パン生地
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「…ダメね」
出来立てのパンを前に私はそう呟いた。
見た目に美味しそうな焼き上がりだが、味が満足のいくものではなかった。
分量も工程も学んだ通りなのにどうしても上手くいかない。
何かが足りないとか?何かが間違ているとか?具体的な理由があればまだ納得もいく。
しかし、父さんからもそう言った話しはない。
そう…。私は『忠実』に作っているもの。
「ごめんよ~」
「あ…イアンさん」
「よぉ、イリアの嬢ちゃん。邪魔するぜ」
厨房に入ってきたのは商業ギルドのギルド長のイアンさんだ。
お父さんと仲が良かったので小さいころからの知り合いでもある。
お父さんがお店を離れ、私が店を継いでからも何かと気にかけてくれている。
「今日はどうしたんですか?それに後ろの人は?」
「こちらは、ユズルと言ってな。実はパン屋を紹介してほしいと頼まれてな」
「ユズルです。実は作っていただきたいパンがあるのですが…」
「あの…実は私、今は自分の店用のパン作りで手一杯で…」
「聞いています。上手くできていないとか?」
「え?あ…はい」
「もしよかったら作る工程を見せてもらえませんか?」
「で、ですが…」
「嬢ちゃん、見せてやってくれ」
「イアンさんまで…分かりました」
作り方を一通り見せてもらい、作られたあったパンを食べてみる。
硬いのはこの世界の常識なのでそこは置いておくが、小麦の味があまり感じられない。つまり、風味が足りないのだ。そして、ユズルがこのパンの1番の弱点を見つけた。
それが、パサパサの触感だった。とにかくパサパサで歯ごたえも無い。出来の悪いクッキーのように喉の水分を全部持ってかれるような口当たりの悪さが目立つ。
「なるほど…。女性ならでは欠点が出てしまったんですね」
「え?何が悪いか分かったんですか?」
「ええ。練りとコシが足らないんですよ。これは男性と女性の力の差もありますし、それに彼女はお父さんから教わった製法をかたくなに守ってました。普通は、自分に合った分量に調整して無理の無いように作るものですが、お父さんと同じように作ることに拘り過ぎたことが仇になったんですよ」
父親の味にこだわり、その製法までを忠実に再現しようとしたイリア。
しかし、それこそが彼女のパンを失敗させた原因だった。地球のようにドライイーストがあればまだなんとかなっただろう。だが、この世界では粘り気を出すのに塩のみなので普通よりもかなり力を込めて練らなければならない。
しかも、大人の男性と同じ量で作るとなれば倍…いや、3倍は練らなければならないだろう。その上、寝かせるべき冷蔵庫の無い世界だ。常温で寝かせておくので、とにかく練りが悪いとどうにもならないのだ。
だからこそ、女性がパンを作る場合は通常よりも分量を減らしたもので作らないとダメなのだ。
「ですが、彼女のやる気と真面目さは分かりました。ギルド長の依頼、お受けします」
「え?依頼…?」
「うむ。彼に新しいパンを作るお店を紹介する代わりに君のパン作りの手解きを頼んだんだ」
「確かに、私のパンの失敗の原因を教えて貰いましたが…それさえ直せばいいわけですし…」
「そうですね。君の欠点を勝手に教えたのは俺ですから、それを強要するつもりはありませんが…より美味しいパンを作ってみませんか?」
「美味しいパン?」
「はい。この世界にパン革命を起こすパン。軟らかいパンです」
「軟らかいパン!?」
地球では当たり前になっているフワフワの軟らかパンだが、この世界ではどうしても作れない。いや、似たものは作れるがとても食えるものじゃない。それは、塩しか使ってないからなのだ。とはいえ、バターは高級すぎて使えないし、この世界にはドライイーストもないのも大きい。
「軟らかいパンは長持ちしませんよ?」
「今までの作り方でしたらね。硬いパンにも言えますが、パン作りに1番大事なのは『発酵』です。そのためにはパン用の麦と上質の塩…そして、発酵の促進を促す『発酵菌』が必要になるんだ」
「…『発酵菌』?」
「パン生地が膨らむのはその『発酵』によるものなんだ。その発酵を上手に作れてパンは美味しくなる」
「じゃあ、今まで生地が膨らまなかったのは…」
「発酵が足らなかったことを意味するね。特に塩のみだと練りが足りないだけで発酵に致命的になるんだ」
言いながらユズルが実演で生地作りをしていく。
小麦こそ店のモノだが、塩は自前のモノである。
ここでは、ドライイーストは使わずにパン生地を作る。
レシピはイリアのお父さんのモノだ。
ただし、塩の分量は少なめにする。
後はこねてこねてこねくり回す。そうすることで生地の発酵を促すのだ。
「これでしばらく置く…と」
「…その透明な紙は何です?」
「ラップと言って、これで包めば余計な雑菌が入らなくなる」
だが、発酵のことも考えて大きめに包んでおく。本来ならボウルに生地を入れ、ボウルの縁にラップすることで無理なく発酵できるのだが、そんなものは無いので仕方が無いと言うところだ。
1時間ほど置くと生地は倍くらいに膨らんだ。
「よし。後は切り分けて、形を整えて焼き上げるだけだ」
「火加減は完璧です。どうぞ」
「お願いします」
この世界にはまだオーブンが存在しない。
ピザ窯のように、一度窯の中で薪を燃やして窯の中の温度を上げてからパン生地を投入するのだ。
パン生地を窯に入れてしっかりと蓋をする。40分後、良い香りとともに焼きあがったパンを取り出す・
「とても良い香りだわ」
「早速、試食だ。ギルド長もどうぞ」
「うむ。いただこう」
パンの試食。正直、ユズルにとっては硬くて味気ないパンだった。
フランスパンよりも硬くて、麦の味はするものの風味程度である。
これは圧倒的に小麦の量が少ない上、塩オンリーであるため発酵がイマイチであるためと言えよう。
…いや、これは小麦粉自体にも問題があったのかもしれない。
「…イリアさん。小麦粉を見せてもらえますか?」
「え…?あ、はい」
「どうした?パンは十分美味しいと思うが?」
「いえ…麦の風味が飛んでます。これでは嚙めば嚙むほど味が薄れますよ」
「……確かに、噛んでいくことに味がなくなっているような…」
イリアから小麦粉を受け取り見ると、確認してみる。
「やっぱりな。小麦粉の粒が荒い…」
白いだけのはずの小麦粉に明らかに著色がかった粒や黒っぽい粒などが混ざっている。
これでは塩を良くした分逆に小麦粉の荒さが目立ってしまった。
「これはもう、小麦粉の製造法を確認しないと…」
「大事になってきたな」
「パン作りって…思った以上に大変だったんですね」
「これは俺の考えですが…この荒さは人手によるものだと思うんですよ」
「それはそうだろう。人意外にどうやって製粉すると?」
「人の手でやるとどうしても均等にできません。自動製粉にしないと…」
「じ、自動ですか?そんなことできるんでしょうか?」
「この辺りに川はありますか?」
「南門を西に行ったところにあるが…それが?」
「水車を使って自動で製粉する方法と言うのがあるんです」
「水車?」
「それって何なのですか?」
この世界には『水車』も存在しないのか…。
これは手間がかかりそうだ。
結局、製粉をしている仕事場に行くと大きい碾き臼を数人のガタイの良い男たちが力任せに挽いていた。
思った通りすぎてまだまだ美味しいパン作りには程遠いことを実感する俺だった。




