表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/38

第七話: 盤上の来訪者

 仮想世界《箱舟(アーク)》。

 神代(かみしろ) (れい)は、自らの玉座(ぎょくざ)から、現実世界の情勢を映し出す複数のモニターを眺めていた。まるで、複雑なリアルタイムストラテジーゲームを観戦するように。

 新京(しんきょう)で起きた小さな「バグ」は、今や世界という名のサーバー全体に波紋(はもん)を広げ、様々なプレイヤーたちの思惑を炙り出している。


「ディアナ。各国の動きを要約しろ」


「はい、マスター。極東自治区政府は、未だに事態をテロとして隠蔽しようと試みていますが、その実、内部は混乱の極みにあります。ユーラシア連合は、新京(しんきょう)に潜入させた工作員たちによる情報収集を継続中。そして――」


 ディアナは、一つのモニターを拡大する。

 そこには、新京(しんきょう)の国際空港へと着陸態勢に入る、巨大な輸送機の姿が映し出されていた。機体には、環太平洋合衆国の国章が描かれている。


「環太平洋合衆国より、技術調査団を名乗る部隊が、先ほど新京(しんきょう)に到着しました」


「……調査団、か」


 玲は、その言葉に微かな興味を示した。

 彼らは、この現象を既存の物理法則の延長線上にある『未知の技術』と定義している。前提が間違っている以上、導き出される結論もまた、誤りだろう。

 彼らがどのようなエラーを導き出すのか、観測する価値はあるかもしれない。


「その調査団の主任の名は?」


「ジュリアン・アッシュフォード。若干25歳。彼の公的な所属は国家安全保障局ですが……バックドアを通して《マザー》の深層を探ったところ、一つの秘匿ファイルに行き着きました。プロジェクト名、『カサンドラ』」


 ディアナが表示したファイルには、何世代にもわたる研究者たちの名前と、一つの仮説が記されていた。

 ――情報と物理の境界が融解する特異点、その発生確率と、引き金となりうる『超天才』の出現予測。


 その文字列を目にした瞬間、(れい)は数秒間、沈黙した。

 彼の思考に、純粋な驚愕という名のノイズが走る。


 (……予測だと? この私を? 旧世界の陳腐な論理で、この現象を予見したというのか? 一体、どのような変数と計算式を用いれば、その結論に辿り着く……?)


 それは、侮蔑(ぶべつ)や怒りではなかった。

 自らの盤上で、自分以外のプレイヤーが、全く異なるアプローチでありながら、驚くべき「正解」の一端に触れている。その事実に、彼は純粋な知的好奇心を刺激された。


「……予言、というわけか」


 偽神(ぎしん)は、感嘆とも呆れともつかない声で呟いた。

 ようやく、この退屈な盤上に、思考を読むに値する駒が現れた。


「ディアナ。彼らの評価をレベル4に引き上げろ。もはや単なる観測対象ではない。この盤における、新たな変数だ」


「……よろしいのですか?」


「ああ。どうやらこのゲームは、私が思うよりも、ずっと面白くなりそうだ」


 偽神(ぎしん)は、自らの盤上に現れた「イレギュラー」な駒が、どのような動きを見せるのか。注意深く見つめることにした。


◆◆◆


 新京(しんきょう)国際空港の滑走路に、環太平洋合衆国の最新鋭輸送機が、地響きを立てて着陸した。

 ランプが開き、現れたのは、黒一色の特殊な制服に身を包んだ一団。その先頭に立つ青年――ジュリアン・アッシュフォードは、極東自治区の湿った空気を吸い込むと、満足げに微笑んだ。


「――これが、新しい世界の空気か」


 彼の呟きは、誰にも聞こえないほど小さかった。

 出迎えた極東自治区の役人たちが、緊張した面持ちで駆け寄ってくる。彼らの形だけの歓迎と、隠しきれない警戒心を、ジュリアンは一瞥しただけで全て見抜き、内心で侮蔑(ぶべつ)した。


「長旅ご苦労様です、アッシュフォード主任。まずは、我が国の対策本部へ――」


「その必要はない」


 ジュリアンは、役人の言葉を冷たく遮った。


「現地のプロトコルは無視させてもらう。我々は、我々のやり方で調査を進める。車両と、最低限の案内だけ用意してくれればいい」


 あまりに傲慢(ごうまん)な態度に、役人たちが色をなす。だが、ジュリアンは彼らを意にも介さず、自らの部下に指示を飛ばした。


「直ちに『聖域サンクチュアリ』――変貌(へんぼう)したアーカイブ領域の周辺に、我々の観測機器を設置しろ。全てのデータをリアルタイムで本国へ送れ。一瞬の揺らぎも見逃すな」


 彼の部下たちは、極めて練度高く、無駄のない動きで準備を始める。

 ジュリアンは、輸送機のランプの上から、遥か遠くに霞んで見える、異質な光を放つ領域を見つめた。


「予言にあった『最初のラッパ』が、これほど美しいとはな」


 彼の瞳には、この現象に対する恐怖や混乱は一切ない。

 あるのは、長年待ち望んだ研究対象を前にした、科学者の純粋な興奮と、自らがこの謎を解き明かすのだという、絶対的な自信だけだった。

 この来訪者(らいほうしゃ)が盤上に投じた一手(いって)が、遥か高みから、興味深い観察対象として見つめられていることに、彼はまだ気づいていなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