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【駒子編】 序盤エピソード

《56年前》


 岩山の崖の一角から、広く眼下に都市が見渡せる。

 なだらかに広がる平野の上空を覆い、厚く曇った雲がまるで生物かの様に不気味にいくつも渦を巻き、そこから雫が垂れる様にして“黒い粒子の群れ”がゆっくりと落ちて来た。

 拡大して見ればその粒子の一つ一つが半透明の“化け物”で、化け物の群れは叫び声をあげながら地上の都市めがけ降り注いでくる。


 その様子を崖の一角に立ち、吹き荒れる風に黒髪をなぶられながら見上げていた男の顔に歪んだ笑みが宿った。

 「…さぁ、現世ウルディナとエルシャーダを隔てるベルフは破られた。エルシャーダよ降りて来い、全てに飽いたこの俺を―――…」

 化け物の群れが地上に届くと、小さな悲鳴がいくつも響き始めた。それには一瞥もくれず男は化け物が送り出される雲を狂った様に凝視し、その人間離れした瞳孔がふいに散大した。


 「…深奥エルシュへと導け!!!」




【駒子編】


 56年前、この惑星を襲った大災害――――“蝕災”。

 高位次元から襲来し、物質生物問わずありとあらゆる物に憑依し人類を襲った姿なき高位次元生命体“イドラ”。

 全世界規模の大災害にそれまで存在した科学技術文明は破綻し、いくつもの共同体や連合国、国家が瓦解し世界は分断された。

 人類滅亡の危機に瀕したその時、数少ない人類の盾として存在したのは“召喚士サマナー”と呼ばれる、イドラと同じく高位次元存在でありながら、古くからこの地に存在した“エレメント”を使役する者達の活躍により、人類は辛うじて滅亡を免れていた。

 やがてサマナー達が集結し、イドラから人類を守る国際機関“ロンギヌス”が設立された。そして時は経流れ―――ー…



《48年前》


 雨がそぼつく町中を、雨合羽を着た7歳の梵駒子そよぎこまこは傘を持った母親の隣で、カポカポと音を鳴らす自分の履いた長靴を見下ろしながら歩いていた。

 「今日はお父さん帰って来てるから、ごちそうにしようねぇ」

 片手に大きな買い物袋を提げた母の言葉に、駒子は口を尖らせた。

 「…別にいいよ。あんなん帰ってこなくても」

 母は心配気に駒子を見下ろした。

 「駒子…あんまりお父さん嫌わないであげて。あれでも私達のために頑張ってくれてはいるのよ」

 「あいつ帰って来たってうるさいし、酒臭いし――…どうせその内また、女の所にでも転がりこ…」

 言い掛けたその時、左側の建物と建物との間の路地裏にキラリと光るものを見て立ち止まった駒子は、そのまま何かに導かれるように半ば無意識にそこに近づいて行った。

 「駒子?」

 建物の壁には乱雑に置かれた粗大ごみが重なり、その一角に狼のぬいぐるみが埋もれるように置かれていた。

 雨に濡れたそのぬいぐるみは数十センチはありそうで大きい。それに子供向けのおもちゃとしては作りがやけにリアルな狼で、立派な4つの犬歯に生えそろった歯の間からはダランと舌が出ている。どこからどう見ても可愛げなど微塵もなく子供が泣いて怖がる様な見た目のその狼は、なぜが真っ赤な白い水玉のワンピースを着ていた。

 「……」

 駒子は狼のぬいぐるみを両手で持ち上げた。


 …ッドクンッッッ!!!


 瞬間、駒子の全身を衝撃が走り抜けた。

 ぬいぐるみに向かって白金色の光が集まるとその全身が白金色に輝き出し、光度が一気に増加してあまりの眩しさに駒子は目を背けた。

 「駒子…!!」

 母親が荷物を落として駒子に向かって駆け出した。

 光は勢いを弱めて消失していき、駆け寄った母親が駒子を庇うように抱き寄せる。


 『あれぇ~~ここどこぉお~?』


 突然間の抜けた子供の声がして、駒子達の目の前に宙に浮きながら辺りを見回す狼のぬいぐるみがいた。ぬいぐるみだったものは駒子に目を止めると、駒子をビシィッ!と指さした。

 『あぁっ!あんたがあたしを呼んだんだあ!ママにおやつもらってたのにぃ~~っ!!』

 「は?え…?」

 ウィランジュは憤懣やる方ないといった様子で腕を組んだ。

 「責任とってしっかりやしなってもらうからね!あたし“ウィランジュ”!何かおいしいものちょ~だあい♪」



《現在》


 薄曇りの空に、砂を洗うような波音が断続的に響く。


 『う~みぃは広いぃな、大きいぃなぁあ~~♪』


 砂利だらけの浜を蹴立て、白に翡翠色のハイカットスニーカーが走る。


 『グォオオオオオッッッ!!!』

 

 灰青色のイカツい甲羅に全身を覆われた、全長十メートル以上はあるカニに良く似たイドラが巨大なハサミを振り上げ何度も打ち下ろした。その連続攻撃をいとも簡単にすり抜けたえんじ色のシルエットが、カニ型イドラに向かってジャンプした。

 『つ~きぃがぁのぼるぅし、日がしぃずぅむぅ~っ♪』

 サーモンピンクに白玉のワンピースを着た四頭身ほどの“狼”が背を向け、海に向かって陽気に歌っている。


 焦げ茶の肩下までの剛毛を二つのおさげにし、上下えんじ色のジャージ姿の梵駒子そよぎこまこは右拳の濃紺色のナックルを振りかぶったーーー瞬間、拳に濃紺色の雷を帯びた“球”が小さく宿った。


 ーッドグォオオ゛オ゛オ゛オ゛ッッッ!!!!!


 拳がカニ型にヒットした刹那、膨れ上がった紺雷の球が膨れ上がりカニ型イドラの頭部を押し潰してひしゃげさせた。

 『ゴォウア゛ア゛ッ…!!!』

 『う~みぃはおおなぁみっあおいなぁみぃい~、ゆぅれ~てどこま~でつづくぅやぁらぁ~♪』

 「いよっしゃヒットぉおっ!!――…っでぁ゛あ゛っ!!?」

 このままカニ型の頭部を破壊出来ると確信した駒子は、素っ頓狂な声を上げた。カニ型の四肢が突然バラバラと崩壊し出し、直径30センチほどの小ガニの群れへと変化し出したのだ。

 「ちょちょっ、ちょぃ゛い゛っ!!」

 カニ型の分解は急激に進み、駒子の体は小ガニの群れの中に沈み込んでしまった。

 『『『ギャギャギャギャギャギャギャッ!!!』』』

 『う~みぃにおふねぇをっうかばぁしぃてぇ~、』

 勢い付いた小ガニの群れは一斉に駒子を攻撃する。駒子の周囲360度に多くの火花が散り、その度に小ガニの四肢や体が切断されていくが、数が多すぎ切りがない。

 駒子は攻撃に晒されながら、堪え切れなくなって叫んだ。

 「…ぬぁあ゛あ゛っ――ー…っ“アルゴォオオオオオム”っっっ!!!」

 『やれやれ…』


 ブンン゛ッ――…ッゴォドオ゛オ゛オ゛オ゛オン゛ン゛ン゛ッッッ!!!


 駒子のおさげを留めていた濃紺色の髪留めから溜息交じりのしわがれ声が聞こえた途端、駒子の上空に巨大な紺雷の球が出現し形をとると、巨大な“亀”が落下し轟音を立てて地面に着地した。

 『『『ギャギャッ…!!』』』

 着地した衝撃で周囲の小ガニ達は吹っ飛ばされ、巨体の下敷きになったものは潰された。

 『まぁったく忙しない…』

 降り立ったのは、全身黒に近い濃紺色をした亀に似たものだった。

 全長は20メートル程、甲羅の部分が濃紺色の結晶のクラスターでびっしり覆われ、まるで尖った岩山のようだ。手足や頭部にも結晶は生え、全身が鉱石で構成されている。

 「ひぃいいい~っ!」

 駒子は甲羅の下の開いた空間から甲羅に飛びつくと、ロッククライミングよろしくアルゴォムの甲羅をよじ登った。

 小ガニの群れが束になってアルゴォムを攻撃するが相手はどこ吹く風、アルゴォムは涼しい顔を崩さない。

 『こそばゆいのぉ~』

 『い~いってぇみたいぃな、よそのぉくぅにぃい~♪』

 駒子はのん気に歌い続けている狼のぬいぐるみ―――もといウィランジュに叫んだ。

 「くおらぁっウィランジュっいつまでも歌ってんじゃないよ!さっさとこいつら食べちゃいなっ!」

 『んん?』

 ウィランジュは振り返ると目を輝かせた。

 『ああ~っ!カニだぁ~カニがいっぱぁあいっ!』

 ウィランジュの全身が白金色に輝いた。


 『カニの食べほーだいだぁあ~っっ!!』


 光と共に現れたのは、プラチナ色の毛足の長い被毛の狼だった。体長は十数メートルほど、白金色の3つの瞳に、長い被毛が動く度にキラキラと光をまとってたなびいている。


 ウィランジュはアルゴォムの周りに集まった小ガニの群れ近くに着地すると、前足で小ガニを次々薙ぎ払った。

 『『『ガギャアッ…!!』』』

 『いっただっきまぁあ~~すっ!』

 宙に舞った小ガニにウィランジュはかぶりつき、バキバキと音を立てて噛み砕き素早く呑み込んでいく。着地した四肢に、小ガニ達が群がりウィランジュに攻撃を加えた。

 『いやあ~んこちょばい~っ!』

 ウィランジュは上空へと回避する。

 『おいしぃ~い、これがうわさのカニ身い~っ!?…もっとちょうだぁあいっ!』

 ウィランジュのフサフサした長い尾から、何十本もの光を帯びた細い触手が伸びて空に散らばると一気に先端を小ガニ目掛けて襲い掛かった。

 

ズガガガガガァアッッッ!!!


