第二話
高校生活があと少しで始まると思うと憂鬱で、いっそこのままずっと家に引きこもっていたかった。
そんな時、椎名さんがやって来ると目的地も言われず高そうな車に乗せられた。
「あの……これからどこに行くんですか?」
何故か隣でウキウキしていて楽しそうにしている椎名さんに行き先を訊いた。
「あそこにずっと居てもつまんないでしょ? だから今日は外にお出掛けして楽しみましょ!」
「はあ……」
何をそんなに楽しそうなのか分からなかったけど、家にいたら辛いのは確かだった。ひとりお母さんを思い出しては泣いていた日々だったから。
楽しむってどこに行くのかな……。
車の窓から流れていく街並みをただ眺め、あまり乗り気になれない私がまず連れて来られたのは、椎名さん行きつけだという凄くオシャレな感じの美容室だった。
「思い切ってイメチェンしましょ!」
椎名さんからそう言われて待っていると、明るい雰囲気のお姉さんさんがやって来て、椎名さんと楽しそうに話し出した。そこでは私をどうするか話しているみたいで、私を挟んで色々と話が進んでいくと、お姉さんに連れられて部屋を移動した。そこは完全な個室で、かなりの時間をかけて髪とか眉とか念入りにいじられた。
イメチェン? が終わると、椎名さんは少し興奮気味に私を色々な角度から眺めていた。
「ふふふ、やっぱり私の思った通りだったわ! じゃあ次にいきましょ!」
何を言っているのかさっぱり分からない……やっぱりって何?
訳が分からないまま今度はショッピングに連れて行かれて、服をこれでもかってくらい沢山買って貰った。椎名さんは知り合いが多いのか、店員のお姉さんと仲良く話しながら服を決めていて、店を出た時には空は暗くなっていた。
椎名さんは家に帰ると私がメガネを外しているのを首を傾げて見ていた。
「可奈は本当に目が悪いの? いつも家で外してるから気になってたのよ」
「度は入ってないんです。中学生になってからお母さんに外ではこれをかけていなさいって言われて……お母さんも目が悪くないけどいつも外ではメガネをしてたんです」
気付かないうちにそれが当たり前になっていた事に今更気付いた。なんでお母さんはそうしてたんだろうと改めて考えるけど、やっぱり分からなかった。
「なるほどね……」
何故か椎名さんは納得したように呟いた。
「え? 何か分かったんですか?」
「可奈、これからは外でもメガネはかけなくていいと思うわ。その方が楽でしょ?」
確かに今まで疑問に思っていたし、夏とか煩わしく思う事があったから私はメガネをするのをやめる事にした。
「そうですね。何でお母さんがそうしたのか分からないですけど」
「お母さんは可奈のためを思ってそうしたのよ。さ、さっき買ってきた服を着て見ましょ?」
何か意味深げな事を言いながら椎名さんは買ってきた服を広げると、楽しそうに私に着せてうんうんと頷き、満足したように私を眺めていた。
「見違える程綺麗になったわ! 高校に行ったらモテモテよ!」
鏡に映る私は確かに変わった。ボサボサだった髪は少し明るい色に染められて綺麗にセットされていた。それに眉とかいじられて雰囲気が明るくなった気がする。メガネを取ったのも大きく、以前とは全くの別人に見えた。
私……幽霊みたい……。
でも、鏡に映る私の表情は無に等しく、暗闇が覆ったように暗い死人のようだった。椎名さんに色々やってもらったのに、私は笑顔ひとつ見せない……だんだん悪い気がしてくる。
「椎名さん、今日はありがとうございました。久しぶりに家から出ていい気晴らしができました」
何とか笑顔を作ろうと、固まっていた表情を崩してお礼を言った。
「これで眠れるようになるといいわね」
椎名さんは心配そうに私を見ている。私はお母さんが死んでから眠れない日が続いていて、今は病院で睡眠薬を処方してもらって何とか眠れていた。
「まだ薬がないとダメですけど……」
「学校が始まるまでには薬なしで眠れるようにしなきゃね」
「そうですね……」
