第八話
16時を過ぎるともう空はオレンジ色に染まっていた。まだ部活動の時間だし、帰り道に同じ学校の生徒の姿が無かったのは救いだった。
「ねえ、ちょっとそこの公園に寄って行かない?」
会話というより松岡君がする一方的な質問に答えながら歩いていると、駅の途中にある誰もいない小さな公園へ誘われるがまま中に入っていった。
「あそこで少し話をしようか」
松岡君が指差す先には赤いベンチがあった。そこへ行くと松岡君は慣れたようにハンカチで私の座る場所を払ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、どうぞ」
ベンチに座ると少しの間沈黙が流れた。私は無意識にいつの間にかブランコで遊んでいた親子をじっと見ていた。
「上条さんて、もしかして片親?」
「え⁉︎」
松岡君からの問いに私は思わず大きな声を出してしまった。一瞬なんで知ってるのか疑問に思ったものの、なかなかその後の言葉が出なかった。私は動揺から頷くのが精一杯で、それを見た松岡君はやっぱりと小さく呟いた。
「僕もそうなんだ。母さんとふたり暮らしでさ」
私もそんな気がしていた。何だろう……松岡君は他の男子と違って大人に見えた。それに時々見せる寂しげな表情が何となくそう思わせていたのかもしれない。
「上条さんはお父さんお母さんどっちと暮らしてるの?」
「いえ……一緒に暮らしてないんです。お父さんに一人暮らしをさせてもらってて……」
上条さんは一応私のお父さんという事になっているから間違いではないけど、まだ抵抗がある。
「でも、何で分かったんですか?」
私はそれが気になっていた。
「雰囲気……かな。なんか分かるんだ、上条さんを見ていると」
「まだ会ってからそんなに経ってないのによく分かりましたね」
「あ、いや……実は結構前から見てたかも……遠くから……」
松岡君は恥ずかしそうにそう答えた。
「上条さんて学校じゃ凄く有名でしょ? クラスの皆んながその話をよくするから気になって一度3組の教室に見に行ったんだ。で、上条さんの表情をみて、もしかしたらって思ってからよく見るようになってたんだ」
「全然気づかなかったです。色々周りから見られてて気付かないフリをしてたから……」
「大変だね。でもよく分かる気がする。上条さんは人を惹きつけるくらい容姿がいいから」
「あ、ありがとうございます……でも、松岡君も女子から人気がありますよね。うちのクラスの女子もよく松岡君の話をしていて、名前だけは知っていました」
「へぇ、そうなんだ。でも、上条さんに比べれば全然気にならないよ」
松岡君は女の子に慣れているような感じだった。中学生の時からそんな感じだったのかな?
「ねえ、来週来てほしいところがあるんだ。僕の友達を紹介したいんだよ」
「え……でも」
急にどうしたんだろう? 友達を紹介したいなんて……。
「実はその友達と放課後に集まる秘密の溜まり場があってさ。来ない?」
私はその友達がどんな人なのか少し不安になって悩んだ。松岡君の友達というからには凄く明るい人達ってイメージだし……。
「あ、女の子もいるんだ。凄くいい奴らだから安心して」
ダメだ……断れない……。
「はい……」
「やった! ありがとう」
あれ……まただ。
「……松岡君は何でいつもそういう笑顔を見せないの? あ、ごめんなさい!」
いつも他の人に向ける笑顔と違う笑顔を見せる松岡君に、思わず心の声が口から出てしまった。慌てて謝ると松岡君は少し恥ずかしそうに微笑んで、視線を私から前で遊んでいる子供達に向けた。
「何でかな。上条さんには自然とそうなっちゃうんだよ。別に意識的にそうしている訳じゃないんだけどね」
私も椎名さんに対して見せる笑顔が違うけど、何で松岡君は私なんだろう?
