第十五話
「ダメだ‼︎」
後ろから強い力で引っ張られ、体が橋の手摺りから地面に引き戻される。そのまま倒れ込んだ衝撃で現実に意識が戻ると、誰かが強い力で私の体にしがみついていた。
「松岡君……」
松岡君の声が聞こえた気がしたけど何でここに……。
「何で……何でこんな事をするんだよ! 分かるだろ⁉︎ 大切な人が死んだら……残された人がどうなるか!」
松岡君にいつもの余裕ある表情は無かった。それに本気で怒っているのに悲しい顔をしていたのが辛くて、申し訳なさでいっぱいになった。
「……でも、私が……私がお母さんを死なせたの‼︎ もう耐えられないの! だから‼︎」
私は人目も憚らず取り乱し、大きな声で泣き喚いていた。
「違う‼︎」
いつもの雰囲気からは想像できないほどの迫力が私を黙らせた。
「俺だって……母さんに今まで沢山迷惑かけて後悔してるよ……でも、その母さんに言われたんだ……親っていうのは子供が一番なんだって、それがどんなに手が掛かったとしてもって……」
「だから私のお母さんは……」
「母さんは僕を産んで一度も後悔をした事が無いって言ってた……それよりも沢山の幸せをくれるんだって。だからきっと君のお母さんも同じだと思う。君を見ていれば分かるんだ。お母さんを凄く大事にしてたんだなって……僕が悔しくなるくらいにさ。だから、君のせいじゃないよ……君がそう思ってしまったらお母さんが可哀想じゃないか……」
松岡君の穏やかな口調で諭され、少しずつ心が落ち着いてくると、自分がしてしまった過ちの罪悪感に苛まれ始めていた。
「ごめんなさい。私……酷いことをしちゃった……皆んな励まして……応援してくれたのに……」
「可奈⁉︎」
椎名さんが駆け寄ってくると、私が何をしようとしたかが分かったのか、その顔は青ざめていた。
「馬鹿!」
パン!
頬に痛みと頭に乾いた音が鳴り響いた。それをされて当然の事をした私は何も言えなかった。
椎名さんの顔は歪み、大粒の涙を流していた。
「真帆に死なれて……あなたにまで死なれたら私はどうすればいいのよ……うっ……あぁ!」
体を震わせ、声を上げて泣く椎名さんをみて私は更に罪悪感に苛まれた。今まで沢山面倒を見てくれたのに、私はそんな椎名さんを裏切ってしまった。
「ごめんなさい……」
少し落ち着いた今、自分がした事に恐ろしくなって体が震えて止まらなかった。
「あなたは?」
誰の顔も見られなくて俯いていると、椎名さんが松岡君に話しかけている声が聞こえた。
「僕は上条さんの友達です」
「ありがとう。あなたがいなかったら可奈は今頃……」
「友達から雨に打たれながら走る上条さんを見たって連絡があって、皆んなで探していたんです」
「そう、今度お礼をするからね。これから可奈を家に連れていくからあなたも気をつけて帰ってね」
「はい……」
その後、松岡君に心配そうな顔で見送られ、私は椎名さんの車に乗せられた。
「そう、これから家に連れて帰るから話はまた明日にしましょう……うん、分かったわ」
隣では椎名さんが電話をしていた。多分相手は上条さんだ。
それから会話のないまま家に着くと、お風呂に入ってから足の傷を手当てしてもらった。
「可奈、明日彼の話をちゃんと聞いて欲しいの……昔何があったかあなたに知って欲しいのよ」
私は無言で頷いた。昨日はいきなりの事で凄く動揺していたけど、冷静になった今、その事が気になり始めていた。
そして次の日。また私と上条さんは向かい合って座っていた。
「可奈、あなたは彼がどんな人物なのか気になっていたわよね?」
私は小さく頷く。確かに私は以前からそれとなく椎名さんに上条さんの事を訊いていた。お母さんとの約束の為かもしれないけど色々と支援してくれるのに私は何も返せていないから、せめて上条さんの事を知らないといけないと思ったからだ。
「……信じられないかもしれないけど彼はライナのシュウヤなの」
「え……」
本当に信じられなかった。
私のお父さんがあのライナのシュウヤ?
