夫の圧が強くて今日も夜しかぐっすり眠れません!
「ただいま」
「お帰りなさい。その、お風呂、用意出来ています」
帰った夫のジャケットとお弁当箱を預かりながら、伝える。
「ん」
わたしがネクタイを解くあいだに、夫が外したベルトを預かる。
「上がる頃には、ご飯も用意出来ますから」
「ありがと」
脱衣所から手だけ出した夫からスラックスを預かり、スーツ一式を抱えて、クローゼットへ向かう。
スーツをハンガーに吊るし、丁寧にブラシとスチームをかける。
ふぅ、と息を吐いて、はた、と時計を見る。
「いけない、もうこんな時間」
慌ててキッチンに向かい、手を洗って料理の仕上げに取り掛かる。こんな時は、長風呂の夫に感謝だ。
脱衣所から聞こえて来たドライヤーの音で、料理の盛り付けを始める。ダイニングテーブルに料理を並べて、グラスを取り出したところでダイニングの扉が開いた。
「今日は、なにを飲みますか?」
「明日早いからお酒はやめとく。冷たいお茶、ある?」
「ジャスミンティーか麦茶なら冷やしてあります」
「じゃあジャスミン」
「わかりました」
ふたつのグラスにジャスミンティーを注いで、残りを冷蔵庫へ、
「出しといて、喉乾いてるから」
「あ、はい、ここに置いておきます」
「ん」
夫の言葉でジャスミンティーのボトルはテーブルへ、すでに椅子に着いた夫の前の椅子に座る。
「いただきます」
「召し上がれ」
喉が渇いていると言う言葉は本当らしく、すぐお茶を飲み干した夫のグラスにおかわりを注ぐ。
「ありがと」
「いえ。お味噌汁、味は大丈夫ですか?」
「ん」
頷きだけ返して、あとは黙々と食事を続ける夫。
わたしも箸に手を伸ばし、いただきますと食事を始めた。
今日の献立は白米とお味噌汁、鮭の塩焼き、厚焼き卵、ほうれん草の白和えに、浅漬けと筑前煮。
それから、デザートに、
「いちごが冷やしてあるので、持って、」
「まだ食べかけじゃん、食べ終わってからでいいよ」
食べ終えた夫はわたしのお皿を指して言い、自分は手酌でジャスミンティーをグラスに注いだ。
「飲む?」
「あ、はい、自分で」
「俺が入れとくから食ってな」
「ありがとうございます」
注いで貰って恐縮しつつも、急いでお箸を、
「ゆっくり食えよ。喉詰まるだろ」
「はい、すみません」
眉を寄せて言われて、速度を落とす。
夫は頬杖を突いて、そんなわたしを見ていた。
黙々と食べ終え、立ち上がる。
「いちご、実家から?」
「はい。お米と一緒に」
「いつも悪いな」
「いえ、父と母だけじゃ、余らせてしまうみたいなので」
子供たちが家を出て、祖父母が施設に入って、親戚もどんどん高齢化していて。消費先が減ったお米を、父母は持て余しているそうだ。だからお米を定期的に送って来るのは、消費して欲しいから。追加で野菜や果物を送って来るのは、そのお詫びと、みそっかすを貰って貰ったことへの、感謝だろう。
定期的に送られて来るお米を消費するために、ほぼ毎食お米を食べている。
「いつも米食ばかりで、ごめんなさい」
「いや、俺、米好きだし。いつもっつっても、味噌汁代わりに麺類付けてくれたりするじゃん。米粉で麺とかパン作ったりもしてるし」
しかし、素人作成の米粉で作った、素人作成のパンや麺だ。市販品にクオリティで劣る。
「飽きませんか?」
「飽きないけど?つか、レパートリー多過ぎてビビってるわ。弁当だっていつも、職場で羨ましがられてるし。前にベーグル持たされたときとか、同僚が自分のパンと交換しろとか言い出して、奪われないように死守すんの大変だったわ」
ぼやいていちごを刺したフォークを手にした夫が、三白眼でわたしを見る。
「つか、大変だったら別に、市販品とか出前でも良いからな。外食行ったって良いんだし」
「それは」
「俺は胃袋掴まれてっから、毎食作って貰えた方が嬉しいけど、休みたいときは休んで良んだぜ?あんま、気ぃ使うなよ」
いちごを口に放り込み、咀嚼し飲み込んでから、夫が続けて問う。
「それとももしかして、食費か生活費が足りてないのか?節約しようとしてる?」
痛いところを突かれて、目を泳がせる。
「おい。やりくり出来ないなら、言ってくれれば増やすって、いつも」
「じゅ、十分、貰っています!ただ、その、貰ってばかりで、申し訳、なくて」
「は?」
明らかに、怒った気配に肩がはねる。
「お前、誰のお陰でこんな生活出来てると思ってんの?」
ちぢこまるわたしに、夫が詰問を投げる。
「答えられるだろ。誰のお陰だよ」
「それは、その」
かあ、と顔に血が昇る。
「なに、答えらんないの?俺のQOL爆上がりした原因を訊いてるんだけど!?」
コンっ、と机を叩く音にまた肩をはねさせ、口を開く。
「わ、わたし、です」
