【シルヴィア編】 序盤エピソード
【シルヴィア編】
笑いながら駆け回る子供達の声が響く―――少年がシルヴィアに笑い掛けて言う――…
『皆でここを出るんだ』
場面がいきなり切り替わり、身長3m以上ある白いヘビの頭部に、その頭部から背にかけて連続した鋭い半透明の白い鉱石の角が生え、人間にしては長すぎる鱗に覆われた首を持った白衣姿の女ーーー“ネメンシエル”が、自分を見上げる幼いシルヴィアを睥睨して言い放つ。
『お前達人間など、所詮物質の奴隷―――…我等“エピファネス”がこの宇宙の全てを支配する。そして―…』
シルヴィアの周囲を駆け回る子供達にノイズが走りーーー姿がぶれると一瞬獣頭へと変容する――…
身長3m以上ある、暗い赤茶色の体毛に覆われた凶悪な顔の猿の頭部と一対の赤い鉱石の角を持ち、ゴツい体格に黒衣を着た男ーーー“ドルジァッザ”が血に塗れた鋭い爪を見せつけながら、幼いシルヴィアに迫る。
『つまりお前達はもう―…』
雨が降る深夜の森の中―――しのつく雨に泥だらけの全身を濡らし、ぬかるんだ地面に這いつくばって幼いシルヴィアは全身を震わせた――…
研究所の廊下、巨大な粘菌に全身の半分を飲み込まれながら少年は幼いシルヴィアに叫んだ。
『■■■■逃げろっっ!!!』
「――…ッ!!」
シルヴィアはベットの上で目覚めた。
目を開けたまま、荒い呼吸に激しく胸を打つ鼓動がしばらく続きーーーやがて治まっていった。シルヴィアは気だるげに上体を起こし、汗に濡れた前髪を手で掴んでぐしゃぐしゃにした。
「ーーーーちくしょうっ…」
白銀色のクセのあるベリーショートに青みがかるほどの白い肌。整ってはいるが冷たさを感じる目鼻立ちに、銀色の虹彩を持つ瞳はクマが浮き暗く澱んでいる。
身長174cmの細身の体に、紺のTシャツに暗灰色のスウェットパンツ姿のシルヴィアは、ベットの縁に座り直した。
不機嫌な顔でベットサイドの薬の容器を取ると、3錠取り出し飲みかけのペットボトルの水で流し込んだ。
重い溜息を吐いたシルヴィアの耳に夜の街の喧騒が聞こえ、立ち上がったシルヴィアは窓辺へ行った。
部屋はほとんど物が無く、掃除もまともにしていないので薄汚れている。薬の空の容器や、酒の空き缶やビンが散乱したフローリングを横切り、シルヴィアは窓にもたれながら外を眺めた。
外はとっくに深夜を過ぎているというのに目に刺さる程明るく、古びたビルの雑踏が視界を埋める。
胡乱な瞳で、シルヴィアはしばらくその景色を眺めた。
「……汚い街」
一夜明け、午前の町中をシルヴィアは歩いて目的地に着くと歩みを止めた。
空はどんよりと曇り、もうすぐ雨が降りそうだ。
シルヴィアは雨が降りそうな天気になるといつも感じる頭痛と、パニックの前兆の様な動悸を感じながら痛みに顔を歪めた。
首元まで覆う黒に近い暗灰色のマットな質感のアンダースーツをインナーに着て、その上からイドライド合成繊維の黒のジャンパーに、同素材の黒のパンツにゴツい黒アーミーブーツを履き、両手はイドライド合成繊維の黒手袋を着けている。
(※イドライド……イドラが憑依する事によって変成した物質を指す。普通の物質より剛性に優れており、イドラに対する耐性にも優れ、その憑依にもある程度防御する特性を持つ。)
寂れた建物ばかりが周囲に点在する中、金網で覆われた広い敷地には大型や中型トラックが止められ、これから配送に向かうのか大型トラックが敷地の出入り口から唸りを上げて走行していく。
停車したトラックの間で忙しそうに働く運送業者の間をかいくぐり、シルヴィアは会社の事務所に入った。
「3か月も待ってるのに、何の成果も無しか」
社長室に通されたシルヴィアは、社長の顔を見るなり不機嫌に告げた。
部屋は8畳ほど。灰色の金属製のキャビネットや、黒のソファセットは年季が入って傷だらけで、相対する社長のデスクも同様だった。
見た目は50代後半ほど。ガタイも大きく、厳つい顔の運送業を営む社長は顔を険しくしてシルヴィアを見やった。
「…成果が無いとは言ってくれるな。これまでも怪しいカルトや犯罪組織の情報は渡してただろう」
「そのことごとく空振りだっただろうが。私が獣頭人間を探してるっていう噂は流してるんだろうな?」
「ばっちり流してるよ。銀の髪に、銀の目のおっかない女だって事をな」
(…どこの街も、似たような成果だ。全く活動していないのかーー…あれだけ私達に“宇宙を手に入れる”と豪語していた奴等が?)