 『ガッ…!!』『グギャッ…』『ギャッ…!』

 触手は次々と子ガニに刺さった。

 『ちゅぅうう~~~~っ!!!』

 ウィランジュが叫ぶと、小ガニから触手を伝わって光がもの凄いスピードで移動していく。吸われた小ガニはしわしわになって凹んだかと思うと、端から体がボロボロと崩れあっという間に消滅してしまう。急襲する相手を失った触手は、すぐさま周囲にいる小ガニ達を串刺しにして団子状に並べた。

 『ちゅちゅぅうう~~~っ!!!』

 『『『ガギャァッ…!!!』』』

 『ほいほいほい』

 傍らでは、アルゴォムがダンスする様に足踏みしながら小ガニを踏み潰していく。戦意を消失して逃げ出す小ガニ達をウィランジュが次々と捕食した。


 駒子は浜辺に降り立って大きく息を吸った。

 「いやぁ~終わった終わったぁ!」

 駒子は腰に両手を置いてフンッと鼻息をもらし、傍らのアルゴォムを振り向いた。アルゴォムは遠く水平線を眺めていて、何だか感傷に浸っているようにも見えた。

 「アルじぃお疲れさま。そういやアルじぃって、エルシャーダでは深海に居たんだっけ?」

 『うむ…“僻崖へきがいの海”と呼ばれる場所でなぁ…静かな――…どこまでも底の見えぬ沈黙に包まれた海じゃった』

 「えぇ…寂しくなかった?」

 『全く。実に心地の良い海じゃった』


 『駒子ぉ~おっ!』


 ぬいぐるみ姿に戻ったウィランジュが、胸に何か抱えてやってくる。

 『これもって帰る』

 ウィランジュは嫌がって暴れる小ガニを両手で掲げて駒子に見せた。

 「げえぇっ!?何持ってきてんの、さっさと食べちゃいなさい!」

 『家で飼ってようしょくする~』

 「野良イドラは家では飼えませんっ、ありがたく頂いちゃいなさいっ!」

 『ぇえ~~っ!……ごめんねぇ、うちでは飼えないんだってぇ~…』

 小ガニは激しく抵抗するが、ウィランジュの大きく開いた口が迫る。そのまま一気に頬張りウィランジュはバリバリと小ガニを噛み砕いてのみ込んだ。

 『うんまーいっ!』

 「さてと…討伐したことを住民に報告するかな」


 駒子は移動し、海岸沿いの寂れた街にやって来た。

 建物はどこも古びてくすんでいて、所々崩壊している。住民は皆老人ばかりで、駒子を睨み付けるように不機嫌顔でこちらを無表情に見つめるばかりで、誰も話し掛けてこない。

 その時軽快な通知音がして、駒子の左手の甲のWEA・PCウェアラブルピーシーがスマホ画面を映し出した。

 

 [駒ちゃんお疲れ様♪今日の帰りはお昼ごろかな?]


 画面を見て、駒子の顔は激マズ食い物でも食べた様にしかめられた。

 「ブロックしてもしてもキリがねぇっ…一体どうやってあたしのフレンド登録勝手にしてんだよ…っ!」

 “駒子LOVE”と表示されたアカウントを、駒子はすぐさまブロックした。


 駒子が街の中心にある広場に着くと、何人かの大人が固まって何か話し込んでいて駒子は彼等に話し掛けた。

 「いやぁ~お騒がせしてすいません。でもあのカニ型のイドラは無事に討伐できたので、もう被害は…」

 ヒュッ!という風を切るような音がして石が飛んできたが、駒子に当たる手前で細かな“糸”のシールドに弾かれた。

 『無礼な…何をするのです』

 駒子の着ているあずき色のジャージの左胸に刺繍された“白銀色の竜”が、蛇の体をくねらせ不機嫌な女性の声で呟いた。

 石の飛んできた方向を見ると、子供が憎々し気に駒子を睨んでいる。

 「さっさと出てけよ!ロンギヌスの犬っ!」

 「今までさんざんハンターを寄越してくれって要請しても、誰も来やしなかったくせに!」

 そう叫んで、子供達の傍にいた大人の男達まで石を投げ始めた。

 「いやっあのっ…それは悪かったですけども、こっちにはこっちの事情がぁ…」

 「どうせ通信網も“CRY.ERクリア”も導入出来ない僻地の小さな街なんて、どうでも良いんでしょ!何を今更っ…」


 (※CRY.ERクリア……障壁晶。イドラに対し侵入を阻止するエネルギー防壁を発する水晶のこと、イドラによって生産される)


 石がバラバラと駒子を襲う。

 「皆さんあのっ落ち着いて…」

 拳大の石が駒子に飛んできて、それをウィランジュが寸ででキャッチした。次々と飛んでくる石をキャッチしてウィランジュはそれを口にポイポイ入れていく。

 「あはははははーーっ!なにこれなんのゲームぅ?おんもしろぉお~っ!」

 ウィランジュは高速で石を受け止め、その石を居並ぶ住民へ次々と投げ返した。

 「だっ!」「いでっ…!」「ぐぁ゛っ…!!」

 「石がっせんだ―、きゃははははっ!」

 住民に次々と石がヒットし倒れていく。

 「こらウィランジュやめなっ!…あのとにかく討伐はしたのでっ…また何かあれば連絡して下さぁあ~~いっ!!」

 ウィランジュの襟首を掴むと、駒子は大急ぎで住民から逃げ去った。


 街から避難した駒子はげっそりと肩を落とした。

 「…なんかこの頃こんな事ばっかだな~…クソぉ、“不知火しらぬい”局長めぇえっ…下っ端に汚れ仕事押し付けやがって――…お前が行けっつーのっ!!」

 『こんどそう言っとく?』

 宙に浮いた傍らのウィランジュがあっけらかんと言うと、駒子は途端に慌てふためいた。

 「やめてウィランジュ絶っ対やめてっ!首切られるから…あの人にこれ以上睨まれたくないからあっ!!」

 『それ知ってる~、しゃちくっていうんだよ』

 「そうだよしがない会社員なんだよあたしゃあ!」

 その時またまた軽快な通知音が響き、駒子は恐る恐るの態で画面を見た。そこには“駒ちゃん応援隊♪”の文字のアカウントが見えた。

 [駒ちゃんファイト!僕はいつでも君の味方だからね♪]

 「…何でリアルタイムにあたしの状況を把握しとるんじゃあっっ!!!」

 駒子は乱暴にボタンを押し、再ブロックした。

 街を離れた駒子は、来る時に乗って来たエアバイクにまたがりヘッドギアを被ってシールドを降ろし、ロックを解除するとエンジンを起動させた。

 「はぁ~もお、やっと帰れるわーー…ウィランジュ掴まってぇ」

 『ヤーっ!』

 ウィランジュが駒子の両肩に手を回して密着し、駒子はサーフェシング(浮上)レバーを踏んで機体を浮上させ、アクセルを入れた。プラズマジェットが起動し、エアバイクは徐々にスピードを上げ時速120kmに達した。



 エアバイクは地上数十メートルを軽快に航行する。



 あたしはそよぎ駒子、ピッチピチの15歳☆

 ここヤマト国はロンギヌス本部がある西のエリュトロン大陸と、ヤマトの東側の、5ヶ国が加盟するセーラス連合があるアウルム大陸に挟まれた海にある、小さな島国だ。

 このヤマトの国で、ロンギヌス所属のイドラハンターとしてあたしは活躍している。まぁ活躍ってか――…凄腕ハンターですけどねっ!?


 あたしのこの能力ーーー“シャーマン”は7歳の頃に覚醒して、“イドラを強制的に物体に憑依させる”ことが出来る。


 例えばウィランジュは捨てられてたなんか変な狼のぬいぐるみ、アルゴォムは市場に売られてたカメの置物だった。他にも仲魔は居て、皆それぞれあたしが触れた物が憑依元となってる。 

この能力が覚醒した時は大いに困惑したけど、家にはあたしの他にも一人魔人アバロンと呼ばれる能力者がいたから、まぁあまり深く考えたくはないけど――…そいつの遺伝かもしれない。

 でもこの能力のおかげで小さい頃から対イドラハンターとして活躍して、条理が崩壊し狂ってしまった様な世界でも何とか母子二人で生きていけている。それに仲魔がいると世話は大変だし、ウィランジュの様に食欲魔神のとんでもないのもいるけど、一人っ子のあたしに出来た兄弟姉妹みたいで、淋しくはない。

 あたしの夢はもっと強くなって、凄腕ハンターとしてバシバシ金を稼ぐこと!――…うん、それは今はちょっと諸事情あって現実には今はなっていないけど…けどあたしの実力はこんなもんじゃない!あの忌々しい不知火局長を見下し、お~っほっほっほっ!と高笑い出来るくらいの実力者にいつかなってやる!



 カニ型イドラを狩った海岸沿いの街から北西方向に、時速150kmくらいで進んでいく。

 海は磯の匂いと共に遠くなり、行く手には放棄された集落や道路、周囲には野生化して原生林と化した林が広がっている。

 なるべく道路の上や開けた場所を選びながらエアバイクが進んでいくと、左方向に見える廃墟と化した街に何体もの物質化した大小様々なイドラがいて、駒子は更にスピードを上げて見つかる前にその場を去った。


 海岸線から数十キロは移動しているが、人が生活している場所はほとんどない。


 イドラは生物、非生物問わず、何なら水や火、土や雲にまで憑依するものだから、人間は自然に囲まれた環境でもまともに生活出来ない。イドラが出現したためか、何だか自然そのものも少なくなってきてるような気がする。

 (イドラが現れる前は、全然違ったんだろうな――…何の心配も無く外を出歩けるって、どんな感じなんだろ…)

 56年前にイドラが全世界規模に襲撃し、物質のなにもかもに憑依するイドラのせいで物質を基礎にした科学技術は壊滅的なダメージを受けた。

 それまで自由に外に建っていた建築物や通信網でさえも、イドラに憑依されれば全てが物質化したイドラの肉体と化してしまう。各地に分散していた人類の生活圏を極端に集約し、各都市の全体をイドラの侵入を防ぐ障壁晶( CRY.ER=クリア )で防御した防塞都市フォートレスシティ化した。今現在、防塞都市同士が地下道で繋がったインフラが主流で、今回の様に地上に障壁も無く人々が住んでいるのは珍しい。小さな町や村はロンギヌスの提供する障壁の恩恵にあずかれず、野ざらしのままイドラの襲撃に怯える日々を送っている。

 それから駒子はさらに数十分程エアバイクを走らせ、ようやく目的地が見えた。


 遠く地平線を山脈に囲まれ、背後に大きな湖と、右に小さな湖に囲まれたーーーヤマト国の首都“タマユラ”が見えてきた。


 まず見えて来たのは、高さ300メートルのそびえ立つ壁だった。

 壁の左右を見渡しても端が見えない程、タマユラは円周約78kmの壁に全て囲まれている。

 分厚い壁面には上下左右の短い等間隔に各種の兵器類が設置され、その様は壁型の軍事要塞そのものだった。

 駒子はエアバイクを滞空させたまま停止させると、左手の甲のWEA・PCを操作しタマユラの『防壁交通センター』サイトを表示した。交通の許可を取るページを表示すると、駒子自身の身分証を求められた。

 指紋と虹彩認証をして自身の公共IDをページに入力すると、長く複雑な許可コードが制限時間付きで発行され、駒子はエアバイクを壁上に展開されている薄緑の障壁に向かって進めた。

 膜に入った瞬間、冷やりとする感覚と共にエアバイクは無事に壁上を通過する。そこには壁上に設置されたいくつもの兵器があり、兵器は自動的に駒子のエアバイクを標的にしていた。

