『音色』
※誰がなんと言おうとも、これはバットエンドだ!
僕は、色の無い世界に産まれた。
青い空も、秋には茜色に染まる草木も、僕にとっては白と黒の造形物に過ぎなかった。
『全色盲』。それが僕にかけられた呪いの名前だ。僕の瞳は、この呪いのせいで産まれた時から色を認識することができなかった。しかも、この呪いを解く術は今のところ存在しないらしい。
0と1しか存在しないプログラムの世界のごとく、白と黒しか存在しない世界。しかしながら、僕はこの世界が嫌いではなかった。
なぜなら、産まれた時から呪いにかけられていた僕にとって、その世界が当たり前であり、全てだったからだ。たとえ、どんな服を着ても同じに見えたり、どんな料理を食べても同じ味しかしなくても、白と黒だけの単純な世界は僕にとって生きやすい世界だった。
ただ・・人間とは不思議な生き物で、どこか不自由な箇所があると、それを補うために別の箇所が異常に発達することがあるそうだ。たとえ、それを本人が望んでいないとしても。
僕がその力に目覚めたのは、五歳の誕生日を迎えた日のことだった。
突然だが、『黄色い声』という言葉を聞いたことがあるだろうか?主に、女の子達が好きなアイドルを見てキャーキャー騒いでいる声を、『黄色い声』と呼んだりする。
しかし、実際は違う。確かに、そういう声は主に黄色に見えるが、中には桃色の声や紫色の声も混じっている。
僕が何故そんなことが分かるのかと言うと、それが僕が望まずして手に入れた力であり、二つ目の呪いだからだ。
そう。・・僕には、音の色が見える。
五歳の時にこの力に目覚めた俺だが、最初はそれがどういう力か分からなかった。何故なら、それまで白と黒の世界で生きてきた俺は、それ以外の色を知らなかったからだ。
しかし、それが色であるということに気付いた瞬間、俺はこの世界には白と黒ではない色があることと、母が俺を憎んでいることを知った。
母が白黒のケーキと共に渡してくれた「ハッピーバースデー」という言葉。初めて見た言葉の色は、ドス黒い赤色だった。初めて見た色と一緒に伝わってきた感情は『激しい憎しみ』。
俺は、わずか五歳で産みの親から愛されていないことを悟った。
母が父と離婚したのは、俺が産まれてすぐのことだったらしい。俺が『全色盲』であることを知った父は、母を責めた。「なぜ、ちゃんとした子を産まなかったのか。」と。
そして今、母は僕を責める。「なぜ、ちゃんと産まれなかったのか。」と。真っ赤な声で。そんなの、僕が聞きたいくらいだ。なんで、母さんは僕をちゃんと産んでくれなかったの?でも、本当に言ったら泣かれるからそんなことは言わない。誰もいない部屋でそっと呟かれたその言葉には、色がなかった。
時は流れ、僕は学校に通い始めた。しかし、すぐに学校に行かなくなった。理由は簡単。あの二つ目の呪いのせいだ。
この頃になると、僕はより鮮明に音の色、そしてそれに込められた感情を読み取れるようになった。以前までは一色だと思っていた声の色も、本当は何色も重なって産み出された色だということが分かったのだ。
例えば、母の声の色。赤は、『怒り』。黒は、『殺意』。そして、深い青は『憎しみ』の色。それらが全て混ざりあい、母は独特のドス黒い赤を作り出す。
そして、学校に行った僕がよく見た色は、憐憫を示す『水色』。そして嘲りの『黄土色』。僕は自分に向けられるそれらの色に染まるのが嫌で、学校に行くのを止めた。
僕が学校に行かなくなって四年が過ぎたある日のこと、母さんが新しい男を家に連れてきた。声の色を見るまでもなく、ろくでもない男だということが分かる外見だった。時おり寝室から聞こえてくる会話を盗み聞きしたら、どうやら暴力団関係の男らしい。しかし、母さんは今まで見たこともないような桃色の声で「そんなのどうだっていい。」と言っていた。愛があれば問題ないと。
その男は、酒癖が悪く、またギャンブル狂いでもあった。男はよく母を殴った。母は、男に殴られて桃色の喘ぎ声を上げていた。利害が一致しているなら僕も余計な口を挟むことはしまい。