「…こっちは安くない金を渡している。イドラ関連なら何でもいい、何かないのか」
社長は大きなため息を吐く。
「これも多分外れだとは思うが――…例によって、イドラを信奉するカルトがあるらしい」
シルヴィアは眉をひそめた。
「…またか。潰しても潰してもゴキブリみたいに湧いて出る」
「それだけ社会情勢が劣悪だって事だろ。そりゃ神にしろイドラにしろ、何にでも縋りたくなるのが人の性ってもんだ」
「――…場所と詳しい情報を、いつものアドレスに送ってくれ」
シルヴィアは部屋を出ていく。
「おいあんた」
社長が呼び止めシルヴィアが振り向いた。
「顔色が悪いが、大丈夫なのか」
「……問題ない」
シルヴィアは運送会社を後にした。
外に出ると、暗い雲が渦巻いてポツポツと小雨が降って来た。
敷地の外に出て街中を歩いていたシルヴィアは、建物と建物の間の路地に入ってしばらくしてよろよろと壁に手を突いて寄り掛った。
そのまま自分の体を抱いて両手に力を込め、つんざく様な全身の痛みに顔を歪ませながらシルヴィアは呼吸を荒くした。痛みに何とか耐えていた途端に、頭に金属でも突き刺されたかの様な激しい頭痛に襲われ、片手で頭を抑えた。
「ぐっ!!…ぅう゛…っ」
――…ヴォオ゛ォッ…ッギュア゛オ゛オッ…ッオ゛ゴォオ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!
痛みが脈動する中、頭の中で様々な“化け物”の叫びが反響する。
「…だっ…っまれ゛ぇ゛え゛っ…!!」
シルヴィアが自身の両手を見ると、皮膚がボコボコ波打ちながら鱗、被毛、ヌルリとした粘膜へと変質していく。
「――…ッ!!」
シルヴィアは自身の体を強く抱いて、暴発しそうになる力を抑え込もうとした。
脂汗をかいて耐えるシルヴィアの体が、壁にもたれながらずるずると下がっていく―――とその時、俯いたシルヴィアの視界に白い服を着た小さな“子供の両足”が歩いて現れ、シルヴィアは眼を見開いた。
『■■■■お姉ちゃん』
あどけないその声にバッと顔を上げたシルヴィアの目の前に、黒いヤギの獣頭をした幼い少女が立っていた。
「―――…ッ!!」
気付くと、シルヴィアは路地裏でうつ伏せに倒れていた。
「…っ…!!」
シルヴィアは震える体でよろめきながら、手を付けた壁を頼りに立ち上がった。
(体が悲鳴を上げているのが、分かる――…いくら“イドラを吸収出来る”からって…きっともう、とっくにキャパを越えてるんだ―――…でも…)
シルヴィアは強く歯を食いしばった。
「…あいつ等を、殺し尽くすまではっ…」
シルヴィアは、ふらふらと重い足取りで歩き出した。
一週間後―――シルヴィアの姿は、ロンギヌス本部のある“エリュトロン大陸”の南東―――エリュトロン大陸の下にあるもう一つの大陸“アルギュロス大陸”の、北東に伸びた半島にあるスラム街にあった。
人工30万人程が暮らす防塞都市の壁外ーーー障壁晶(CRY.ER=クリア)の恩恵から外れながらも、都市にしがみつくかのように広がるスラム街の一角のうらぶれた娼館の事務室で、シルヴィアは娼館を取り仕切る中年の女から話を聞いていた。