 壁を過ぎると何も無い草原が数百メートルほど続く、緩衝地帯だ。そしてまたもや分厚い壁が現れ、その先が駒子が家族と住むタマユラの居住空間だった。

 『かえってきた~っ!』

 ウィランジュがはしゃいだ声を上げた。

 「あとは支部で報告書作りだな」

 『おなかすいたぁ~』

 「あんなに食ったのにもう!?」


 直径約25kmの大都市の外周は二重の間隔を開けた壁と、展開された障壁で守られている。円の中心部に行くほど同心円状に高さを増し、中心部に行くほど主要な行政機関が集まり、一番の中心地にヤマト政府とロンギヌス機関の本拠地はあった。


 中心部の一番高い場所、そこに二つの際立って高いビルがツインタワーとなって並んで建っている。向かって右がヤマト政府の庁舎兼国会議事堂の入ったビル、そして向かって左側が駒子が所属するロンギヌス機関ヤマト支部のビルだった。


 駒子は密集した建築物の上空を通り過ぎ、駒子はエアバイクの高度を更に上げてロンギヌスビルの中腹へ向かった。

 ビルには個別に濃い青の障壁晶(CRY.ER )が張られている。

 ビルの中腹は、三階分ほどの高さの空間が開いていて、航空機の発着場となっていた。エアバイクが近づくと、エアバイクのヘッドライトの下に装飾された印章が反応して輝き、発着場の開口部の上に象られた大きな印象が同じく反応するとバイクは障壁を越えて発着場へと進入した。


 バイクを着ての場所に駐車した駒子は、キーを職員に返して直通エレベータに乗った。

 「あぁ~報告書面倒臭ぇ~…」

 エレベーターは21階を示してドアが開き、駒子は通路を奥に進んで左折しその先の通路を進んだ。左側の扉に“防衛局第二課”と刻まれたプレートがあるそこが、駒子が所属する勤務先だった。


 ロンギヌスヤマト支部の軍事部門を司る防衛局は一から三課まであり、第一課は防塞都市主体の防衛、駒子が所属する第二課は防衛都市外の防衛、そして第三課はサイバー関連の防衛と第一第二課のサポートを主要業務としている。


 駒子はタッチパネルにタッチしドアをスライドさせて開け中に入った。

 「ちゃ-っす、今帰投しましたぁ」

 『帰ったよー!』

 二人に応える声はない。

 広さ50畳ほどのフロアに、二台の机を向き合わせて六台を一つの島にした物が間を開けて横に4列在り、その更に奥、ガラス張りの壁を背にして二課の課長席があり、そこに課長の“中部智子なかべともこ”が、いつもの様に何となく不機嫌そうな表情で駒子を無言で迎えた。


 中部は40代後半ほど。制服の様に黒の上下のパンツスーツを着て、暗灰色のシャツは喉元までいつもきちんとボタンで留められている。耳下のショートボブに、寄せられて眉間にしわの寄った眉。特徴的な大きな鼻に光を感じない褪せた感じの茶色の目、口は堅く引き締められ笑った所なんて見たことがない。


 万事において不知火局長のご機嫌伺いが主の、事なかれ主義のこの課長と駒子は当然の如く信頼関係も好意もお互い持ち合わせてはいない。

 フロアに並べられたデスクは閑散としていて、今も見た所3人ほどしかいない。長距離任務もざらで、万年人手不足の二課ではこれが当たり前の光景だ。

 駒子は中部課長の元へ行き、報告をした。

 「中部課長、青泊(あおとまり)地区の討伐完了しました」

 「ご苦労様。報告書を作成し、次の討伐任務の準備をしてください」

 「…あの~…それって祭美和さいみわ地区ですか?」

 「―――そうよ、何か?」

 「そこって…もう3年近く討伐任務に行っていない所ですよね」

 「ええ」

 「青泊も…四年くらい行ってなかった所ですよね…」

 「……」

 中部の眉間のしわが深くなり、駒子を見る目に険が宿る。

 「そのっ…今日の任務で住民の人達に罵られて、石まで投げられたんです」

 『石がっせんおもしろかったー』

 「…っ、その次もそんな任務をしろっていうんですか?」

 「あのねぇ梵さん」

 「…はい」

 「これは私の判断じゃなくて、不知火局長自らが決定を下したものなのよ」

 中部はこれ見よがしに深くため息を吐く。

 (ぅわ、出たよ“局長様の言う通り”!)

 「つまりこの任務は防衛局の一存というわけ。長らく遅延していた僻地の討伐を推し進めることで、昨今のヤマト支部に対する批判を―…」

 駒子は中部の言葉を聞いていなかった。

 (最早常套文句のような事なかれ主義の羅列――…はぁあ~なんでこんなのが課長なんでしょうな。まぁ、不知火の操り人形としてはこの上ない程の適材ってことかぁ。そして最後には必ず…)

 「…だからもし何か言いたいことがあるなら、不知火きょ…」

 「課長ではなく不知火局長に言えって事ですね、わかりました」

 「…そうよ」

 駒子から視線を逸らし、拗ねた子供の様に不機嫌な様子の中部を冷たい視線で駒子は見下ろした。

 (…こいつ駄目だ、役に立たん)

 「失礼します」

 駒子はこれ以上相手と話す気にもならず、自分のデスクに戻った。

 『駒子ぉ~お腹すいたあ』

 肩越しにウィランジュがおねだりする。

 「はいはい、これで我慢して」

 駒子は引き出しからせんべえの袋を出し、ウィランジュに与えた。ウィランジュは大きな音を立てて乱暴に袋を破って中身を取り出すと、バリバリと派手にせんべえを食べ始めた。

 『うみゃーっ!』

 「…ったく、あんたはいつ何時でもぶれないねぇ」

 ウィランジュの能天気な姿に毛羽立っていた心が幾分慰められ、一息吐くと駒子はデスクのPCを起動した。

 『駒子…あなたが命令すれば、私はいつでもあの女を切り刻む用意はありますよ』

 「ぶっふあっ!…そんなことする必要はないよシュヴァラ。そんな必要もないほど相手はつまんない人間だからさ」


 報告書を作成し終わり、第二課を出た駒子は両腕を伸ばして伸びをした。


 「あ、駒子」


 ハスキーな声に振り向くと、そこには駒子の友人の“苔園真奈美こけぞのまなみ”がパッド型のPCを持って立っていた。

 「ああ、ゾノ」


 苔園は第三課に所属している。年齢は駒子より二つ年上の17歳。体格は小柄で、常に猫背だ。

 金髪の、ゆるやかに波打つ肩までの髪に白い肌。複数のピアスの付いた耳に、顔のパーツがどれも小粒で薄い眉をしている。まなじりがつり上がったアーモンド形の薄い茶色の瞳はいつも半眼で、全体的に気怠い雰囲気を発している。

 オーバーサイズの黒のパーカーに、だぼっとした黒のスウェットパンツに白いスニーカー。苔園のユニフォームだ。


 いつ会っても寝起きの様な表情の苔園に、駒子は笑顔で近づいた。

 「よっす!これから通信施設の点検?」

 『ゾノー!』

 苔園は重いため息を吐いて頭を掻きながら、一つうなずいた。

 「そ。毎日毎日薄暗い地下でモグラみたく働いてるよ」

 「あ~あたしもさあ、依頼された住人に罵倒され投石されながら働いてるわぁ」

 二人は目を合わせ同時に嘆息した。

 「ろくな仕事じゃないね」

 「んっとにね」

 苔園はWEA・PCの時計表示を見た。

 「やべ、早く受け持ち場所に着かないと。先輩がうるせぇんだわ」

 「うん、また連絡するよ。頑張ってねゾノ」

 『ゾノばいば~い』

 「バイバイウィランジュ、じゃあまたね」

 「ん」

 去って行く苔園の背中を駒子が何となく見送っていたその時、スーツを着た男に声を掛けられた。

 「不知火局長がお呼びです、局長室へ」


 「失礼します」

 重厚なドアを開いて局長室へ参じた駒子の全身を、明るい光が照らした。

 広さは数十畳はある。奥の壁一面は窓ガラスになっていて、とても明るい。艶々とした観葉植物がオシャレに置かれ、いかにも高そうなブランドものかと思われる家具に囲まれた一番窓際の奥の立派なデスクに、“不知火慶子しらぬいけいこ”局長は両手を組んでにこやかに座っていた。


 年齢は高そうに見えるが不詳っぽい。

 緩くカールを掛けた腰ほどの長さの艶やかな深い紅茶色の髪に、白い肌に上品で優美な目鼻立ち。銀縁のレトロな丸眼鏡に、その奥の一見優し気に見える二重の灰色の瞳はまなじりが切れ、口角の上がったセクシーな唇は笑っているのに何だか全体的に冷たい印象がする。

 ベージュのハイネックに、同系色の膝下のスカートスーツのアンサンブル。茶色の皮のロングブーツには一切の汚れも無くピカピカで、女が現場勤務でないことは明らかだった。


 「梵さんご苦労様。中々難しい任務だったでしょう?」

 不知火局長は声に残念さを含ませながら言った。

 「あ~えぇっと…そうですね、何か―――…住民の方々に石投げつけられました」

 『え?あれ楽しいゲームじゃないのぉ?』

 「ウィランジュ違うよ」

 不知火局長はため息を吐いた。

 「ヤマト支部は本部とは一線を画しているから、予算が潤沢とは言えないのよね。住民の方々には不便をかけて申し訳ないわ」

 「あぁ、そーなんですか…ーーーーあのぉ~、この頃仕事の内容がキツイっていうかぁ…なんか方々で恨まれたり罵られたりしてるような気がぁ…」

 「梵さん」

 「はいっ!?」

 「最近ヤマト支部の汚職や失態が取り沙汰され、かつてあった信頼が揺らいでいるのは知ってるわね?」

 「あぁ、まあ―…」

 (いやでもそれ事務職の奴か、上層部の問題だろ)

 「長年続いて来た組織の弊害が、膿となって出ているのよ。私達は組織を改めなければならない。そのためにあなたがこのヤマト支部職員として出来る事は、失った信頼をわずかでも回復する事よ」

 「…そっ、それはぁそうです、ね…」

 不知火はにこりと笑う。

 「あなたには期待しているわ。その実力は絶対にあるもの」

 「えっ?…へへ、いやあ~」

 期せずして褒められ、駒子は頭をかいて照れた。


 駒子が退出すると、不知火は足を組んで椅子に深く身を預けた。

 「今の映像は撮れた?」

 傍らのスーツ姿の男が答えた。

 「はい、計5台の映像が記録済みです」

 不知火は酷薄な笑みを浮かべ頬杖を突いた。

 「本当にあなたは優秀よ――…捨て駒にして駒子なんて名前なのも、何の冗談かしら。――…あと一回大きく踊ってくれたら、そこで用済みね」


 時刻は午前11時04分。

 下町風情が濃く残る猥雑とした町中を、駒子はバイクを走らせて帰路についていた。

 狭い交差点をいくつか曲がり、古びた街並みの小さな一軒家の横の空いたスペースにバイクを止めた。一軒家の正面に回ると、一階の屋根の部分に木の看板が掛けられ『粉もん満福』と、癖のある太い筆書きで書かれている。駒子はヘッドギアを外し、肩にぶら下がるウィランジュを連れたまま正面の玄関を横開きした。