「わかってんじゃねぇか。そうだよお前のお陰だよ」
はーっと息を吐いた夫が、ガタッと立ち上がり、大きな手を伸ばして、わたしの頭をぐしゃぐしゃとなでる。
「疲れて帰ったら可愛い奥さんが、風呂と飯用意して待っててくれんの。掃除も洗濯もスーツや靴の手入れもぜぇんぶやってくれるから、俺は仕事だけしてたら良くなったの。俺は、その必要経費と報酬をきちんと払いたいの。わかる?」
「で、でもっ」
「でも?」
「わ、わたしの食費や生活費も、払って貰ってて。この部屋の、家賃だって」
頭をなでていた手が、うつむいたわたしの顎をすくいあげる。
「お前の一生貰い受ける代金には、安過ぎるくらいだろ。つか、家事代行の相場わかってる?時給千円一日十時間で換算したとしても、毎日なら月三十万だぞ?お前は、月三十万貰える仕事をしてんの。黙ってその報酬は受け取っとけ」
「でも」
「それでも気になるから働きたいってんなら、止めねぇけど」
首を傾げて、夫は唇の片端を上げる。
「ソレ、子供が大きくなってからでも良くね?」
「まだ、妊娠もしていない、ですよ」
「遅かれ早かれじゃん」
顎から手が離れ、ぺん、と額を弾かれた。
椅子に座り直した夫が、いちごを頬張ってから続ける。
「なんにせよ、俺はお前がなぁんも家事しなかったとしても、戸籍の配偶者欄にお前の名前があるってだけで、なんぼ払ってもお前を養うつもりだし、家事までしてくれるってんならその費用と報酬は払う。土下座してお前を嫁にくれって頼む前に、そんくらい覚悟してんの。お前はいてくれるだけで良んだよ、本当は」
だから無理すんなと言われて、うつむいた。
夫は大学のときの先輩で、夫が大学院を卒業するときに告白されて付き合い始めた。
そんな夫がプロポーズして来たのは、就職した会社の部署が合わなかったわたしが、心身共にすり減らして疲れ切ったときだった。
新しく出来る事業所のトップとして栄転することが決まったから、ついて来て欲しいと。
遠くに引っ越すことになるから今の職場は辞めて貰わないとだけど、お前を養えるだけの稼ぎと貯えはあるからと言った夫は、結婚よりもわたしを職場から離すことを考えていたのだろう。
夫は本社勤務で、本社で重要ポストに就く道だって用意されていたはずだから。
寿退社したわたしに、働きづめだったんだからゆっくりすればと夫は言って、それからずっと、わたしは専業主婦をしている。内職もパートもせず、ただ、家事だけを。
そんなわたしに夫は毎月、十二分以上の食費と生活費を渡し、さらに、家事の報酬と言う名目で小遣いと言うには多過ぎる額まで与えている。もちろん使いきれるわけがなく、貯金残高は増えるばかりだ。
「あ、そうそう」
うつむくわたしの頭に、夫が声をかける。
「新事業所立ち上げのバタバタも、やっと落ち着いて来たからさ、上層部も順繰りで有給やらなにやら消化してくことんなって、俺もそのうち一週間くらい連休取れっから」
突然転換した話題に、顔を上げると。
「遅くなったけど、新婚旅行行こうな。どこ行くか。温泉とか良いよな」
わたしと目を合わせた夫が、悪い笑みを浮かべる。
「旅行先では、家事一切しなくて良いから、その分、俺も遠慮しねぇし、ま、よろしくな」
今だって、週末は、そこそこ遠慮ないと思うのだけれど。
「お互い働き過ぎだし、たっぷり休もうぜ、たまには」
立ち上がった夫はいつの間にかいちごを完食していて、お皿を片付け始めるのに慌てる。
「お皿は、」
「流しに運ぶだけだって。洗わない、洗わない。ほら、お前のいちごまだ残ってんだから、ゆっくり食えよ。美味かったぞ」
やろうと思えば家事だって完璧に出来る夫は、言葉通りお皿を運ぶだけ運んで、歯を磨きに洗面台へ足を向ける。
「ゆっくり食べて、片付けて、ゆっくり風呂入れ。んで、今日も抱き枕よろしく、奥さん」
一緒にいたくない気分のときもあるだろうと私室は分けられていて、それぞれにベッドがある。けれど、結婚して今まで別々のベッドで眠ったことはない。
それでも夜はゆっくり休む主義の夫は、仕事の前日は手を出して来ないし、休みの前日も夜は寝かせてくれる。
でも、それが休まず家事をするわたしへの、配慮であったならば。
「わかりました」
「ん」
顔が熱い。きっと、いちごのように、赤くなっているはず。
たぶん、くれるつもりなのだ。プロポーズのときのように、わたしに言い訳を。だから。
夜も眠れない日が、そのうちに、訪れるのかもしれない。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました
モラハラ男に見せかけて愛が重いだけの夫
を書きたかったのですが
愛が重い夫はモラハラしないと言う矛盾が生じました