それから学校が始まる4月は刻々と近付いていた。椎名さんは毎日家に来てくれて、私におしゃれを教えてくれたり、話し相手になってくれた。毎日薬で寝ていた私だけど、最近無くても寝れる日が出てきたのは椎名さんのおかげだった。
そして……とうとう入学式の日が来てしまった。
私は朝早く起きると、憂鬱な気分のまま学校に行く支度を始めた。こうゆう時の時間はすごく早く感じる。もう少しゆっくりしたいのに家を出る時間が来てしまい、ひとつため息をつくと、鏡の前に立って身だしなみを整えながら新しい制服を眺めた。
今日からまた学校が始まる……。
中学生の時、私は空気のように目立たない子だった。多分その時のクラスメイト達は私の存在なんて覚えていないと思う。その原因は自分でも分かってる。休み時間になると図書室の片隅に居座り、学校が終わるとすぐに家に帰るからだ。だから学校での思い出はひとつも無かった。
「お母さん……行ってくるね」
お母さんの遺影に手を合わせると、学校に行きたくない思いを押し殺して家を出て行った。
マンションを出るとまだ少し冷たい春の風が体を吹きつけ、人の出会いが多い季節だと、私はまたひとつ溜め息をついた。
学校は歩いていける距離だったから段々と同じ制服の子が増えていき、同じ方向に向かって歩いている。
「おはよう!」
「あ! まなちゃんおはよう! 今日から高校生だね! 凄く楽しみ〜」
前を歩く女の子達の楽しそうな会話が聞こえてくる。
いいな……。
前はそんな会話を聞いても気になる事は無かった。でも、お母さんがいなくなった今、素直にそう思ってしまう。
きっとこの子達は家ではお母さんがいて、お父さんもいて、もしかしたら兄弟もいて……楽しく今みたいに笑って過ごしてるんだろうな……。
そのやりきれない気持ちに気分は沈み、足取りが重くなる。
お母さんがいたから今まで平気だったけど、これから耐えられるのかな……。
高校生になっても同級生達とうまく付き合えない気がした。
もし、親の文句とか話されたら耐えれないかもしれない。私にはそれさえ話せない。当たり前がない私はきっと話が合わないし、親がいないって言ったら絶対気を使わせる。そんなの嫌だし、また中学生の時みたいに学校が終わったらすぐにいなくなろう……その方が絶対楽だ。
色々とネガティブな事を考えているうちに学校に着くと、早速クラス割りが貼り出された掲示板に向かった。周りではしゃぐ声と楽しそうな声が湧いている中で自分の名前を探す。
あった……私は1年3組か。
自分の名前を確認すると、ついでに上から下まで名前をさらっと見る。ちらほら同じ中学校の人がいる。どれも話した記憶もない人達だけど何となく名前は覚えていた。
賑やかな輪の中から抜け出して自分のクラスに向かおうと校舎に足を向けた時だった。
気のせいかな……誰かが私を見てるような気がする……。
さっきまで騒がしかった場が何故か静まっていて、後ろからヒソヒソと話す声が聞こえてくる。沢山の視線を感じるけどどうしても後ろが見れなかった。私は見るのを諦めると早足でその場を後にした。
嫌だな……。
3組の教室の前まで来た時、ドアの向こうから何人かの話し声を聞くと、あまり人と接したくない私はドアの前で立ち止まってしまい、体が鉛のように重くなっているせいでなかなか足が動かなかった。
中学生の時も初めはそうだったな……。
昔を思い出すと、お母さん以外の人と話す事がなかった私は入学した時こそ色々話しかけてくれたクラスメイトも、話が合わないと思ったのか段々と会話が少なくなくなっていった。そのうち教室に居られなくなって……休み時間になると図書室に逃げ込んでは本を読み漁るようになっていた。
でも、いつもの通り私は存在感のない地味な子だから中学生の時みたいに誰も見向きもしないはず。
そう思うと少し気が楽になって、なるべく音を立てないようにスッと中に入っていったその瞬間、何故か賑やかだった教室が静まり返ってしまった。
……何でそんなに皆んなの視線が集まるの?