 「たっだいまー」

 『いま帰ったよ~!』

 客は3人。カウンターに設置された長い鉄板の上には、食欲をそそる音を立ててお好み焼きが作られ、その隣では今川焼が作られている。

 「あら駒ちゃん、お帰り」

 お客さんにビールを運んでいた“まりん”さんーーー天羽天凛あもうまりんが笑顔で駒子を迎えた。


 まりんさんは52歳、意志の強そうな太めの眉に明るい愛嬌が感じられる薄茶の瞳。団子っ鼻にいつも笑っているような厚めの唇。焼けた肌に小太りな体形のまりんさんは、エプロン姿できびきびと動きながらもう次の作業に移っている。


 「おっ帰って来たかぁ看板娘~」

 カウンターで一杯やっていた中年の常連客が、だらしない笑顔で駒子を振り返った。

 「迫田のおっちゃん、また朝から飲んでんの?いい加減おばさんに怒られるよ」

 「はっ!やっと夜勤が終わったんだ、仕事後の一杯があるから俺ぁ働けてんのっ」

 「はいはい、お仕事ご苦労さま」

 カウンターでお好み焼きを作っていた駒子の母、梵幸子そよぎさちこが笑い掛けた。

 「駒子、皆もお帰り。お風呂湧いてるわよ」

 『いぇ~ぃっ一番ぶろーっ!!』

 ウィランジュが店の奥へとすっ飛んでいく。

 「ウィランジュ湯船にいきなり入っちゃだめだからね、ちゃんと体洗うんだよ!」

 『ヤーっ!』

 声だけが返って来た。


 梵幸子は33歳、エプロン姿の背が高くスラリとしている。

 肩までの緩くウェーブしたこげ茶の髪に、二重の穏やかな茶色の瞳、アクを感じさせないすっきりとした目鼻立ちはよく見ると控えめに整っていて、自然体な美しさを感じる。


 幸子は焼き上がったお好み焼きをお客の前に移しながら、クスクスと笑った。

 「ウィランジュはいつも元気ねぇ」

 「あいつさぁ、今日討伐したカニに良く似たイドラを持ってきて“家で養殖する~”とか言ってんだよ」

 幸子と傍にいたお客が噴き出した。

 「イドラを養殖ぅ!?だははは!とんでもねぇなウィランジュは」

 「ほんともう、食欲大魔神だものねぇ」

 「すぐさま自分で食べさせましたわ」

 駒子は店舗の奥に進み、キッチンに顔を出した。

 「すぴかさん、ただいま」

 キッチンの一角で今川焼を焼いていた東尾純光花ひがしおすぴかは、焼き上がった今川焼を皿に盛りってキッチンから出てくるところだった。

 「お帰り~駒ちゃん、早くお風呂入っちゃいな」


 東尾純花は55歳、金髪のショートヘアに、頬のこけたキツネの様に尖った顔に細い茶色の目。細身の体にエプロンを付け、すぴかさんはお客の前に今川焼を置いた。


 「甘ぇのと塩っぺぇのがねぇと酒が進まねぇな!」

 もう完全に出来上がった風のおっちゃんが大笑いする。

 「どうぞごゆっくり~」

 駒子は暖簾をくぐり、店舗の奥の自宅スペースへと靴を脱いで上がった。駒子の脱いだ靴が光を帯びて形を変え、白い体の内側が翡翠色のエネルギーで構成された30センチほどの大きさの“馬”が現れ、全身を大きく震わせた。

 「“エーレス”ご苦労様。お風呂行こ」

 駒子の仲魔エーレスは、翡翠色一色の目を細めて自身の世界に浸った。

 『フッ…無自覚なる傀儡は日常という鎖に抗えず、今日も今日とて埃塗れの体を聖なる泉で癒しながら、いつか英雄となる日を夢想するのだ…』

 「あぁ~っとうん…早く疲れ取ろ」

 首を振り、たてがみをなびかせて格好つけるエーレスをひょいっと抱き上げ、駒子は風呂場に向かった。


 上がり框の先は畳の居間となっていて、そこを通り抜けた先に廊下があり左に曲がった一番奥の場所に風呂場はあった。家は何もかもが年季が入っていて、人が動く度にギシギシと床が軋む音がする。

 駒子がガラガラと引き戸を開けて脱衣所に入ると、洗濯機の上に着替え一式が用意されていた。

 「よーし、皆戻っていいよ~!」


 えんじ色の上下のジャージが糸となって解けると、全長30cmほどの白銀色の竜ーーー“シュヴァラ”の姿となった。

 次に駒子のおさげを縛っていた濃紺色の髪留めやイヤリングが合体し、床に直径30cmほどの亀―――アルゴォムがゴトリと着地した。

 そして駒子が駆けていた焦げ茶のセルフレームの眼鏡が形を変え、木の枝や葉が生えたナナフシ―――“プチャム”戻ると駒子の肩へ移動した。

 駒子が着ていたジャージの下は全身を覆う濃い灰銀色のアンダースーツになっていて、それが液体金属の様に駒子の胸部からグニャリと突き出て床に着地し、そこからさらに形を変えると全身濃い灰銀色で構成された、上半身は女性、足と髪の毛は金属の触手で出来た異形―――“リドラス”となった。


 『プチャム、行くぞい』

 『あわわわっ…まってアルじい』

 ナナフシ姿のプチャムが肩から飛び降り、アルゴォムの結晶だらけの背に這い登ると、アルじいは浴室へ向かう。

 『天使の侍る楽園の泉へと、いざ』

 エーレスもそれに続く。

 『っだぁ~終わった終わったあ。早く上がって“ラブノンフィクション”の最新話見ねぇとな!』

 リドラスが浴室のドアを開けると、中のウィランジュが泡だらけになって体を洗いながら歌っている。

 『ランランララランランラララァ~~ン♪』

 下着姿の駒子に、白銀の竜シュバラが心配げに問うた。

 『駒子、どこか痛む箇所はありませんか』

 駒子は鏡で確認しつつ、全身を確かめて答えた。

 「ん、大丈夫。シュヴァラとリドラスのおかげで傷無し!」

 『私の使命はあなたを守護すること、それが今回も果たされ私は幸せです』

 駒子は優しく笑み、シュヴァラを抱き寄せた。

 「もぉ~シュヴァラは相変わらずクソ真面目だなぁ。お風呂に入って少し柔らかくなりな」


 『ぅおりゃあああ~~~っ!!!』

 リドラスが泡立ったスポンジを持った金属製の複数の触手を動かし、猛烈な勢いで全身を洗っていく。

 『…よおっし!ウィランジュシャワー浴びせろっ!』

 『いぃよぉ~』

 ウィランジュとリドラスはシャワーを全身に浴びる。

 『いよっしゃ終わりーっ!』

 リドラスは湯船に入らずさっさと出て行ってしまい、体を洗い終わったウィランジュは湯船に勢い良くジャンプした。

 『一番のり~っ』

 「次はエーレスね」

 『フッ…優しくしてくれたまえ…』

 「――ー…」

 駒子は容赦なくエーレスの体を泡立て始め、あっという間にエーレスは泡に埋もれた。

 『っぶごぉお゛~っ!!』

 「痒い所はございませんかあ~」

 プラスチックの大きめの桶にお湯を入れて湯船に浮かせ、駒子はそこに洗い終わったエーレスを入れた。

 「はーい次の人―!」


 湯船に浮かべた桶にはエーレスとアルゴォムとその背に乗ったプチャムが入り、何とも気持ち良さ気にしている。

 「じゃあ次はシュヴァラね」

 『お手数おかけします』

 湯船に入ったウィランジュが歌い出した。

 『……アービバノンノ!……アァ~ビバビバ!……ア~ッビバノンノ!……アァ~ビバビバ!』

 「ちょっとウィランジュ、何で合いの手の方歌うの。一緒に歌おう、いい?…ババンババンバンバン!」

 無表情のウィランジュ。

 「…っ、…ババンンババンバンバンッ!!」

 無表情のウィランジュ。

 「歌わねぇのかよっ!!」

 『きゃはははははっ!』

 風呂場に皆の笑い声が響いた。

 

 湯船に浸かって息を吐く駒子。

 駒子はアルゴォムとプチャムの入った桶の湯を新しく変え、両肩にまたがる様に長い胴体を駒子の肩に預けたシュヴァラの全身が浸かる様に、更に身を沈めた。ウィランジュは駒子の足の方で湯船に両手を掛け、なぜかしっぽで湯をかき混ぜている。

 「ふぃ~い生き返るわぁ…」

 『“リアライザー”になっちゃうわあ~』

 「ぶふっ!…確かにリアライザーは生き返った人だけど、ウィランジュ不謹慎!」


 (※リアライザー……死亡後、イドラが憑依したことにより生き返った魔人アバロンを指す。)