しかし、男は母を殴るだけでは満足せず、時折その矛先が僕に向けられることがあった。男は力が強いから痩せ細った僕の身体では抵抗することも出来ずただサンドバッグとなるしかない。そして、そんな時は男に殴られなかった憂さ晴らしをしに母まで僕を殴ってくる。
その日は、特に母の機嫌が悪く、馬乗りになり首を絞めようとしてきたのでとっさに母を押し退け家を飛び出した。力のない僕でも突き飛ばせるくらい母は軽かった。
後ろから真っ赤な母の叫び声が聞こえてきたが、僕は無視して夜の町の中へその身を溶かしていった。十歳の夏の日のことだった。
空も地面もただひたすらに黒い夜。しかし、余計な色を見なくていいこの時間が僕は一番好きだ。昼には喧騒と共に余計な色まで映し出すので昼に外に出るのは好きじゃない。
家を飛び出した僕は、特に行くあても無くしばらく黒い町をさ迷い歩いていたが、ふと、町の外れにある山に目を向けた。
そして、僕はまるでその山の引力に引きずり込まれるかのように自然とそちらへと足を向けていた。もしかしたら、この時僕は死にたいと思っていたのかもしれない。どうせ死ぬなら、喧騒から離れた山の中がいいという願いが、無意識に僕の身体を動かしていたのか。
少なくとも、この時僕はこの山で運命の出会いを果たすことなど予想だにしていなかったのだ。
やはり、十歳になったばかりの小さな身体には山を登るのはきつく、僕は次第に息があがり始めていた。先程まで殴られていた箇所はおそらく痣になっていて痛むし、寝巻きのままで飛び出したから夜風も寒い。疲れのせいか寒さのせいか、激しく震える身体を抱き抱えながら、それでも僕は無心で山を登っていった。
いったいどれくらいの時間そうしていただろうか・・。気が付くと、僕は古ぼけた神社の前にいた。白い木々の中に、ぽつりと立つ白く大きな鳥居。
こんなところに神社があったのか・・。とぼんやりと霞む思考の中で僕が思ったのと同時に、その声は突然聞こえてきた。
「こんなところに来客とは珍しいな。一体何の用だ?」
一瞬、僕はそれが人の声とは思えなかった。なぜなら、聞こえてきたその声は、色がないどころか、完全な透明だったからだ。それは、風の音さえ白黒で聞こえる僕にとってはあり得ないことであった。
しかし、予想外の事態に困惑する僕の前に、彼女はその姿を表した。その姿に、僕はまたしても驚愕する。
「どうした?人の顔をじろじろ見て。私の顔に何かついているのか?坊主。」
彼女はそう言って、蒼い瞳をこちらに向ける。それは、僕が産まれて初めて自分の瞳で見た色だった。何故彼女の瞳の色が見えたのかは分からない。ただ、一つだけ分かるのは・・
「・・綺麗だ。」
そう自然と僕の口から漏れた言葉は、薄い桃色をしていた。
-家を飛び出し、死を覚悟した十歳の夏・・僕は産まれて初めて、恋をした。
■■■■■
僕が出会った彼女の名前は、朧夜鈴というらしい。
「私が名乗ったんだ。坊主も名乗れ。」
彼女にそう言われ、僕も自分の名前を言った。
「・・黒子白夜。」
「白夜か。いい名前だな。」
そう言うと鈴はにこりと僕に無垢な笑顔を向けた。その顔を見た僕の頬は何故か熱を持った気がした。
今、僕と鈴は鳥居の上に座っている。空中に足を投げながら、僕は改めて横目で鈴の姿を見た。
年齢は・・恐らく僕と同じ十歳くらい。ポニーテールが活発的な印象を与えている。そして何よりも・・その蒼い瞳だ。つり目がちのその瞳は、何者にも屈しない強い意志を秘めているように思えた。そして、その瞳の色は、僕が今まで見たどんな色よりも美しかった。じっと見ているとその中に引きずり込まれそうな不思議な魔力のようなものを感じる。小さい身体の中で、その瞳だけが、まるで何百年も生きてきた魔女のようだった。
「白夜、そんなに私を見つめてどうした?まさか、私に惚れたか?」
あまりにもじっと鈴のことを見つめていたので、鈴にからかわれてしまった。しかし、実際鈴に一目惚れしていた僕は馬鹿みたいに狼狽えてしまった。そんな僕を見て、鈴は「かわいいやつだな。」と言ってカラカラと笑い声をあげる。
