私の心に空いた穴 〜天涯孤独になった少女の物語〜

第三話

　ドレスコードという言葉を初めて知った。私は椎名さんに以前買ってもらった、この先着ないだろうと思っていた凄く大人っぽいドレスが、この日の為のものだったんだと納得した。

　そして着いた場所は絶対に足を踏み入れたくないような大人な雰囲気のお店だった。女の人が綺麗なドレスを着て、スーツ姿の男の人と入って行くのを見た私は、少し緊張ながら椎名さんの後について歩いていった。

　案内された窓際のテーブルではあの上条さんが待っていた。

　今日の上条さんは流石にサングラスはしていなかった。結構前髪が長くて目が見えにくかったけど、身なりがしっかり整えられていて顔も凄くカッコよくて、誰かに似ている気がした。お母さんと年が同じで35歳だって椎名さんから聞いていたけど、20代後半と言われても不思議じゃないくらい若く見える。

「ひ、久しぶりだね」

　よく分からないけど上条さんは私を見てから動揺しているように感じた。

「どう？　こんなに可愛い子が娘なんて鼻が高いわね！」

　椎名さんは笑顔で上条さんに話しかけると、私を上条さんの前の席に座らせてから私の隣に座った。

「まほ……いや、昔のお母さんによく似ているよ」

　上条さんは何か懐かしむような顔で私を見ていた。そこで私はますますこの人とお母さんの関係が気になった。

「色々と私の為にありがとうございます。上条さん」

　とりあえず言いたかったお礼を言うと、上条さんは恥ずかしそうに頭を掻いていた。

「いや、約束した事だから」

「……あの、お母さんとはどんな関係だったんですか？」

　今までお母さんに付き合っている人がいること自体全く知らなかった。長い間一緒に過ごしていたのに気付かないなんて少しショックだった。

「君のお母さんとは昔からの友人でね。自分に何かあったら君を頼むと託されたんだ……」

「お母さんがそんなに体が悪かったなんて知りませんでした。だから凄く悔しくて……」

「君のお母さんは君が受験中だから心配をかけたくないと言っていたんだ」

　お母さんは今まで誰にも頼ってこなかったのに、自分の体が相当悪くなってるって分かってたのかな……。

「でも、何で結婚までして私を引き取ってくれたんですか？　私には分かりません……」

　今でも信じられない……お母さんは頑なに結婚はしないって言っていた。そんなお母さんが結婚するなんて……それにこの人は分かっているのかな、お母さんの為とはいえ、そこまでしてしまうなんて……。

　何が特別な事情があったのか訊いてみたいけど、これ以上怖くて訊けない。

「お母さんは可奈をひとりにする事を酷く怖がっていたの」

　椎名さんの言葉に涙が出てくる。今まであんなに私の為に頑張ってきたのに、そのせいで体を壊したのに……。

「うぅ……」

「ほら、泣かないの。今日は可奈の入学祝いなのよ」

　椎名さんは私が流した涙をハンカチで拭ってくれた。

「はい……」

　食べたことのない豪勢な食事をしながら椎名さんが色々と私に質問してくるとそれに答えた。今までの生活のことがほとんどで、上条さんはその間ずっと私を優しい眼差しで見ていて、他の男の人と違って不思議と嫌じゃなかった。

「そうかぁ、可奈はお母さんの為にいっぱい頑張ったのね。偉いわ」

　私の話を聞いた椎名さんに褒められたけど私にはそれは当然のことだった。

「私の為に頑張ってくれてたのを知ってるから……」

　仕事で疲れて帰ってくるお母さんを見る度に私が家の事を頑張らなくちゃと思い、学校そっちのけで家事を覚え、お母さんから料理を教えて貰った。たとえそれで学校の思い出が出来なくても構わなかった。

「これからはあなた自身の為に勉強して頑張るのよ」

「分からないんです……今までお母さんの喜ぶ顔が見たくて頑張ってきたのに、もうお母さんはいない……いきなり自分の為にって言われても切り替えられない……」

　私の夢は高校を出たら働いてお母さんに楽をさせる事だった。一緒に旅行したり、ライナのライブに連れて行ってあげたかった。でも、その夢は絶たれてしまった。それに代わる夢なんて考えられないのが現状で、今を生きるのが精一杯だった。

「今はそれでいいわ。まだ可奈には時間が必要なの……焦らなくていいわ」

　そうして時間はあっという間に過ぎると、3人で私が住むマンションに来ていた。食事が終わった時に上条さんが見てみたいと言い出したのがきっかけだった。

「ねえ可奈？」

「なんですか？」

　リビングに入って3人がソファーに座ると椎名さんがテーブルに置いてあったCDを手に声をかけてきた。それは最近荷物から出した物だった。

「可奈ってライナのファンなの？」

　ライナ……今日本で一番と言っていい4人組の人気バンドで、幅広い世代から支持を集めていた。その名前を知らない人がいないのは20年という歳月をひた走ってきたからで、毎年曲を出してはライブもやっている凄いアーティストだった。

「お母さんが大好きだったんです。だから一緒に聴いているうちに私も好きになっちゃって」

　今までCDを出せなかったのはそれを聴いてしまうとお母さんとの思い出が噴き出してまた辛くなると思ったからだ。最近心が少しずつ安定し始めた事もあってまた聴き始める事ができた。

「そう……お母さんはライナの事なんて言ってたの？」

「……ライナを聴いてると元気が出るんだって言ってました」

　その時、私は上条さんと椎名さんが目を赤くしているのに気付いて驚いた。

「ど、どうしたんですか……？」

「ううん！　違うの！　これは嬉しくてね！　私達も好きだから！」

　椎名さんは何か必死に誤魔化しているように見えたけどよく分からない。上条さんは私から視線を外して顔を見られないようにしてる。

　何か変な事を言っちゃったかな？

　それから少ししてふたりは帰り、部屋は静まり返る。急に虚しさがやってきて、やっぱり私はひとりなんだって思い知らされた。

　心に空いた大きな穴は埋まらないって分かってるけど、私はこの寂しさに耐えられるのかな……。

　椎名は車を運転しながらずっと無言でいる上条に話しかけた。

「真帆はずっと私達をみてくれていたんだね……」

「ああ……」

　急に路肩に車を停めた椎名はハンドルにもたれる。

「真帆……どうして……どうしてもっと早く連絡をしてくれなかったのよ‼︎　最期に謝って……ずるいよぉ……うぅ……」

「……」

「怒りたかった……言いたい事いっぱいあったのに……あんな顔されたら……何も言えないじゃない……」

「俺達はあの子とどう接していけばいいんだろうな……」

「私はあの子を幸せにしたい……辛いのよ……毎日あの子を見ていて分かる。あの子はひとりの寂しさに苦しんでる……今まで唯一の支えだったお母さんを亡くしたんだもん。それがどれだけ辛いか……」

「俺に何ができるんだ……」

「とりあえず呼んであげればいいんじゃない……？」

「何処へ？」

「決まってるでしょ？　ライブよ」