 エーレスは駒子の立てた膝の上に立ち、自分の世界に浸った。

 『静寂の湖面に立ち、己の来し方を振り返る――…かつて輪廻を近いあっだばぶぶぶぶっ…!』

 駒子は膝を寝かせ、ポエムを諳んじていたエーレスを湯船に沈ませた。

 『えぇ湯じゃのぉ…あと一刻程は浸かってたいわい…』

 『ぼ、僕はもう湯だりそうですぅ…』

 『いい年した若いもんが情けない。わしなどは僻涯の海で何百年と暮らしたもんじゃ』

 『えぇっ!?あ、あの底なしの真っ暗な深海で、ですかっ…?』

 『あそこは余計な喧騒が無くて良~い所じゃぞう。誰も邪魔しにこんしのぉ』

 「…エルシャーダにも、海とか森とかあるんだよねーー…実体はないんでしょ」

 『うむ。しかし夢を見る時も同じじゃろ、実体はないが海にも森にも存在しとる』

 「ま、そっか…。じゃああたし達が夢見てる時って、もしかしてエルシャーダにいるとか?」

 エーレスが、湯船の縁に両手を出して寄りかかっているウィランジュの頭に乗っている。

 『いんや、お前さん達のエネルギーはわし等イドラとは違う指向性を持っておる。根本は同じだがのぉ』

 『ママのくれるエネルギー玉はおいしいんだよお~、いくつでもくれるのぉ』

 「エネルギーを食べるねぇ…腹ふくれんの?」

 『気力が漲る感じじゃの。味も付けようと思えば付けられる』

 『こんどママのところに帰れたら、タコヤキ味にしてもらうー!』

 「ったくウィランジュはどうしてこう、食い意地が張ってんのかねぇ。アルゴォムやシュヴァラは食事なんてしてないのに…」

 『わし等はエルシャーダからエネルギーを供給しておるからの。ウィランジュはそれでも足らんのじゃろ』

 『ぜんぜんたんなあ~い』

 「あんたの食費けっこーかかんのよ。財布に響いて…」

 『話してたらなんかお腹すいてきた!』

 ウィランジュはエーレスを落とし、勢いよく湯船から上がった。

 『お昼お昼ぅ~~っ!!』

 ウィランジュは風呂から飛び出ていく。

 「ウィランジュ、ちゃんと体拭きなよ!…ったくもう」


 Tシャツに短パン姿になって、お下げにした髪を解いた駒子はさっぱりとした風情で居間に入った途端立ち止まり、表情を強張らせた。

 「…え゛」


 「あ、お疲れ様駒ちゃん」


 まるで勝手知ったる我が家の様に、くつろいだ表情の御厩園伊織みまやぞのいおりが頬杖をして卓の前に座り駒子を見上げていた。


 伊織は16歳、170越えの均整の取れたスマートな体格をしている。

 紅鳶色の長めのショートヘアは艶めいてサラサラで、ヤマト人らしい平坦な顔立ちではなく上品で端正な顔立ちをしている。男のくせに陶器のような白い肌はしみや毛穴が無く(何なら女の駒子より綺麗で)、シャンパン色の色素の薄い瞳は涼やかで色気すら感じる。

 襟元を寛げた薄いブルーのシャツにウルトラマリンブルーの薄手のニットカーディガンを合わせ、色褪せたジーンズを着ている。何ともオシャレで並みの男が着たら嫌味になりそうなコーデも、伊織が着ると全然嫌味に感じないから腹が立つ。


 全身から育ちの良さを放射している伊織が駒子の実家の生活感あふれる居間にいると、その違和感たるや空間に歪みでも発してしまいそうだ。

 8畳ほどの畳敷きの居間には、中心に四角い木のテーブルがある。部屋の角にはコ型のテレビ台があり、その前ではリドラスが陣取り、ホログラムTVで繰り広げられる海外版のメロドラマを見ている。

 駒子は居間を出て店舗の空間に向かって大声を上げた。

 「ちょっと母ちゃあん!!家ん中に不審者入れないでよっ!!」

 幸子ののんびりとした声が返って来た。

 「ごめぇん駒子。伊織君、小麦粉200kgも差し入れてくれて~」

 「ちゃっかり買収されてんじゃねーよっ!!」

 店から笑い声が届く。

 

 『…こ…これはっ…』


 一心不乱にお好み焼きを食べていたウィランジュの目が、カッ!と開かれる。

 『脂肪の甘みがかむごとにあふれ出し、ほかの素材とみごとなマリアージュをかもし出している…っ!』

 伊織はにっこりと笑った。

 「ヤマト牛100%の培養肉が手に入ったから、お昼のお好み焼きに入れてもらったんだ。ウィランジュも気に入った?」

 ウィランジュは目を輝かせて顔を上げた。

 『…ぅんまぁあ~~~っい!!!』

 食事に邁進するウィランジュを、駒子は忌々しい思いで見下ろした。

 「…完っ全に懐柔されてやがるっ…」

 「さ、駒ちゃんもお腹空いたでしょ。食べて食べて」

 「い゛やっ…」

 目の前でキラキラと輝くお好み焼きに、駒子はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 (くっそぉお~~絶対嫌だっ…嫌だがめちゃくちゃ美味そうな匂いが空きっ腹に響くぅうう~っ!!)

 『駒子いらないんだったらあたしもらう~』

 ウィランジュがガリガリとテーブルをひっかいてお好み焼きを奪おうとする。駒子はとっさにお好み焼きの皿をひったくった。

 「食うっ!!!」


 駒子はお好み焼きを食べながら涙ぐんだ。

 「…ちくしょお~うめぇっ…ヤマト牛うんめぇ~っ」

 伊織はその姿を愛おしそうにてやおら手を伸ばすと、駒子の口の端に着いたソースを指で取って自分の口に入れた。

 駒子はバッ!と頭を遠ざけた。

 「ちょおっとっ!」

 「だって付いてたから」

 目を細めて笑う伊織をギギギッ…と恨みがましく駒子は睨んだ。


 今あたしの目の前にいるこいつは御厩園伊織。あたしのーーーー重度のど変態ストーカーだ。


 11歳の時のイドラ討伐の際に出会い、それからネットの個人データから生活スタイル、行動の一挙手一投足までこいつに把握されている。

 何度盗撮器や盗聴器を撤去しても、こいつはいつの間にか元通りにしてやがるし、頼みの綱の家族や仲魔たちもーー…


 『うまー!うまー!』

 ウィランジュはご機嫌でお代わりしたお好み焼きを貪り、エーレスは伊織がプレゼントした高級扇風機の前に立ち、風にたてがみをたなびかせご満悦だ。プチャムはこれまた伊織がプレゼントした高さ30センチほどの熱帯の観葉植物の木立の間に隠れ、実にリラックスしている。

 『えぇ~っ!!“エクゾダス”のディスクボックスじゃあん!いーのかよ伊織!?』

 「リドラス見たがってたから。契約したネット配信チャンネルも楽しんでる?」

 『あぁ!やっぱ海外の泥沼系の恋愛モンは最高だぜ!本当お前っていい奴だなっ』


 駒子は拳で台を叩いた。

 「…ほとんど懐柔されてっしぃい~っ!!」

 『大丈夫ですよ、駒子。私はあなたの味方です』

 傍駒子の左肩に前足を乗せたシュバラを、潤んだ瞳で助けを求める様に駒子は見上げた。

 「シュヴァラあ~っ、あんたがあたしの最後の砦だよぉ」

 『まったくのぉ、金の力というんは恐ろしいもんじゃのお』

 駒子の隣で、お腹の甲羅を畳にペタリと付けて休んでいたアルゴォムが嘆かわしげに呟いた。

 『有害な寄生虫の様です』

 その時リドラスが見ていた録画が終わり、民放に戻ったタイミングでニュースが流れた。


 『防塞都市間道路の建設を巡り、建設会社入沢組と癒着し便宜を図ったとして、ロンギヌスヤマト支部職員三名が今日、逮捕されました』


 駒子はモグモグとお好みを食べながら、顔をしかめた。

 「っはぁ~またかよ。なんかこの頃、うちらの組織こんな汚職多くない?だからあたしも石なんか投げられるんだよ」

 伊織がずずいと体を近づけてきた。

 「駒ちゃん大丈夫だった?酷いよね、駒ちゃんは皆のために危険を冒して働いてるのに」

 駒子は遠ざかりながら答えた。

 「つうか…なんでその事知ってんだよっ!SNSにだって呟いてないのに!」

 「ふふ、ナイショ♪」

 「キんモ゛ぉっ!!」

 伊織はそこで表情を改めると、話題を変えた。

 「……不知火局長は今日の件を何て言ってた?駒ちゃん」

 「え?あぁ…なんか失った信頼を回復するのに、あたしの力が必要だって珍しく褒めて――…この凄腕ハンターのあたしの力がねっ!」

 自分を指さした決めポーズまでした駒子を無視し、伊織は何か考え込んでいる。

 「…汚職や不祥事の件は、詳しく話してなかった?」

 「っ…ううん、全然言ってない―――…って、あんたいつまでいんの!?さっさと帰ってよ!」

 「えぇ~二日ぶりに会ったんだよ?画面越しじゃ得られない、生の駒ちゃんの匂いや感触を五感全部を使って体感したいのに…」

 「ぎも゛ぃい゛い゛~っ!!さっさと帰れぇええっっ!!!」


 幸子達とにこやかにあいさつし、運転手付きの高級車で伊織は帰っていった。


 嵐が去ってようやく一息ついた駒子は、畳の上で座布団を枕に仰向けになって寝転んだ。

 「あぁ~食った食った。…食ったら今度は眠くなって来たぁ…」

 アルゴォムは卓の下で、プチャムは観葉植物に隠れ、ウィランジュは畳の上で大の字になり、エーレスは高級扇風機の下の手触りが良いタオルに包まれてそれぞれ寝ている。シュバラは駒子の体の上でとぐろを巻いて休んでいて、リドラスはまた海外ドラマを夢中になって見ている。

 画面の仲の男女はものすごい形相で何か言い争い、相手役の女は顔じゅう涙だらけだ。

 『クククッ…こりゃあもうすぐ殺し合いかあ!?』

 (リドラス嬉しそう…泥沼愛憎劇の見方が偏り過ぎなんだよ…)

 駒子がうつらうつらとし始めた、その時。


 「駒子ぉ~、お客さんよー!」


 駒子は目を開ける。

 「んぁ?…っ…」

 シュヴァラをタオルのように両肩に掛けた駒子が店に出ると、スーツをぴっちりと着込んだ中年男性が立っていた。

 「梵駒子君――ー…少し、話を良いだろうか」


 「あの、あぐらかいていいので、どうぞ」

 「ああ、すまないね」

 男が座り、リドラスはヘッドフォンを形成し自分で装着してドラマに夢中で、後は寝ている。男は傍らで目を見開いたまま、仰向けでピクリとも動かないウィランジュを見て気味悪そうにした。

 「それで――…話というのは?」

 持ってきた麦茶を男の前に置いた駒子は、男の対面に座りながら言った。

 「私は…戻和党れいわとうで副幹事長をしている、沖下要おきしたかなめという者だ」

 「あぁはい、TVで見たり…戻和党は、ヤマト支部と同じ路線で長年協力関係を築いてますよね」

 「…そうだ。ヤマト支部と協力して政策に取り組んできたが、おととしの衆院選で…」

 「…あぁ、ロンギヌス本部幹部の傘下企業に、優遇的に通信施設工事を受注させて、何億って賄賂もらってた議員が何名かスッパ抜かれましたもんねぇ~…」

 「まことに面目ない…」

 「…つーかこの頃、その手の話多くないですか?あたしなんか討伐任務で罵倒されたり、石投げられたりしてんすよ!」

 「それは私じゃなく、君の上司に…」

 「あたし達ハンターがいるから、あんた等だってぬくぬく汚職出来んでしょうが!こっちは毎日命がけでイドラ討伐してんすよ!それ理解してるんすか!!」

 「それは現場はそうだろうが、こっちはこっちの事情があってだね、海千山千の魑魅魍魎相手に政治家も苦労…」

 「…なんすか、そんな話しに来たんなら…」

 「いや!本題に入ろう…実はヤマト政府に、我々戻和党の幹部が逮捕されそうなんだ」

 「まった汚職ですか!?」

 「いや…この件に関しては完全に冤罪だ。我々の行動はすでに監視されていて、うかつに君達ヤマト支部に助けを求めようにも、身動きが取れないんだ。そこで――…君にメッセージを頼みたい。君の上司やロンギヌス幹部なら誰でも良い…我々が政府に冤罪で逮捕されそうになっていることを伝えてくれないか」

