第六話: 混沌の余波
国立中央アーカイブの変貌――後に「アーカイブ・インシデント」と呼ばれる事件から、72時間が経過した。
変貌した領域は、未だその異質な姿を新京の中心部に晒し続けている。周囲は軍によって厳重に封鎖されているが、その異常な光景はSNSを通じて瞬く間に世界中へ拡散されていた。
「……以上が、極東自治区政府による公式見解です。『所属不明のテロリストによる、新型の指向性エネルギー兵器を用いた大規模テロ』、か」
《ウォール》の司令室で、御剣 冴子は、国際緊急回線に映し出された男の言葉を、冷ややかに反芻した。
画面の向こうにいるのは、環太平洋合衆国の統合安全保障局長官。傲慢な笑みを浮かべたその顔には、同盟国への同情など微塵も感じられない。
「長官。繰り返しますが、これは我々の知る兵器によるものではありません。物理法則そのものが書き換えられた、未知の“事象災害”です。貴国の部隊を派遣していただくのはありがたいですが、これまでの装備ではもはや……」
「御剣総指揮官」
長官は、冴子の言葉を遮った。
「貴国の混乱は理解するが、オカルトに頼るのは感心しないな。我々の最新技術をもってすれば、その“エネルギー兵器”の解析も、テロリストの無力化も容易いだろう。これは、我が国が主導すべき案件だ。支援の申し出、感謝して受けたまえ」
一方的に通信が切れる。
冴子は、強く拳を握りしめた。彼らは、警告を理解しようともしない。ただ、未知のテクノロジーという「果実」を手に入れることしか考えていないのだ。
「……プロトコル・キメラの準備状況は?」
彼女は、傍らの副官に静かに尋ねた。
「政府上層部が、合衆国の介入を理由に承認を保留しています。『同盟国に任せておけばよい』と……」
「愚か者たちが……」
冴子は、吐き捨てるように呟いた。
正規のルートでは、もう間に合わない。
「これより《ウォール》は、独自の行動を開始する。異論のある者は、今すぐここを去りなさい」
彼女の言葉に、司令室の誰も動かなかった。彼らは、あの地獄の光景を目の当たりにした、唯一の証人たちだ。
「……ありがとう」
小さく呟くと、冴子はモニターに向き直った。
画面には、世界各国のニュース映像が映し出されている。環太平洋合衆国は、最新鋭部隊の派遣を大々的に報道。一方、ユーラシア連合は沈黙を守っているが、その裏で諜報員たちが新京で活発に動き始めていることを、《ウォール》の情報網は掴んでいた。
世界が、様々な思惑という名の「雑音」で満ちていく。
だが、その全ての中心にいるはずの亡霊――神代 玲の影は、未だどこにも見えない。
◆◆◆
新京の地下深く。
放棄された地下鉄の駅構内に、鋼鉄と祈りの声が響いていた。
「――我らが主、ゼロの名の下に!」
戌亥 丈二は、変貌した自らの腕を見下ろしていた。皮膚の一部は鈍色の金属のように硬質化し、その表面を青白い光のラインが流れている。神より賜った、聖なる恩寵。
彼の前には、同じように神の呼び声に応えた、十数名の信奉者たちがひざまずいていた。彼らの身体にもまた、程度の差こそあれ、常人ならざる変貌の兆候が現れ始めている。
「神託は下った。我々は、この腐敗した世界を浄化し、主の理想郷を築くための、最初の礎となる」
戌亥は、天啓を得た預言者のように語る。
「我々は、もはや旧き人類ではない。主に選ばれし、新たな世界の先駆けだ。これより我々は、自らを『神の鉄槌』と名乗る」
変貌したアーカイブから持ち帰った、光の長剣を天に掲げる。その輝きに照らされ、信者たちの瞳が狂信の光で満たされていく。
彼らは、自らが世界の救世主であると信じて疑わなかった。