上条さんの顔をあらためて見てみると、ライブで見たシュウヤの顔とぴったり重なった。
何となく似ているとは思っていた。ライナはテレビに出ないし、姿を見るのはCDのジャケットくらいだ。最近行ったライブで初めて生でシュウヤを見た時、上条さんに似ていると感じていたけど、まさか同一人物とは思わなかったし、そんな奇跡みたいな事があるわけないと思っていた。
「18年前……」
驚きが収まらないまま上条さんが話し始めると、心を落ち着かせようと深く息を吐いてからじっと耳を澄ませた。
「当時ライナは人気が出始めた頃でそれなりに世間から知られ始めていたんだ。俺は君のお母さん、真帆と付き合っていて結婚を約束していた」
お母さんがライナのシュウヤと恋人同士だった事に驚き、何でそれがこうなってしまったのか、話の続きが気になった。
一体何があったんだろう……。
「でも……その時、俺にスキャンダルの記事が出ていたんだ。それはただ音楽番組の打ち上げが終わって帰るとき、他のアーティストの女性と並んで歩いていただけでそれを週刊誌が熱愛だのと掲載したんだ」
上条さんは当時を思い出したのか悔しそうに体を震わせていた。
「俺はそんなのは気にしなかったし、真帆も分かってくれてたから事務所に予定通り結婚すると言ったら止められたんだ。スキャンダルが落ち着くまで待てと……その時俺はまだ若かったから断固拒否した。そんなの関係ないって……そしたら、事務所が……俺のいない間に真帆と接触して、結婚をしたらライナが活動出来なくなるって……」
上条さんは当時を思い出したのか、声を詰まらせていた。
「そして真帆は俺の前から消えた……俺はその事を椎名から聞いて事務所で暴れて辞めたんだ。そしてライナは活動を休止した。その間俺は真帆を必死に探した……でも、見つからなかったんだ……」
悔しそうに語る上条さんの話に絶句した。結婚したいほど好きな人が突然居なくなったらと考えると、あまりの悲しい結末に言葉が出なかった。
「どん底にいた俺はバンドのメンバーに呼ばれてこう言われたんだ。歌で真帆に呼びかけよう、そうすればきっとまた会えると。俺は真帆に向けて曲をいっぱい作って歌った。帰って来てくれるのを信じて……」
そこまで話すと上条さんは少し間を空けた。多分当時を思い出すのが辛いんだと思った。
「そして今年の2月に突然真帆から椎名に連絡があったんだ。俺と椎名は急いで病院まで向かった。やっと会うことができた……そこで初めて知ったんだ君の存在を。真帆は俺に君を頼みたいと言ってきた。だから条件として約束していた結婚をしたんだ……」
私は何でお母さんが結婚したのかが分かったと同時に悲しい気持ちに包まれていた。好きな人同士が引き離されてやっと会えたのに、また別れがきてしまった……なんて残酷な話なんだろう。
私……上条さんになんて酷いことを……。
それなのに私は上条さんを罵ってしまった。何も知らないのに一方的に……。
「すまなかった……真帆を……君を見つけてあげられなくて……本当にすまなかった……」
上条さんは頭を深く下げていた。ギュッと握られた上条さんの拳に涙がポタポタと落ちていたのを見た私は居ても立っても居られなくなって立ち上がると、上条さんの側に移動していた。
そしてそっと上条さんの頭を優しく抱きしめると上条さんは私を強く抱きしめ、声を上げて泣いていた。何度も何度も謝りながら……。
それを見て私はやっと分かった。
……この人と私は同じなんだ……突然お母さんがいなくなって苦しんできたんだ……それでもお母さんをずっと探してくれた。お母さんに会いたいって歌い続けてくれた。それなのに私は……。
「ごめんなさい……お母さんが死んだのは私が頑張らなかったから……私のせいなの!」
涙が止まらなかった。謝らなければならないのは私の方だった。
「違うの可奈! 真帆は……真帆はね……ガンだったの……私達が会った時……もう手遅れだって……」
椎名さんが涙ながらに話した事は初めて聞いた事だった。お母さんがガンだったなんて全然気付かなかった。
「そんな……お母さん私には何も話してくれなかった……ただ体の調子が少し悪いだけだって……」
「それに……真帆は可奈を凄く褒めてたわ……あんなに優しくてできる娘を持って幸せだって……」
「お母さん……う……うわぁ〜!」
私はそれを聞いた時、急にお母さんの顔が浮かぶと子供のように大きな声を上げて泣いていた。お母さんがガンで苦しんでいたのも知らないで、いつものように接していた自分が許せなくて、申し訳ない気持ちが溢れて心の中で何度もお母さんに謝った。
そんな私を今度は上条さんが優しく抱きしめてくれた。男の人の力強くも優しい温もりに、涙は更に止まらなくなっていた。