 「え゛ぇ?…つかなんで政府があなた達を逮捕するんですか?」

 「……この頃、反ロンギヌス勢力によるテロ行為が多発しているだろう」

 「え?…あぁ、確か“三千御霊”とかって名乗ってる奴等ですよね…」

 「ああ。…我々が奴等と繋がっているというデマを、でっちあげようとしているらしい」

 「はぁあっ!?二年前まで政権になってた政党に!?そんなん信じる人――…」

 「昨今のヤマト政府は明らかにおかしい…まるで―――…いや、とにかく今は、一刻も早くこの現状をヤマト支部に伝えてほしい。梵君…頼む」

 (うぉ~なんか責任重大…ってかテロリストって…)

 「…分かりました。今日にでも上司とコンタクト取ってみます」

 「ありがたい、ぜひ頼んだよ」

 駒子がTVの方を見ると、リドラスがこちらに背を向け寝そべりながら中年オヤジの如くTVを見ていた。

 その後話が済むと、沖下はそそくさと帰っていた。


 「っあ゛ぁ~せっかく一仕事終えたとこだって―のに…不知火局長に連絡かぁ…いや戻和党とはきっと懇意だから大丈夫か…えぇ~っと、秘書の柴田、柴田っと…」

 WEA・PCを起動させ、手の甲の上のホログラムを操作し連絡欄から“柴田(局長の秘書)”をタップする。

 『はい柴田です』

 「あ、梵です。あの不知火局長に―…」


 駒子はベットに体を投げ出した。

 辺りはすでに暗く、しかし店は盛況なのか階下から人々の話し声が微かに聞こえてくる。

駒子の部屋は二階の奥、北側にある。六畳の広さの床のフローリングで手前の右側に出入り口があり、北側と西側に窓があってあまり日当たりは良くない。西側の壁際にベットを置き、その右隣に小さな丸テーブルとクッション、それにタンスなんかを置けばもう広さの余裕は無くなってしまう、そんな部屋だ。

 二階には駒子の部屋の南側にもう一部屋母の部屋があり、その更に南側には洗濯物を干す様なテラスがある。

 部屋のそれぞれの場所で仲魔達は休んでいる。

 リドラスは自身のWEA・PCを起動して海外ドラマを見、ウィランジュは駒子の横でホログラムの絵本を嬉しそうに読み(食べ物がたくさん出てくる話)、クッションの上ではアルゴォムが手足を投げ出した状態で完全に眠りにつき、エーレスもその隣のクッションの上で体を伏せて休めている。プチャムはタンスの上の観葉植物に身をひそめ、シュヴァラは駒子の胸にしっぽを乗せて傍らで眠っている。

 駒子のWEA・PC通知音が響き、御厩園伊織からまたメッセージが来たが駒子は完全に無視をした。

 天井を見ながら駒子は呟いた。

 「結局またヤマト支部行って議員の説明して、また帰って来て――…んがぁ~、疲れたあ~…やっと…寝れる、や…」

 駒子は沈むように意識を失くし眠りについた。


 翌朝ーーー賑やかな街の喧騒と共に駒子は目を覚ました。

 いつの間にかウィランジュが駒子に被さる様に寝ていて、駒子はその体をどかしてベットから起き上がった。

 ピロンッ♪という音と共に、早速伊織からのメッセージが入るが駒子は無視をする。

 『おはようございます、駒子』

 ベットの隅に上体を起こしたシュヴァラが挨拶をした。

 「ん~…おはようシュヴァラぁ」

 駒子は伸びをしながら答える。

 『もしかして、今日は朝から不快かもしれません』

 「へ?」


 いつものジャージ姿に着替えた駒子は、他の仲魔と一緒に階段を下りてきた。


 「がはははははっ!朝から幸子の美味い飯が食えるなんて、これが家庭持ちの幸せってなあっ!!」


 駒子は階下から聞こえて来た男の大声を聞き、階段の途中で足を止めた。

 「…げ、この声はぁっ…」

 傍らの宙に浮いたウィランジュが元気な声を上げた。

 『駒子のチチ、きいちーーっ!!』

 『皆さん気を付けるのですよ。あの男に近寄らないよう警戒を』

 『ったく、朝っぱらから面倒臭せぇなあ』

 ジャージの胸の竜の刺繍姿のシュヴァラが固い声音で警告し、アンダースーツ姿となったリドラスがうんざりした口調で言う。

 『フッ…私ならば颯爽と躱して見せるさ』

 『ぼぼぼ、僕あの人、怖い…』

 駒子の上段に立ったエーレスがたてがみをそよがせて言い、プチャムは駒子の頭にメガネ姿となって掛けられながら戦々恐々の態で言う。

 『触らにゃ平気じゃが――…“アンチイドラ”とは、ほんにやっかいじゃのぉ』

 駒子の胸に抱きかかえられたアルゴォムは、やれやれと首を振った。

 「ほんっとだよ!帰ってくんなよあの迷惑じじぃっ!」


 居間に入ると、四角テーブルの一辺を陣取って大男が飯をカッ喰らっていた。

 「おっ!?駒子ぉお~相っ変わらず垢抜けねぇ格好だなあ、年頃の女ならもっと色気ってもんがな…」

 「うっせえクソ爺ぃっ!生活費払ったらさっさと出てけっ!」 

 駒子の父“義若喜一よしわかきいち”は、駒子の罵倒にも一切怯まず人の悪い笑みを浮かべた。


 義若は41歳。

 上背のある筋肉質な体格を上下灰色のスウェットに包み、日に焼けた肌に無精ひげを生やしている。

 短い黒のサイドで分けた短髪に、真っすぐで男らしい眉。顔は彫りが深く、いつも半眼の人を食った様な焦げ茶の目に、鼻梁が太い獅子っ鼻。無精ひげに覆われた、いつも片頬を歪ませたような笑みを浮かべた唇には古い切り傷がある。


 義若の対面で共に朝食を取っていた幸子は、駒子をたしなめた。

 「駒子、お父さんにキツくしないの、朝食は気持ち良く食べましょ。台所に卵焼きあるからね」

 義若はいたずら小僧の如く目を細めると、やおらウィランジュに手を伸ばした。

 「おぉ~ウィランジュ~父ちゃんが抱っこしたげようかあ~」

 義若はウィランジュに迫る。

 『い゛い~やぁあ゛あ゛~~っ!!』

 「だははははは!」

 「酔ってんのかクソ親父っ!!ウィランジュを追いかけ回すなあっ!!」


 不機嫌丸出しで駒子はご飯を食べる。ウィランジュは駒子の背後に隠れ、じとぉっ…!と義若を警戒している。

 「喜一さん、今回はゆっくり過ごせるの?」

 「…まぁそうだなあ、一~ニ週間ってとこか?」

 「ぅげっ、そんなにいんのかよっ…」

 「駒子もどぉだあ?父ちゃんと一緒にイドラ討伐の旅!色んなとこに行けて面白ぇぞお?」

 「絶っ対に嫌だ。あんたといるとストレス溜まるし、もしウィランジュ達に触れて消滅させられたら嫌だし」

 

 この目の前の爺ぃ―――あたしのクソ親父はあたしと同じ魔人アバロンの一人で、特殊体質アンチイドラの持ち主だ。

 アンチイドラはその名の通り、イドラに触れた途端そのイドラを消滅させてしまう。対イドラ戦では最強ではないかと謳われ、その実力から各地からクソ親父当てに依頼が飛び込んでくる。

 あたしが小さい頃からクソ親父は各地を旅しながらイドラ討伐の依頼をこなし、その度に女をこしらえてはあっちこっちで浮気をし、あたしには目の前のこの男が自分の家族であるという実感は全くない――いや、持ちたくない。

 ちなみにあたしの両親は籍を入れてはいないーーーつまりあたしは認知はされているが、いわゆる非嫡出子だ。母ちゃんのことは好きだけど、なんでこんないい加減で浮気性なクソ男と連れ添っているのか、そこだけは全く理解出来ない。

 

 義若はわざとらしいため息を吐いた。

 「はぁあ~俺がこんな体質じゃなきゃぁなあ。可愛い娘と二人旅も出来んとは…」

 「ろくに帰って来もしないで、よくそんなたわ言いえるよな」

 「なんだあ~父ちゃんが帰って来なくてそんなに淋しいかぁ?ん~?」

 「うぜぇな!小さいガキじゃないんだよあたしはもう!ほんっとキモい!いなくても別に全っ然構わないからっ!!」

 「だはは!つんでれか?これが噂によく聞く」

 「デレたことなんか一度もねぇよっ!!」 


 居間で横に寝そべってTVを見る義若。駒子は店に出て、仕込み中の幸子に声を掛けた。

 「母ちゃん、討伐に言ってくんね」

 「駒子気を付けてね。皆、駒子をよろしくね」

 『お任せ下さい、幸子さん』

 『今日はいまがわ焼きがい~なぁ~』

 シュヴァラがきちんと答え、ウィランジュが体をくねらして催促する。幸子は笑って答えた。

 「はいはい、いってらっしゃい」

 「いってきまーす」

 『いってくる~』

 店を出た所で、また通知音が鳴った。


 “駒ちゃんに愛隊☆”


 [駒ちゃん任務頑張ってね♪]

 「…昨日三回もブロックしたってのにっ…」

 『怖ぁ~』

 駒子はすぐさま伊織のアカウントをブロックした。


 バイクをヤマト支部へ走らせ、20分程で支部に到着した。


 地上105階、地下50階の巨大なツインタワーがガラス張りの壁面に青空を映して屹立している。


 途中で折れ曲がる直線で構成されたヤマト支部ビルは、先端へ向かって細くなる暗灰色の壁面とガラス張りが入り組んだ実にモダンでおしゃれなビルだ。

 駒子は道路を左へ曲がり、途中にある検問所に自身のIDパスを提示して通過し、ゆったりとした上り坂を走行して正面玄関脇の地下駐車場へ入っていく。その入り口にも検問所があり同じようにパスを提示して中に入った駒子は、地下駐車場にバイクを止めるとそこからエレベーターに乗って40階の航空機発着場へ向かった。

 軽快な音を立て、エレベーターが到着する。

 目の前には大きく開いた青空と、広大な床面積に何種類もの大小の航空機が停まっている景色が広がっている。微かな風の音と、滑走路を移動する駆動音や機体を誘導する職員の声で今日も賑やかだ。