私をチラッと見た人が、そのまま私から目を離してくれない。それが次々に伝染したようになっていって、教室にいた全員が私を食い入るように見ていた。
「可愛いー!」
「芸能人より可愛くね⁉︎」
「ヤバ⁉︎ エグ⁉︎」
「誰かな?」
そんな声がするけど私に言っていると思えなくて、思わず後ろを振り返った。
誰もいない……私に言っているのかな……確かにこの前椎名さん行きつけの高そうな美容院に行って色々やってもらったのは覚えてるけど……。
とりあえず立ち止まっててもしょうがないし、はやく席に座りたくて黒板に貼られた紙を見てから自分の席に座った。
「えーと! 上条さんだよね?」
私が椅子に座るタイミングを見計らって明るそうな女の子が笑顔で声をかけてきた。たしか同じ中学にいた子だ。話したことは無いけど何となく見た事がある顔だった。
「は、はい……よろしくお願いします……」
自分でも分かるくらい小さな声だった。最近は椎名さんとしか話してないからいきなり声をかけられて動揺が凄く、それが今の私の精一杯だった。
「私、山田莉里っていうの! 宜しくね! 上条さんこの辺の中学からきたんじゃないよね? もしかして何処からか引っ越してきたの?」
「え……蒲原中学校ですけど……」
同じ中学校の人だから私を知っているのかと思った。でも、よく考えたら私を知ってるなんて人がいるわけがないんだ。
「えぇぇぇぇ⁉︎」
凄いリアクションだった……おかげで教室の人が一斉にこちらに向いたのが分かって気まずい。
「私も蒲中なんだけど‼︎」
こんな反応をされると知ってるとは言えなかった。
「嘘でしょ……こんな可愛い子絶対目立ってるはずなのに」
「あ、多分苗字が変わったからだと思います」
「いやいや! そこじゃないから!」
大袈裟なくらい手を横に振る山田さんは、私の顔をじっと見るなり深い溜息をついている。
「はぁ……うっとりするくらい可愛いわ。大きな目に長いまつげと白くて透明な肌……こんな完璧な顔初めて見たかも。それに髪型とか凄くおしゃれだし。もしかしてモデルとかしてるの?」
「い、いえ……してないです」
「えー! 勿体ないよ! 絶対人気者になれるって!」
山田さんと会話をしながら周りに視線をやると皆んなが私を見ていた。
皆んなヒソヒソ話してる……何でこんな事になっちゃったんだろう……。
今日は学校が入学式で終わりという事に心から良かったと思った。午前中だけとはいえ休み時間になると息つく暇もなく話しかけられて戸惑っていた私は、早く学校が終わるのを祈るようにして過ごしていた。
前はこんな事なかったのにな……。
「おかえり、可奈」
そんな事を思いながら家に帰ると玄関から椎名さんが迎えてくれた。
「た、ただいま……」
何か不思議な感じだった。今まで家に帰ると誰もいなかったから、ただいまなんて言う日が来るとは思わなかった。少し恥ずかしくて、慣れないせいもあって小さい声で返事をしてしまった。
よく見ると椎名さんはテレビで見る女優さんのような綺麗なドレスを着ていた。
「今日の夜はお出掛けよ。レストランで可奈の入学祝いね! 当然上条も来るからね」
「え……」
上条と聞いて思わず嫌な顔をしてしまった。今までお母さんとしか過ごしていない私は、男の人というだけで少し敬遠してしまう。
「あら、嫌?」
「嫌じゃないですけど、まだ少ししか会ってないですし……」
「あの人も可奈と同じで戸惑ってるわ。いきなり女子高生の親になるんだもんね。だからそれを分かってあげてね」
まだあの人がどんな人かも分からないけど、お母さんが結婚するくらいだから多分いい人なはず……現に私を色々支援してくれているし。
「はい、上条さんには感謝していますから」
まだ何も分からないけど、今はお母さんを信じてみることにした。