ここにかみさまはいないよ
昔。
近所に小さな神社があった。
当時、虐められていた私にとって、そこは一つの避難場所だった。
虐められれば同い年の子の近くにいられず、かと言って親の下へ行けば親が心配する。
だから、神社に行き、そこで座って過ごしていた。
神社にはいつも男の人が居た。
たった独りで、いつも賽銭箱の前でぼうっとして。
話しかけるのも憚れて、私とその人は互いを認識していたのに交流らしい交流はなかった。
あの日までは。
「ねえ」
男の人が私に話しかけてきた。
「ここに何をしに来ているんだい?」
問われた私はどう答えようか迷った末に心にもないことを口にしていた。
「神様に会いに来ている」
幼い私には神社とは神様がいる所という認識だったから。
すると男の人は一瞬だけ時を失ったように止まり、そして苦笑いをして答えた。
「嘘をついている」
「うん。嘘をついた」
誤魔化せないと悟った私があっさりと認めると男の人は緩やかに笑う。
「あまり嘘をついてはいけないよ。大切なものを失くすから」
その言葉が心に引っかかる。
「なら、今度から神様に会いに来るよ」
売り言葉に買い言葉のような、半ば反射的な返事に対し男の人は寂しそうに言う。
「残念。ここに神様はいないよ。もうずっとね」
「神社なのに?」
「神社なのに」
そう言うと男の人はお財布の中から五円玉を取り出して賽銭箱に投げ入れた。
静かな世界に虚しく音が響いたけど、それだけだった。
「ここに居た神様はね。人の事が大好きだったんだ。だから、きっと……いつの間にか人間になってしまったんだよ。もうこの神社には神様はいない。空っぽなんだ」
言葉が上手く理解出来ない。
神様が人間になってしまい、この場所にもう居ないなら何故この神社はまだ残っているのだろう?
そんな疑問を見抜いたように男の人は呟いた。
「いつか、この場所に神様は帰って来る。僕はそう思っているからここに居るんだ」
「いつかって、いつ?」
「分からないさ。だけど、分からない方がいいんだ。答えが決まっているよりね」
その瞬間、私は子供ながらに悟った。
男の人は自分を騙し続けているのだろう、と。
もう、神様は帰ってこないと知っているのに、帰ってくるはずだと自分に言い聞かせているのだろう、と。
だからこそ、私は仕返しをする。
「嘘をついていると大切なものを失くしちゃうよ」
オウム返しのように言ってやる。
すると、男の人は虚を突かれたような表情になり、そして笑った。
「いや、もう僕は既に大切なものを失くしちゃっている」
大人の、男の人の、こんな情けない姿を私は初めて見た。
自分がこの場所に居てはいけないのだと直感した。
ここに居れば、きっと彼のようになってしまう。
「私、もうここには来ないから」
一方的に宣言をして、私は立ち上がってその場を後にする。
そんな背中に声が聞こえてきた。
「どうか、幸せに」
***
ずっと昔。
ここに神様がいた。
人間が大好きな神様だ。
古くからこの地に根差し、人を祝福し、邪悪から守り、祭りの日には共に人々と笑う。
人間と共に生きた神様だった。
だけど、それももう昔の話。
人間が神様を忘れてしまった今となってはもう死にぞこないの神様だった。
僕の捧げる微かな信仰を糧に辛うじて生きている。
「もう来なくていいよ」
「どうしてですか」
「人間なんて大嫌いだから」
「何故、嘘をつくんですか」
「嘘なんかついていない」
僕は首を振る。
しかし、神様も首を振った。
「いい? 約束して。もう二度とここに来ないって」
それが別れの言葉だと僕は何となしに悟った。
だから僕は嘘をついた。
「分かった。もう絶対にここには来ない」
「――ありがとう」
神様は笑った。
僕は手を振って神社を後にした。
いつものように。
……いつものように。
僕は翌日も神社に訪れた。
神様はもうどこにも居なかった。
どれだけ探しても居なかった。
僕はようやく悟った。
神様が何で僕にこの場所へ来てはいけないと言ったのか。
自分が消えたと知れば――僕は生涯をかけて探す。
神様は僕の性格をよく理解していたんだ。
だから、僕に別れの言葉を送ったんだ。
――いずれ、僕が思い出すことさえも忘れてしまうことを願って。
「絶対に探すから」
神様の居ない神社で幼き日の僕は泣きながら誓った。
神様がどうしても避けたかった末路に身を置きながら。
***
神社に座り僕は神様へ声をかける。
「まさか本当に人間になるなんて思ってもみなかったよ……ただの嘘っぱちのつもりだったのに」
神様は答えない。
当然か。
もう、この場所に神様はいないのだから。
「生まれ変わりってやつか。本当にあるなんてね」
言葉は返ってこない。
分かっているよ。
ここにはもう誰もいないって。
「ねえ、神様」
僕の目から涙が溢れる。
「僕は喜ぶべきなんだよね。だって、あんなにも元気な姿が見られたんだから――」
言葉は返らない。
当然だ。
ここには僕しかいないんだから。
神様は生まれ変わって人間になった。
それを知るのは僕だけだ。
他ならない神様にだって――それは分からない。
「神様。幸せだよね。全てを忘れるというのは」
生まれ変わった者はもう、生まれ変わる前の者ではない。
当たり前のことだ。
——当たり前のことなんだ。
あの日。
神様が何とでも避けようとした未来の中。
僕は神社にもたれ掛かり、一人さめざめと泣いていた。
落ちる涙が解放を意味することに気づいたのは――それからずっと後のことだった。