 エアバイクの貸し出しパスを発行してもらうため、専用カウンターに行こうとしたその時、目の前から一人の男がやって来た。

 「うぉっ!…青竜憑きの蓮雀れんじゃくさんじゃん!」

 『駒子のタイプな人ぉ~っ』

 肩に掴まったウィランジュが揶揄する。

 蓮雀と目が合い、駒子の胸がドキリと鳴った。

 

 年齢は20代半ば程。身長は170cm後半、体格は中肉中背だが無駄な脂肪は全く無い。

 短い黒髪に、地味目な印象の顔はよく見ると男らしく、何となくコヨーテを連想させる。まっすぐな眉に一重の切れ長な青い瞳に、めったに笑う事のない薄い唇。

 全身黒づくめで、体のラインに沿った黒のジャンパーに黒のパンツ。黒いハイカットのブーツも武骨でゴツい。


 ストイックでいながら人として尊敬出来るような男がタイプな駒子の、ドストライクそのものの様な男―――蓮雀顕貴れんじゃくあきたかは、駒子を見ても一切その武骨な表情は変わらなかった。

 「れ、れれ蓮雀さんお、お疲れ様です!」

 「梵…これから仕事か」

 「は、はい!―ー…えぇっとぉ~…」

 (ぐはあっ!!一体何を話せばっ…何か会話、会話の糸口をっ…)

 焦った駒子はハッと閃いた。

 「あぁああの、蓮雀さんの所にもあの話は届きましたか!?戻和党の幹部がヤマト政府に逮捕されるんじゃないかって、あたしの家に戻和党の人が来て…」

 蓮雀は眉を寄せると、駒子に聞き返した。

 「お前の家に?なんで俺がそれを知っていると思ったんだ」

 「…え?だってあたし、その逮捕の話を誰でもいいから上司に伝えてくれって頼まれて…不知火局長に、昨日確かに伝えましたよ?」

 蓮雀の表情が真剣さを増した。

 「そんな話は上層部で共有されていない。―ー…戻和党の誰が来た?」

 「??あの、沖下要議員です…」

 「沖下――…梵、これからすぐに“天達あまたつ”支部長の元へ…」

 蓮雀が言い掛けたその時、発着場にけたたましいアラート音が響いた。

 「ぉわっ!?何!?」

 『うっさ~い!』

 ウィランジュは両耳を手で押さえた。


 『“玉の緒”タワーにてテロ発生。銃火器を所持した複数人の集団が、タワーを襲撃。犯人はイドラを複数体使役している模様、防衛局隊員は現場に急行し作戦本部の指示を仰げ』


 「梵行くぞ」

 「ぅあ゛はいっ!」

 駒子と共に走り出した蓮雀の向かう先が、離着陸場であることを疑問に思った駒子は声を上げた。

 「蓮雀さん、エアバイクに…」

 「それじゃ遅い」

 途端に、蓮雀の全身が青い光に包まれ巨大化しながら後方に細長く伸びていく。

 『ふわあ~っ!』

 「ってまさか…」

 光が消えていくと同時に現れたのは、長さ十数メートルはあろうかという太い胴体を持った“青い竜”だった。


 まるでサファイアの様な煌めきを持つ鱗に全身覆われ、鋭い銀の爪を備えた手足に長い背にたなびく白銀色のたてがみ。長く伸びた胴体の一番末端には、白銀色の長い尻尾がユラユラと揺れている。

 同色の長い口髭に覆われた口には鋭い牙が生え揃い、長くフサフサとした白銀色の眉の下には、黒い白目の中心に紺碧の虹彩と爬虫類の縦長の黒い瞳孔、長いたてがみに覆われた頭部には白銀色の二対の枝分かれした見事な角が天を突いていた。


 (うっわ…っ!初めて蓮雀さんの転身間近に見たーー…すっげえ綺麗っ!!)

 荒々しさと美しさが同時に存在する様な姿に、駒子は痺れるような感動を覚えた。

 青竜と化した蓮雀は、頭部を下げて振り向きながら駒子をうながした。

 『首元に乗れ』

 「…っ…し、失礼しまぁあすっ!」

 駒子は青竜の首元をよじ登った。角を両手で持てる位置にまたがると、蓮雀が動き出した。

 「ぉわわっ…」

 駒子は急いで角を掴んで何とか姿勢を整えた。


 青竜はあっという間に宙に浮くとそのまま低空飛行し、スピードを上げると一気に発着場の外へ飛び出た。

 

 『ぅんわぁ~~いっ!!』

 「…っ…!!」

 ビルの外へ出た青竜は体を大きく旋回させながら上昇し、その開けた視界の先に玉の緒タワーのシルエットが遠く見えた。

 青竜はスピードを上げながらタワーに向かって飛行した。

 「ぐふっ…目…目がシバシバするっ」

 『あははははっ!おっきいヘビだあ~空飛んでるう~っ♪』

 『あ゛?』

 青竜から低く不機嫌な声が出る。

 「ウィランジュ“竜”!蛇じゃなくて竜だから!」


 玉の緒タワーは地上67階建ての複合施設型のビルだ。全面青緑のガラス張りで、上部に行くにしたがってビルがひねられている様な凝った構造をしている。

 タワーから数百メートルまで近づいた所で青竜は高く上昇し、そのままの高度でビルの真上に接近すると一気に下降し屋上に着地した。

 駒子も青竜から降りて二人は辺りを警戒したが、テロリストは屋上にはいないようだ。蓮雀の体が光を帯びて縮小し、人の姿となって現れた。

 (ぅ~わかっけーっ!)

 蓮雀はWEA・PCを操作し、何かを確認している。

 (ッ!おっと、あたしも作戦本部にログインせにゃ)

 「…犯行グループは三千御霊という、反ロンギヌス組織だ。敵勢力は判明した今現在所で11人ほどらしいな」

 蓮雀が告げる傍らで、駒子も自身のWEA・PCで作戦本部のサイトに入って情報を見た。

 「映像も入ってますねー―…」

 「ああ」

 蓮雀は、犯人グループを映したホログラム画像を拡大して駒子に示す。銃器をもってフロアに散会した犯人の腕に、三千御霊を示すエンブレムが見えた。

 「こいつら各地で地下道路爆破してる―――…って、あ!」

 駒子のWEA・PCが震え、画面に不知火の文字が。

 「蓮雀さん、不知火局長からです」

 「待て梵、俺が出る」

 「へ?」

 「お前は何も話すな、いいな」

 「あ~はい。ウィランジュも」

 駒子は人差し指を立てし~!とジェスチャーで示すと、ウィランジュは両手で口を塞ぐ。駒子は通話をクリックした。

 『梵さん、あなたどうしてビルにいるの?』

 蓮雀が駒子に身を寄せ口を開く。

 「不知火局長、俺が居合わせた梵を部下としてここへ同行させた、蓮雀だ」

 (あわわぁわっ…!ち、近い近い!)

 すぐ隣の蓮雀の気配に、駒子は全身を緊張させた。

 『――――…蓮雀さん…ーー梵さんは?』

 「俺の隣にいる、それより聞きたい事がある。梵が昨日、戻和党の沖下要議員に政府によって不当に逮捕されると話したらしいが、本当か」

 駒子は耳をそば立てる。

 『ええ、それで私の方から沖下議員に連絡を取ろうとしたけど、なぜか相手につながらないの。それを報告しようとしたら今度はこの騒ぎでしょう』

 「なぜすぐに天達支部長に報告しない。話が本当なら、ヤマト政府がロンギヌスに敵対行動を計っているとも言える行動だろうが」

 『そうねぇ…実は少しこの話の確実性に疑問があったから…としか言えないわね』

 「どういう事だ」

 『今はテロ事件の最中よ、話はあなた達が支部に帰投してからするわ。今あなた達は屋上に着いたのね』

 「――――…ああ」

 『ドローンからの映像では屋上にテロリストはいなかったわ。それと、幸運なことに玉の緒タワーは改修工事中で、入場者は一部の業者や職員以外いないようよ。彼等の退避はもうすぐ完了するわ。あなた達はこのまま屋内に潜入して、追って指示を待って』

 「…ひとまず屋内へ潜入する」

 『梵さん』

 「ッ!!」

 蓮雀は話すなと無言で首を振る。

 「あなたは蓮雀さんの指揮に従いなさい」

 通話が切れた。

 「…あの女狐がーー…梵、屋内に行くぞ」

 「うっす」

 駒子達は移動し、屋内への入り口であろう金属扉の前に来た。ドアノブをひねると鍵が掛かっている。

 「下がっていろ」

 駒子が距離を取ると蓮雀は右爪を“水”へ変化させ、金属扉を噴射したウォータ―カッターで一気に切り裂いた。

 甲高い音を立てながら3回切り裂くと金属扉は大きく崩れ落ち、人が通れるほどの空間が開いた。

 蓮雀はそのまましばらく無言で扉の前に立った。

 「…敵勢力はないな」

 『水で鉄きれたぁ~』

 「超高圧で噴射したからね」

 『水でっぽうでピューっ!』

 「…あ゛?」

 蓮雀が不機嫌な声を出す。

 「すいません蓮雀さん、この子子供だと思ってくださいっ」

 その時二人のWEA・PCからほぼ同時に短いバイブ音がして、支部から新たな情報が届いた。蓮雀と駒子はそれぞれ情報を確認した。

 「三千御霊は地上11階に陣取ってるな…俺達がいるのが67階の屋上―――…非常階段で降りるぞ」

 「うぇ゛っ、56階分もですか…」

 「そうだ」

 「ひぇ~…」

 『駒子ガンバぁ~』


 屋内に入ると、下り階段が遥か下まで続いている。手すりに身を乗り出して下をのぞき込んだ駒子は、その果てしなさに軽く絶望した。

 「俺は先行して敵がいないか、逃げ遅れた者はいないか確かめてくる」

 蓮雀の体が青い光に包まれ竜の形へと変化し、直径3メートル程の長さの青竜へと転身した。

 『梵、お前もなるべく早く来てくれ』

 「へぃ…」

 青竜は身をひるがえし、階段のぽっかり空いた中心の空間を階下に向かって降りて行った。巻き起こった風が駒子の前髪を揺らした。

 「いや56階分って…」

 『リドラス』

 シュヴァラが駒子のジャージの左胸から呼び掛けた。

 『駒子を階下まで運んでくれませんか?これでは駒子が戦う前に消耗してしまいます』

 『あ゛ぁ~?』

 駒子のアンダースーツとなったリドラスから、面倒臭そうな声が返ってくる。

 「リドラス頼むよぉ」

 『ウィランジュがやりゃあいいじゃねぇかよ』

 『ウィランジュは時々駒子を落とします』

 『てへ♪』

 ウィランジュが可愛く照れて、駒子は思わずイラっとした。

 リドラスは短く舌打ちをすると、駒子のジャージの下から抜け出しその場所で元の形へと戻った。

 直径2メートル弱の大きさになったリドラスは、駒子を見て言った。

 『オラ、さっさと乗れよ』

 「ありがとよリドラス~っ」

 駒子はリドラスの直径3~4cmほどの金属製のコードが束になった髪の毛部分に、リドラスの両肩に後ろから掴まっておんぶした。リドラスの金属製の髪がスルスルと駒子の体に巻き付き、その体を固定した。