「そろそろ帰ろう」
いつの間にか、もうオレンジ色の空は暗くなっていた。
「はい」
「またね」
松岡君は何故か嬉しそうに去って行ったのが印象的だった。
その夜……私は前の家から持ってきた荷物を片付けていると、ある物が出てきた。
「あ……懐かしいな……」
お母さんが大事な物を入れている箱から出てきたのは写真入れだった。そこには私とお母さんの笑顔があって、一枚一枚懐かしむように見ていると、自然と涙が流れていた。どの写真からも楽しい思い出が溢れてくると嗚咽を漏らし、声を出して泣いた。そして最後の写真になると写真を持つ右手が震え出す。それは初めて見る写真で、私じゃなくてお母さんと知らない男の人が仲良さそうに映っている写真だった。
お母さん何でこんな写真を……。
私は直感的にそれが自分の父親だと確信した。初めて見たその顔が憎くて堪らなかった。
「くっ……」
私はそれを両手で破ろうと手をかけるけど、どうしても破る事ができなかった。お母さんが私の写真と同じ場所に保管していた事を思い出したからだ。
私はその写真をしばらく眺めていた。
「この人誰かに似ている気がする……」
そんな事を思った後、次第に怒りが湧いてきた。
この人はお母さんと私を捨てたんだ……お母さんを悲しませて……大っ嫌い。
今も何処かで生きているのだろうか。お母さんがあんな目にあったのに、誰かと笑って過ごしているのかもしれない……。
やり場のない怒りをぶつける事もできずに悲しみが襲う。それから元気がなくなると、何もする気にもなれずにソファーへ横になった。
さっき見ていた思い出の写真を見ても泣かない日が来るのかな……。
「……可奈? どうしたの?」
私はいつの間にか眠っていたらしく、椎名さんに起こされていた。
椎名さんは私の顔を見て心配そうな顔をしていた。
「ちょっと疲れて……」
「ちゃんと話して。何かあったの?」
椎名さんが真面目な顔で訊いてきたからさっき見つけた写真入れの事を正直に話した。
「そう……」
椎名さんは何か悲しそうな顔をしていた。きっと私がいつまでも泣いているからだ。
「ごめんなさい。いつも泣いて、心配させてしまって……」
「もう! またそうやって……ネガティブになっちゃダメよ」
椎名さんは私の頭を優しく撫でてくれる。
「さ、ご飯作るから待っててね。ライナでも聴こうか」
椎名さんはそう言って音楽をかけてくれた。私はそれを聴いていると少し気が楽になった気がした。
椎名は可奈のマンションから出ると車を走らせ、やがて大きなビルに入っていった。
そしてスタジオと書かれた部屋に入って行くと、やがて隣の部屋から出てきた上条に真剣な顔で近づいていった。
「ちょっと話があるの」
「ああ……」
ふたりはそのまま別の部屋に入って行った。
「ねえ、そろそろ可奈と真剣に向き合うべきじゃない?」
上条がソファーに座るのを見た椎名がそう切り出したが上条はただ下を向いて黙っていた。
「これ、可奈から借りてきた」
椎名は一枚の写真を上条の前に置いた。
「これは……」
それを上条は震える手で取ると懐かしむように見ていた。
「可奈がね、真帆が大事に持ってたって……」
「……」
「全てを話そう? それで可奈がどんな反応をするのか、怖いのは分かるわ……でも、全てを話さなきゃ何も変わらないし、二人とも前に進めないのよ」
「あの子を見た時、すぐに俺と真帆の子だって分かったよ……凄く嬉しかった。あの時真帆のお腹に子供がいたなんて知らなかったから余計に……」
「私もよ……可奈を初めて見た時、若かった頃の真帆に見えて泣きそうになったもの……」
「久しぶりに会ったアイツはあの時のままだったな……意地張っぱりで絶対に意思を曲げない」
「だけど最後は私達に頭を下げた……可奈をお願いって、泣きながら……」
「アイツは可奈の為に自分の意思や感情全てを捨てたんだ」
「あの時真帆泣いてたね……ごめんなさいって何度もあなたに謝ってた」
「くそ、あれがなければこんな事にならなかったのに……人生って分かんないもんだな」
「そうね、ひとつ選択肢を間違えただけでこんな事になるんだって思い知ったわ」
「……分かった。話してみる」
「うん……可奈もきっと分かってくれる。その時は私も行くからね」
「悪いないつも」
「何言ってるのよ。私にも責任があるから……」