部屋には安っぽいソファセットにテーブル、ソファに座った女の対面でシルヴィアは両腿の間に手を組んで座りながら、相手の顔を見つめた。
女の年齢は40代半ば程、肉付きの良い体で胸が大きい。
褐色の肌に、カールした肩までのこげ茶の髪。意志の強そうな太めの眉にアイシャドウで縁取られた灰茶色の瞳はどこか倦んだ疲れを宿している。
耳には大振りの金のピアスに首元には金鎖の太いネックレス。胸元の大きく開け胸を強調したボルドー色の光沢のあるシャツに、灰色のテーパードパンツに足元は赤のヒールを履いている。
女は胡散臭げにシルヴィアを見ながら、グロスで艶めいた口を開いた。
「…で?知りたいのは何なの」
女にはすでに情報料として金を渡している、シルヴィアは本題に入った。
「ここで働いていた女の中に、カルトにはまってここを出て言った奴がいるのを聞いた。カルトの事を何か知っているか知りたい」
「…あんたロンギヌス?」
「違う。でも個人的にイドラ関連の事案を追ってる」
女はため息を吐いた。
「…いるわ、名前はマニカ。長年男と暮らして、そいつの為に稼ぎの大半を貢いでたんだけど――…そいつがマニカに借金押し付けて、とんずらこきやがったのよ。…それからあの子おかしくなってね、生きる事がどうでもよくなったみたいに借金も返さなくなって、ここにも来なくなって―――…どうやらこの先の森の中にある、カルトのコミュニティにいるらしいの。…きっともうお終いだわ、あの子」
「そのカルトの名は?」
女は首を振る。
「そういうのは掲げてない、ただ生きるのに疲れた奴等を集めてるらしいのよ。私の客の知り合いも、そっちに行ったって」
シルヴィアは眉をひそめる。
「イドラが関わってるのか」
「…マニカが話してた。“イドラに全てを捧げよ”そうすれば祝福が与えられる、だってさ。そんな教義――…どう考えたってイドラのものでしょ」
「…全てを捧げよ、か…」
シルヴィアは呟き、女はソファに深く背を預け口を開いた。
「ま…イドラなんかに全てを捧げたくなるのも、無理のない話よ。こんな狂った世界で生き続けるのが辛くて、イドラでも何でも良いからこの苦しみから解放して欲しくなる気持ちは―――…少しは分からなくも無いからね」
女の疲れの滲んだ横顔を見て、シルヴィは俯いた。
「――…そうだな」
女の情報を基に、シルヴィアはスラム街から十数キロ離れた森の中にあるコミュニティの場所を、三日かけて探し出した。
現時刻は午前10時頃、天気は薄曇りだが晴れて時々弱い風が吹いている。
コミュニティの周囲には、イドラに汚染された木が時々生える森がどこまでも広がっている。シルヴィアはコミュニティへ続く舗装もされていない道を外れ、森の中を歩いて目的地を目指した。
54年前の蝕災以降、人類に安寧の場所はどこにもない。イドラがいつどこから襲ってきてもおかしくはない状況の中、シルヴィアは気配を消して神経を研ぎ澄ましながら森の中を進み続けた。
すると遠くから鳥の鳴き声が響いて来て、シルヴィアは足を止めた。
野鳥などの鳴き声ではない、怪鳥の発するような低くけたたましい声が聞こえる。シルヴィアは上空を見上げた。
(…これ以上は無理か)
シルヴィアの視線の先―――数十メートル程先の視界が開けている。どうやらその先にコミュニティがあるらしい。