第5話 執政官トマス・リグレットの日常その2
「これは一体・・・・」
「リグレット殿、何とも珍妙な物体ですな・・・・」
翌日、トマス達一行が案内されたのは、王都郊外に突貫工事で造られた飛行場だ。そこに鎮座ましまして
いるのは久々の国産旅客機MRJ、これで彼らを羽田まで乗せていく予定である。
「では、先ほど注意した通り、離陸時と着陸時は席を立たず、必ずシートベルトを締めてくださいね」
「なあ、、、、ヤマシタ殿、これ本当に空を飛ぶのか」
「はい、日本までは2時間もかからずに着きますよ」
日本側の担当者の説明を受けても、トマス達はまだ半信半疑の状態だ。しかしいざ飛行機が飛び立つと、
彼らは全員もれなくお口あんぐりの状態となってしまった。
「リグレット殿、もう王都があんな下に見えますぞ」
「なんという魔導なのだ。彼らニホンが別の世界から来たというのは真実であったか・・・・」
だがこれはほんの序の口だ。羽田に到着した時、彼らはこれまで信じていたことを根底から覆される。
「・・・・これが、ニホンの首都トウキョウか」
「王都どころか、ハーネス聖神教国の聖都ジャンダルムすらここと比べたら、不敬ながら田舎村ですな」
林立する高層ビル群、海をまたぐ巨大な橋りょう、そこを走り回る自動車の群れ、これら近未来的な光景
は、トマス達からみたらまさにファンタジー世界そのものだった。
「首相との会談は明日の朝10時からになります。時間になりましたらお迎えに上がりますので」
「ああ、よろしく頼む・・・・」
日本政府が貸切にした都内のホテル、トマス達は何とか体裁を保つのがやっとの状況であった。王城に
比べたら飾り気のない機能的な部屋だが、王が使うようなフカフカなベッド、スイッチ一つで簡単にお湯が
出るシャワー、王国より格段に清潔なトイレなどなど、単なる宿だけでも自分たちとニホンの彼我の差が
否応なく理解できてしまったのだ。
「実は、我らの方が蛮族であったと、思い知らされてしまいますな・・・・」
「ヴィセヌ伯爵も、そう思われるか・・・・」
明日は国力、技術力ともに圧倒的な差がある相手と交渉をせねばいけないのだ。トマスは生まれて初めて
胃がキリキリと痛む思いをするのであった・・・・
「ようこそ日本へ。皆さんの訪問を心から歓迎いたします」
翌日、首相官邸でトマス一行を満面の笑みで迎えたのは、日本国首相の相葉である。だがトマスも貴族
である。この間まで殺し合ってた相手をニコニコ顔で迎える相葉を、かなりの曲者と見抜いたのである。
「ところで、リグレット辺境伯には政府として、正式に依頼したい案件がありまして」
あたりさわりのない話から本題を切り出した相葉に対して、トマス達は”ついにきたか”と警戒心をMAXまで
高めた。
「トルード王国の処遇ですが、今後は当面日本の暫定自治領として扱うことに決定しました。それで、現地
の最高責任者をリグレット辺境伯にお願いしたいのです」
「それは、、、どういう理由で私に依頼をしたのですかな」
「ええ、そちらの宗教の影響で、一般の王国民から我々は悪魔のように思われております。そこで、自治領
統括府の主要メンバーは、できれば王国の方々で固めたいのですよ」
「我々にニホンの傀儡になれ、ということですか」
「いえいえ、基本的には日本の自治体と同様な組織にする予定ですよ。この資料をご覧ください」
相葉はトマス達に、日本の都道府県制度について簡単に説明したレジュメを渡した。どうやら、日本政府は
王国を同じ扱いにするらしい。
「これはしかし、敗戦国に対しずいぶん寛容なことですな。貴国の軍なら力で抑えることもできるはずでは」
「・・・・力で抑えつけても、恨みが残るだけですからなあ。すでに日本の一般市民、あなた方から見れば
平民の生活ぶりはご覧になられたでしょう」
「ええ、、、あのような上質な身なりをしている者が平民とは、思いもしませんでしたよ」
トマスは、日本の市民が王国貴族以上の高い生活水準にあることをすでに知っていた。彼が収容所で
驚愕したテレビ、エアコン、自動車など、日本ではほとんどの一般市民が所有しているということを・・・・
「もし、この案件がうまくゆけば、トルード王国にも日本本土と同じように開発が進みます。王国民もみな、
日本と同じ生活レベルに達することも、夢物語ではありませんよ」
翌日、トマス達は相葉の提案を受け入れることに決定した。インフラ整備や日本側の企業の進出などに
ついても合意され、その後急速に開発が進むこととなった。日本政府も農業などの技術協力を惜しまな
かった。これは善意だけではない。王国の肥沃な大地が魅力的だったからだ。小麦や大豆なども従来の
農法に比べ収穫量も格段な増大が見込まれた。それを日本の企業が適正価格で買い付ける。農民の
収入もぐんとアップする。正にWin=Winな関係が構築されつつあった。
「キネよ、、、、ニホンの企業は他の国よりも高い値で作物を買い付けておるな。普通なら無知な農民なぞ
ごまかされて買いたたかれるのがオチなのだが、なぜ日本はそれをせぬのだ」
「まあ、そんなズルしてたらいずれしっぺ返しがきますからね。それに企業も商売ですから、ちゃんと利益
が出るような値段で買い付けていますよ」
執務室でこれまでの怒涛のような日々を思い返していたトマスは、木根とそうやり取りをしていた。日本の
開発により収入が上向きになった旧王国民は、相変わらず黒目黒髪の排斥を叫ぶハーネス聖神教から
離れつつあった。実はこれこそが日本政府の狙いである。ほとんど地球の中世のような生活水準だった
王国民に”物質的豊かさ”というアメを与えることによって、聖神教の影響力を少しずつ削ぎ落とそうと
しているのだ。
「首相、トルード暫定自治領の港町ベスカと、領都(旧王都)キレットを結ぶ鉄道の起工式が、無事終了
いたしました」
「そうか、これが開通すれば物流コストはずいぶん下げられますね」
「はい、それに現在荷馬車などを運行している現地の業者ですが、希望者には鉄道の運営に関われる
よう手配をかけております」
秘書の報告を受けた相葉は、1人になった執務室で呟く。
「ま、宗教関係は力で抑えつけても、アフガンや中東のようになるだけですからねえ。トルード自治領には、
ハーネス聖神教圏の一般市民に対する、日本のショールームのような役割を果してもらいましょうか」
それは金銭だけではない。文化面でも日本のガイアードルへの進出は、少しずつ始まっているのだ。
「ほう、領都で映画の上映会を開きたいと」
「ええ、日本、いや地球文化の紹介の一環ですね」
自治領統括府では、映画上映会の案件の稟議がトマスに上がってきた。邦画だけではなく、転移前に
上映されていた洋画も含んでいる。これは平民たちの間でも大評判となり、領都に滞在していた他国の
商人たちも、この事を驚きを持って触れ回るのであった。
曰く、”ニホンの娯楽は我々のものより何十倍も面白い”、と・・・・
そして、日本の次のターゲットは、いよいよ魔界に移るのであった。
原理主義者というのはソフトパワーの威力を知っているから、娯楽を厳しく
制限するんでしょうねえ。おそらく。