飴玉と涙
僕はあの日、飴玉を盗んだ。
近所の駄菓子屋で、おばあさんの目を盗んで飴玉を盗んだのだ。
僕の家は母子家庭で毎日の食事を用意するのも大変なほど困窮していて、当然そんな時にお小遣いなど貰えるわけもなく、友達と遊びに行ってもお菓子の一つも買うことができなかった。
それに特別不満は感じなかった。
ただ、母が大変だから我が儘を言わない。そう心に決めていたのだった。
しかし、そんな決心も子供のころの僕は簡単に揺らいだ。
帰り道、いつものように古びた駄菓子屋の前を歩いていた。店の中にはたくさんのお菓子が並んでいる、色とりどりのパッケージや瓶に入ったスルメなどが僕の視界に入る。
それを見た瞬間、僕の心は欲に染まる。
どうして僕ばかり我慢しなくてはならないのだろう、どうして皆が笑顔で楽しそうにお菓子を選んでいるときに僕は一緒に選べないのだろう、どうして皆がお菓子を食べているときに僕はその様子を見ていることだけしかできないのだろう。
怒りと悔しさが僕を突き動かす、足を止めて駄菓子屋へと足を踏み入れる。
「いらっしゃい」
駄菓子屋のおばあさんが優しい笑顔で向かえてくれた。
「こんにちは」
「ゆっくり見て行ってね」
いろいろなお菓子が並んでいる、ガム、チョコレート、スナック菓子、色とりどりの小さなゼリー――
そのどれもが僕の目には宝のように映る。
その宝の山から僕が選んだのは大きな飴玉だった。
赤い大きな飴玉にザラメがかかっている皆もよく食べている飴玉、きっと口に入れたら美味しいだろう。
僕はおばあさんが見ていないことを確認すると飴玉をポケットの中へ忍ばせる。何もなかったように振る舞い店を出る。
「あら、帰っちゃうの?」
後ろから声を掛けられて心臓が大きく跳ね上がる。
「うん、また今度買いにくるよ」
「そう、待ってるわ」
「それじゃあ」
何とか乗り切ったら、僕は勢いよく駆け出した。走って走って――ようやく止まったのはいつも遊んでいる公園の手前だった。息を整えてブランコに乗る。軋んだ音が誰もいない公園に虚しく響く。
ポケットから盗んできた飴玉を取り出して包み紙を開ける、手のひらの飴玉はザラメが夕日に反射して本当に宝石の様だった。
口に入れてしばらく舐め続ける、甘くておいしい、満足している、筈なのに僕は悲しくなって涙を溢す。
「う、ううっ……」
情けなかった。飴玉を盗んだ自分が、飴玉すらもお金を出して買うことのできない自分が。
罪悪感を抱えながら舐める飴は涙の味がしてちっとも美味しくなんてなかった。
次の日、僕はまた駄菓子屋に来ていた。
今度は盗みに来たのではなく謝りに来たのだ。
正直怖かった、さっきから心臓の音がうるさい。それでも逃げ出すことは許されない、僕は意を決して店の中へと入った。
「あら、来てくれたのね」
おばあさんの優しい笑顔と穏やかな声を聞くと涙が自然と溢れ出た。
「ご、ごめんなさい……」
嗚咽を上げながら僕はおばあさんに謝る。
「飴玉、盗んじゃった、ごめんなさい……」
おばあさんは僕に近づいて目線を合わせると頭をポンポンと撫でてくれた。
「盗んだのは悪いことよ、だけどあなたは謝りに来たわ、だからもういいわ」
おばあさんは奥に行ってしまった、警察に電話を掛けられるのかと思って僕はひやりとした。
しかし、おばあさんはにっこり笑顔のまま手招きをした、僕は恐る恐るおばあさんの方に近づく。
「手を出して」
僕が両手を出すとおばあさんは一つの飴玉を手のひらに乗せた。僕は意味が分からずただただ乗せられた昨日と同じ赤い飴玉を見ることしかできなかった。
「昨日、盗んだのはこれよね」
「……うん」
「今日は特別にあげるわ。私に言うのは怖かったわよね?だから、これを食べて元気を出しなさい、皆には内緒よ」
「ありがとう」
飴玉を早速口に入れる、昨日とは違ってちゃんと甘いイチゴの味がした。
「美味しい?」
「うん、美味しいよ」
僕は今もイチゴ味の飴玉を舐めるとあの日の出来事を思い出す。