その反応がとても十歳のものとは思えなくて、僕は思わずこんなことを聞いてしまった。
「ねえ・・鈴って何歳なの?」
すると、鈴はむっとした様子で頬を膨らませ、僕のでこを指で弾いた。「痛っ!?」と叫びでこを押さえる僕を見て鈴は「女の子に年齢を聞くもんじゃないよ。」と言い、意地悪そうな笑みを浮かべると僕の方にその整った顔を近づけてきた。
「そんなことよりも・・お前のことを聞かせてくれないか?白夜。お前はなんだか面白そうな匂いがする。私の退屈を晴らしてくれるのではないかと期待しているのだよ。」
耳元でそう囁かれまたしてもあの蠱惑的な笑みを向けられた僕は、気付いた時には自分のことを全て鈴に話してしまっていた。それも、自分が全色盲であること、そして声の色が見えるという僕にかけられた二つ目の呪いのことまで。
僕が話している間、鈴はずっと一言も発さずにこちらを見つめていた。そして、僕の話がひとくくり終わると、鈴は興味深そうにこう尋ねてきた。
「ふーん。それなら、私の声は今何色に見える?」
その問いに、僕はどう答えるべきか迷った。何故なら、最初あった時から彼女の声は無色透明で色などなかったからだ。しかし、なんとなく鈴に嘘は言いたくないと思い、僕は正直に鈴の声の色が見えないことを話した。
もしかしたら嘘つきと思われるかもしれない・・そんな心配もしたが、鈴は特に気にした様子はなくそれどころかまた意地悪な笑みを浮かべながらこんなことを僕に聞いてきた。
「ほう?まあ予想はしていたけれどね。白夜、私の声にはなぜ色がないと思う?」
その問いかけに、僕は少し時間を置いてからこう返した。
「・・鈴の心が透き通るくらい綺麗だから、とか?」
すると、僕のその答えを聞いた鈴はぶはっ!と思い切り吹き出した。そしてそのまま腹を抱えて笑い始める。
「あ、あはは!白夜は面白いことを言うな!もし私がそんなに心が綺麗と言うなら、この世界はとっくに聖人君子で溢れかえっているだろうよ!」
まさかここまで大笑いされるとは思っていなかったが、自分でも自信の無い問いかけだったために、鈴の言うことはなるほどと思えた。
しかし、それなら答えは一体何なのだろうか?
この問いに答えを出すには時間がかかるだろう。そう思っていたが、鈴はそんな僕の思いを裏切りあっさりその答えを教えてくれた。
「多分ね、それ、私がもう死んでいるからだよ。」
「・・やっぱり。」
「あ、気づいていた?」
途中から薄々そうではないかとは思い始めていた。鈴は見た目と言動の差が激しいし、何より、音の色がない。透明である・・という事実は彼女が既に死んでいるのではないかと思わせるには充分な根拠であった。
「白夜は私のことが怖くないの?」
大人びた鈴の表情に微かに影が生じたように見える。彼女の声の色は見えないが、見えたとすれば恐らく不安を表す青系の色が出ていただろう。
だが、その色は彼女には似合わないと思う。彼女は既に美しい蒼をその瞳に持っているから。
だから、僕は彼女の不安を取り除けるようあえて明るい声でこう言った。
「確かに少し驚きはしたけれど・・全然怖くないよ。むしろ、鈴と話していると心地好いくらいだ。」
僕がそう言うと、鈴は一瞬驚いたように目を丸くしたあと、それまでの悪戯っぽい笑みとは違う優しい笑みを浮かべ、「ありがとう。」と、僕の耳元でそう囁いた。
耳が急激に熱を持ったのを感じ動揺する僕に対し、鈴は口の端をにやりと持ち上げ再び元の様子に戻ったかと思うと、こんなことを言ってきた。
「白夜、私はお前のことが気に入った。だから、今からお前がさっき話してくれたお前にかけられた『呪い』を、『呪い』に変えてやろう。」
僕は、最初は鈴が何を言い出したのかすぐに理解することが出来なかった。しかし、その言葉を理解した僕の顔には乾いた笑みが貼り付いていた。
