ではあるが、漢王朝は火(行)を王朝の象徴とする徳とされており、洛の字にある「(さんずい)」は水を表す部首(水部)なので忌避されたのだ。


 古代より陰陽五行思想という世界観が人口に膾炙され、万物の摂理を、陰と陽、そして、木、火、土、金、水、の五つの行(元素)から成り立ち、順番と法則を繰り返し交代すると信じられていた。


 周の時代より歴代王朝はそれぞれの行を持って運命づけられているとし、順番からすると漢王朝は火の徳(行)なので水とは相性が悪い。その為に「洛」陽は改名されて「雒」陽…の字が使われる様になったのである。


 京師である雒陽城に入城するにはまず、都市を大きく囲んでいる大きな城壁に備えられた城門を越える事から始まる。


 中国では古代から大きな城郭で都市ごと囲んでいた。城壁に距離は三十一里(約十三キロメートル)にも及んでいたと言われている。城塞都市として非常時には町全体が軍事施設となる。


 雒陽は政治だけでなく経済の中心地であり、人の出入りも常日頃から激しいのだが、党錮の禁があってからは少し検閲が厳しくなっている様だ。


 城門は東西南北の城壁に十二門設置されており、東西に三つづつ、北に二つ、南には四つの門が設置されていた。


 張世平と蘇双は行商人として農作物や日常品を馬車に載せて「馬市(うまいち)」という雒陽城外の商工業の区画を通る段取りとなっている。馬市を通って行けば行商人に扮装しているので何も疑われる事はない。


 二人は馬市を難なく通過して雒陽城の東の城壁に辿り着いた。


 東の城壁は特に長く、十里(約四キロ)もあったと言われる。その東に面した三つの門のうち、ちょうど真ん中にある「中東門」から城内に入る手筈なのだ。


 城門には多くの入城者が列を成して待っているが、流れは比較的速い。すぐに城門の下にまで辿り着く。 「伝」と呼ばれる木簡の通行証を持って順番を待った。


 門前に辿り着くと偽造した書簡を門番に見せ、すぐに通行許可がおりたので、二人とも些か拍子抜けしてしまうような居心地であった。


 と思っていた矢先、門番兵達がざわつき始めた。 もしかして、何か感づかれたのだろうか?


 城門を閉め始めた門番達。まだ城外にいる来訪者たちは中に入れろと大騒ぎしているがお構いなしに門扉は早急に閉じられた。張世平と蘇双はすでに城門に入っていたので間一髪だった。


「なにがあったのでしょう?」


 蘇双は小声で世平に尋ねた。


「まて……」


 世平と蘇双は門番立ちが話し合っている横について、事情を立ち聞きした。


「それが、張常侍の邸宅に賊が入ったという情報が。誰一人として城外に出してはならんとの事です」


 その話を聞いて思わず、大声を出してしまう世平。


「何ぃ!?」


 張常侍とは、宦官の中でも中常侍という高級宦官、「張譲(ちょうじょう)」の事だ。字は伯謹(はくきん)という。


 張世平こと張倹の仇である侯覧の後輩に当たる宦官で、侯覧に似て狡猾で権力欲が深い人間だった。


 張譲に対して直接の恨みはないが、侯覧を憎むあまり全ての宦官を毛嫌いしていた。


「世平殿、如何なされたんですか? 城内に入ったのだから問題はないでしょう?」


 事情を知らない蘇双は、焦りつつも小声で世平に問い返す。しかし、返ってきた返事は突飛もない言葉だった。


「すまんが、士然(蘇双)。すぐ戻るからこの辺で待っていてくれ」


「ええ!? ちょっ、ま!」


 世平は自分の荷物を蘇双に渡して、齢に似合わぬほどの全速力で走り始めた。


 雒陽に着いてまだ間もないのに、また波乱を巻き起こしそうな勢いだ。


 世平は雒陽の地理をよく熟知していた。この大都会は青春時代を過ごした場所だ。向かう先は言わずと知れた張譲の邸宅である。


(彼奴の邸宅へ行った所で何になるのか? 今の自分に何ができるというのか?)