 『…うぉっしゃ、んじゃいくぞ』

 「よろしくお願いしまーっす!」

 リドラスは足部分の金属製のコードをうねらせ、滑らかに階段を下り始めた。

 

 階段を下りていくが、逃げ遅れた人々は見当たらない。各階にある非常用の扉に何階であるか表示されていて、通過際に駒子が見ると“24階”と表示されていた。

 リドラスは時速十キロkmぐらいの速さで、滑る様になめらかに音もほとんど出さずに階段を下りていく。

 「リドラス、15階になったらあたし降りるから」

 『んー』

 (蓮雀さんの姿はまだか…)

 

 駒子達は15階の非常階段に到着し、駒子はリドラスから降りた。

 「リドラス、ありがとうね」

 『おぅ』

 リドラスはグニャリと不定形になると、駒子のジャージの下に戻っていった。

 「ウィランジュ、なるべくしーっだからね」

 『しーっ』

 駒子は両手の濃紺色の金属で構成された“ナックル”を見下ろした。

 「アルじぃ、スタンバイOK?」

 『ふぉふぉ、まかせておけぃ』

 「よしっ…じゃあ皆、行きますか」

 駒子は階下へ下り始めた。


 それから警戒しながら進んだが敵の影はなく、蓮雀の姿も無かった。

 (途中、戦闘音なんにもしなかったもんな…)

 駒子が12階の踊り場から下をのぞくと、人の姿に戻った蓮雀が11階の非常用扉の前に立っていた。蓮雀は駒子に気付き、駒子は無言で蓮雀の傍へ行った。

 駒子は小声で聞いた。

 「敵はいなかったんですか?」

 「…ああ、一人もな。中も静かなもんだ」

 蓮雀は非常用扉を振り返った。

 「犯人は11人程度、でしたよね…」

 「ああ。監視カメラは壊され、室内カメラもまだ設置されていない。人質の有無も含め、状況もまだ作戦本部からアップされていない」

 「あたしが扉の内側の状況を調べます」

 「出来るのか?」

 駒子はうなずく。

 「シュヴァラ」

 駒子のジャージの左胸に声を掛けると、竜の刺繍姿のシュヴァラが顔を上げた。

 『偵察ですね』

 「うん、よろしく」

 駒子の左腕の裾から透明な“糸”がスルスル伸び、扉へと向かって行く。

 『プチャム、接続しますよ』

 『は、はい』

 眼鏡のプチャムにジャージの襟から伸びたもう一本の糸が伸び、眼鏡の丁番ヒンジ部分に接続した。

 「あたしの眼鏡に、シュヴァラからの偵察映像が映るんです」

 「便利だな」

 「ッ!来ました」

 扉の隙間から進入した糸は、ぐるりと先端をゆっくり回転させた。映像もそれにならって回転する。

 「……は?何、これ…」


 扉のあちこちに、直径10cmほどの“こぶ”の様なものが引っ付いている。

 それは良く見ると、全身茶褐色の小さな頭部をもった昆虫で、時々口元や手足を動かしているがじっとして動かない。


 「これ、イドラ――…小さなこぶみたいな胴体を持った昆虫型のイドラが、内扉のあちこちに付着してます」

 「梵、俺も見れるか」

 「はい、どうぞ」

 駒子は眼鏡を外し蓮雀に渡し、それを掛けた蓮雀は映像を見て眉をひそめた。

 「この形状―――…ブザーというよりは、爆弾に見えるな」

 「地雷、ですかね…音とか動きに反応する」

 「…多分な。梵、もう少し先のフロアがどうなっているか見たんだが」

 (はうぅ…!あたしの眼鏡掛けてる蓮雀さん萌えるぅっ!)

 眼鏡姿の蓮雀に駒子はキュンとしてしまうが、表情筋を引き締めて冷静を装った。

 「…もちろん、シュヴァラ」

 『了解です』

 映像は扉を過ぎ、その先のフロアへと進んでいく。

 「…おい、これは…ーー」

 蓮雀は自分が見た光景に言葉を失くした。

 フロアの至る所に最前の虫型イドラがいて、特にフロアの柱部分には敷き詰められたかのようにイドラが蠢いている。

 「自決用――…いや、柱にこれだけ設置しているのは…―――ッ!!」

 蓮雀はWEA・PCをタップして誰かに連絡し、相手が出ると同時に話し始めた。

 「岩瀬か、玉の緒タワーで起きたテロ事件の作戦指揮は誰が執っている」

 『加持さんです』

 「加持さんに繋いでくれ、今すぐ」

 『分かりました、一旦切ります』

 蓮雀が駒子を振り返った。

 「梵、他の階がどうなっているのか見て来てくれ。ここから上の階…4階から5階くらい上まで」

 「わかりました!」


 シュヴァラを戻して12階へと急行した駒子は、非常扉の前でシュヴァラに偵察を頼んだ。

 「…ッ!!これ…」

 フロアに虫型はいなかったが、フロアの柱にはびっしりと虫型イドラが張り付いている。

 「――ー…?あれ、なんでこっちの柱には何も付いてないんだ?」

 シュヴァラを戻し上の階へ移動しようとした駒子は、虫型の付着していない柱を見つけ違和感を覚えた。

 駒子はヤマト支部の作戦情報の欄から玉の緒タワーの見取り図を表示させ、自分が今見た柱の位置を確認した。

 「ビルの正面から見て――…びっしり付いてんのは正面側か…んで、付いてなかったのは―――…その反対側、か」

 駒子は柱の位置関係を記憶にとどめ、シュヴァラに言った。

 「シュヴァラ、ここは引き上げて上の階に行こ」

 『了解しました』

 12階を終え、13、14と確認し、15階に来て同じように偵察した駒子は表情を強張らせた。

 「ちょっとちょっと――…どの階も正面側にイドラがびっしり付いてんじゃん…これが爆発なんかしたら――…っ蓮雀さんに報告…」

 駒子が言い掛けたその時、低い震動音が上階から響き出した。


 WEA・PCが短くバイブし、蓮雀はすぐさま応答した。

 「はい」

 『連雀か。GPSで屋内にいるのは分かっていたが、どうした』

 連雀に応えたのは、重低音の野太い男の声だった。


 男の名は“加持登悟かじとうご”。

 ロンギヌスヤマト支部副支部長を務める、“帝釈天”の契約者コントラクターだ。


 年齢は48歳。190cmを優に超す体格は分厚い筋肉に覆われ、黒の着物に同色の袴を履いて足元は草履という姿は、まるで時代錯誤の野武士か山伏のようだ。

 日に焼けた肌に禿髪の頭。太い眉に一重の白目の際立つこげ茶の鋭い瞳に、高い獅子っ鼻に顎全体を覆う黒々とした顎髭。


 相対するものを確実に緊張させるようなイカツい風体の加持は、ヤマト支部ビル内にある作戦指令室の一角にある小会議室で一人立ちながら、連雀の返事を待った。

 「加持さん…タワー内を調べたところ、三千御霊の奴等が占拠したフロアは地雷型のイドラであふれていた。しかも重点的に柱にびっしりとイドラが張り付いていてーーー…奴等このビルを倒壊させる気だ」

 『ッ!!テロリストは発見したのか?』

 「いや、調べた範囲には一人もいなかった。加持さん、ビルの周囲に展開した部隊を…」

 「連雀さんっ」

 階段を急いで降りてくる音が近づき、駒子が階上から現れた。

 「15階までの階上にも、イドラが柱に張り付いていてっ…それが全部タワーの正面側にっ…」

 連雀が口を開こうとした、その時。


 ッッゴッヴァア゛ア゛ア゛ア゛ン゛ン゛ン゛ッッ!!!


 上階から爆発音が響き、ビル全体を激しく振動させた。

 「どうおわ゛っ!!」

 『びっくりー!』

 「…っ…!!」

 駒子は手すりにつかまり、連雀は壁に手を付いた。

 『どうした連雀!』

 「今上階で爆発がっ…」

 連雀が言い終わらない内に。


 ーーッガアァア゛ン゛ンッッ!!!ゴガア゛ン゛ンッッゴッ…ドゴォゴォオ゛ン゛ンンッッ!!!


 連続した衝突音が近づいて来る。

 「何これっ…何か落ちて行ってる!?」

 音が響く度にタワー全体が衝撃音を轟かせながら、何か巨大な物が上から落下し次の瞬間。


 ーッゴガァア゛ア゛ア゛ン゛ン゛ン゛ッッッ!!!


 「うわ゛っ!!」

 『うるさ~いっ!!』

 一際激しい衝撃が近くで爆発し、ウィランジュが両手で耳を押さえた。衝撃音は駒子達の下へ落ち、それが遠のいて行ったと思ったその時。


 ッゴガガガガガガァア゛ア゛ン゛ン゛ン゛ッッッ!!!


 凄まじい衝撃音と共に、地に轟くような振動がタワーを襲った。

 駒子達の間に沈黙が満ちて轟音は止んだ。

 「―――…加持さんこの音は…」

 『ーー心柱だ』

 「心柱…?」

 連雀の傍らに着た駒子の問いに、連雀が答えた。

 「建物の揺れを制震するための装置だ。確かこの玉の緒タワーは、振り子タイプの制振装置を設置している。加持さん、奴等の目的はタワーの占拠じゃない、破壊だ。今すぐ周囲の部隊を撤退させて、周辺の住民を避難させてくれ」

 『分かった。連雀、お前はどうする』

 「―――…無力化を試みる」

 駒子は連雀の横顔を見た。

 『…そうか。危険だと思ったらすぐに撤退しろ、いいな』

 「了解」

 通話を切った連雀が駒子を振り返った。

 「梵…お前の力で、あの地雷型を無力化することは可能か?」

 駒子はウィランジュを見た。

 (…ウィランジュは相手のエネルギーを吸収することが出来る。でもあんなにたくさんの数を、短時間でとなると…)

 駒子の悩む姿を見て連雀は口を開いた。

 「…俺はこの屋内…特に11階から上の辺りを水で満たして地雷型の爆発を抑える。――…地雷型イドラは15階まであったか?」

 「ッ!はい、ありました」

 「…そうか、なら10階から20階辺りまで水没させてみる。梵、お前は屋外へ撤退しろ」

 連雀は言いながら、非常用扉の前に立った。

 「っ…連雀さん」

 連雀は横顔で振り返り短く告げた。

 「早くしろ」

 「…っ…ーーはい」

 駒子は下の階へ続く階段を駆け下りた。













 



 




 

 








 

 













 

 

 


 

 

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