「何を言っているのさ、鈴。僕にかけられた呪いは決して解かれることはない。僕の世界は白黒のままだし、君以外の人間の感情は薄汚い鈍色で息をするのも辛い。工場の排気ガスよりもっと汚い、そんな色に囲まれた生活から抜け出そうにもこの耳と目がある限り世界はそのままで呪いは解けないままなんだ。」
僕が十年の年月で悟ったその事実を、しかしながら鈴は失笑と共に一蹴した。
「人間の感情が鈍色?そんなの当たり前だろう。人間は様々な感情を抱えて生きているんだ。絵の具を混ぜれば色が濁るのはしごく当然のこと。単純な原色だけの人間などいやしないさ。」
そして、鈴はこう言った。「むしろ、お前は恵まれている。」と。
「僕のどこが恵まれているっていうんだ?」
「だってそうだろう?お前の見る世界は白黒だが、お前の人との関わり方次第でお前は世界を何色にも変えることが出来るんだ。」
鈴のその言葉は、僕の胸にガツンと強い衝撃を与えた。
「お前ならきっとそれが出来るさ。・・さっき私の心を救ってくれたみたいにね。白夜が私を受け入れてくれて、凄く嬉しかった。死人の私には色はないが・・私は今とても綺麗な色をしているんじゃないかと思う。白夜には、私がどう見える?」
そう言ってこちらに向けてくる眼差しはとても優しくて、それでいて僕の心をまっすぐに貫いた。
「ああ・・凄く綺麗だ。僕の眼は、まだこんな色を映せたんだね。」
-この瞬間、確かに僕にかけられた呪いは、呪いへと姿を変えたのだった。
■■■■■
それから二十年後・・。
僕は、社会人として立派に働いている。母親とは、あの後産まれて初めてちゃんと顔を合わせて真剣に話をした。すると、今まで暗い感情に隠れて見えてこなかった、暖かい感情を僅かながら見ることができた。結局、母親と和解することはなく、僕は自ら家を出て親戚の家で育ててもらうこととなったが、母親に僕を僅かでも愛する感情があった。それが知れただけで満足だった。
「白夜社長!おはようございます!」
僕より少し若い女性の社員が、元気よくそう挨拶をしてくれた。彼女の声は、原色と間違わんばかりの明るい黄色だ。それほど、彼女が明るく元気な証拠だろう。そんな彼女に、僕も軽く手をあげておはようと返事を返した。
確かに、人の感情はとても綺麗とはいえない色をしている。しかし、もっと細かくその人物と話せば、その感情が決して汚い色だけで出来ているわけではないことが分かる。
僕は、なるべくそんな人の綺麗な感情を引き出すよう努力してきた。白黒の世界を、自分の好きな明るい色をした世界に変えるために。そうしたら・・なんか偉くなっていた。人生って不思議だ。どこで何が起こるか分からないし、呪いだと思っていたものが実は呪いだったりする。
「そう思わないかい?鈴。」
「藪から棒になんだいきなり。」
僕は、そんなことをいつもの神社で鈴に話していた。初めての出会いから二十年が経った今でも、僕は毎日この神社に来てはこうして鳥居の上に鈴と一緒に座り語り合っている。
しかし、やはり二十年という月日は長く、あの時は同い年くらいに見えたのに、今ではすっかり僕の方が見た目的に年上になってしまった。
そろそろ結婚のことも考えなければいけない年齢となり、会社の中にも僕に好意を抱いている女性がいることは色を見れば分かるが、僕は誰とも結婚するつもりはない。そう鈴に言ったら「このロリコンめ。」とからかわれた。解せぬ。
「あーあ、僕もこのままじゃ一生独身か。こりゃ、人生バットエンドだな。」
「・・ふん。そんなことを言うならさっさと結婚すればいいじゃないか。」
少し頬を膨らませて拗ねた様子を見せる鈴。そんな彼女が愛しくて、僕は目を細めた。そして、彼女の小さな唇に、そっと自分の唇を重ねる。
「まあ、バットエンドでも、鈴と二人ならきっと綺麗な色を作れるさ。」
-鈴の耳元でそう囁いた言葉は、まるで虹のように僕たちを包んで見えた。
作者、真面目に頑張りました。誉めてください。これが作者なりのバットエンド。え、バットエンドじゃない?・・いざ書いたらこうなっちゃったんだよ!悪いか!(逆ギレ)