 そんな自問をしつつも、とにかく確かめたいという衝動を押さえられず、ただただ無我夢中で街の中を走った。


 城門からそう遠くない場所に張譲の邸宅がある。着くとすでに門の前には兵士が集まっていたので、壁に囲まれた邸宅の裏側の方に回ってみた。


 邸宅の裏側には、背の高い木が壁を越して外側へと伸びている。その大木から突然一人の男が壁を越えて飛び降りてきた。


 飛び降りた勢いで地にしゃがみ込んだ男。スッと立ち上がると、そこに居合わせた世平と目が合ってしまった。


 その男は少年のように見えた……が、尋常ではない殺気を身体から放っている。


 背は高くないが、恐らくはすでに成人した若者であろう。返り血を浴びた服を纏い手には手戟を持っている。


 その風貌から見て、今しがた屋敷に忍び入っていた賊に間違いない。だか、その若者から放たれている氣はある種の風格さえ漂わせていた。


「まて! 君は、一体……」


 思わず声をかけたが、その若者は世平の両瞳をキッと睨んだ後、すぐに走り去っていった。


 ほんの一瞬の出来事だが、世平にはゆっくりと時間が流れていたように思えた。


 呆気に取られて立ち尽くす世平の後から、張譲の直属と思われる私兵が続々と現場に集まってきた。


「おい、じじい。何か怪しいヤツを見なかったか?」


「い、いえ」


「本当か? おいっ」


「え、ええ……」


「よぉし、お前らこの界隈を隈なく探すんだ。我らの名誉にかけて、絶対に賊を見つけだすんだ、いいなっ!」


 号令と共に数十人の張譲の私兵たちが、一斉に街の奥へと素早く散らばっていった。


 世平は後ずさりしながらその場を立ち退こうとしたが、後からまた別の兵が数人やってきて、世平を取り囲んだ。


「やっぱり、この爺さんも怪しいな。この非常事態にこの辺を彷徨いているなんて」


 世平は数人の番兵に両腕を掴まれて、無理やり引き摺られた。


「まて、私は違う、偶然ココを通りがかっただけだっ」


「話は後で聞こうっ」


 世平の訴えも虚しく、力任せに兵に引き摺られていった。数人の私兵が世平を連れて行った先は張譲の邸宅内だ。


 巨大な邸宅にある豪華な門の中をくぐり抜けると、さすがは強大な権力を持つ張譲の邸宅である。目を覆うほど綺羅びやかで絢爛豪華な建物と庭園で彩られていた。


 そんな豪華な建築物とは裏腹に、世平が連れて行かれたのは馬小屋の厩舎であった。とはいえ、人が住めるくらい清潔でしっかりとした建物だ。


「貴様、先ほどの騒ぎと何か関係があるのか?」


 兵士たちが世平に向かって家畜を叱り付けるかの如く怒号を飛ばし散らす。


「関係などない! 偶然にあそこを通りがかっただけだと言っているじゃないか!」


「嘘をつけ!」


 兵士の拳で力任せに顔面を殴られて、倒れはしなかったが口を切ってしまった世平。


 そんな最中に兵士の間を潜って現れたのは一人の異様な佇まいをした人物だった。


「おやめなさい」


 この甲高い声の持ち主は、綺羅(きら)びやかな刺繍ししゅうを施した服を(まと)い、高貴そうな冠を被り、宝石を散りばめた鞘に収まった長剣と金の印綬を腰にぶら下げている。


 よく見ると男ではなく……かと言って女でもない。肌は青白く頬は痩けて髭は一切生えておらず、目は切れ長で鋭い眼光を放っている。


 背が高く華奢(きゃしゃ)な体付きだが、鋭く細い目と唇の肉厚が薄い口が動く時、その冷酷さを浮き彫りにする。


「私が誰だか分かるかね?」


「知らん」


 もちろん世平はこの人物が誰だか分かっていたが、知らぬ存ぜぬを決め込むと、目を逸らし口から出ている少量の血を腕で拭き取った。


 殆ど出会った事もなく面識もないのだが、外見や饒舌り方、身振りなどでこの人物が張譲である事を物語っている。

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