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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十五章 帝都の春
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089 もう一通の手紙

 馬車が御者の掛け声とともに停止すると、ゼーラーン家の門が静かに開けられた。コンラッドとエディシュは疲れを滲ませながら、互いに顔を見合わせた。


 ふたりが馬車を降り屋敷に戻ると、応接室でヒューゴ叔父と母・オーレリアが談笑しながらお茶を飲んでいる。香っていたのは、先ほどバトーダ家でも出されたシトロネラの香りのするお茶だった。エディシュは思わず拳を握り締めた。


「いやあ、エディシュもとうとうお嫁入りか。あの小さかったエディシュがねぇ……」


 ヒューゴは目頭を押さえ、感慨深げに微笑んだ。早くに父・ブルーノを亡くしたエディシュにとって、ヒューゴは何かと気にかけてくれる存在だった。


 にこやかに朗報を待っていたヒューゴだったが、二人の浮かない表情を見て、すっと立ち上がった。テーブルに置かれたティーカップが、小さく震えて音を立てる。

 

「エディシュ……まさか、お前……」

「ごめんなさい、叔父様!」


 エディシュは目をつぶり、叱責に備えた。せっかく探してくれた縁談とはわかっていたが、どうしても我慢ができなかった。

 

「コンラッド! お前がついていながら、どういうことだ!」

「叔父上、事情がありまして……」

「事情? どんな事情があれば、あの縁談が潰れるというのだ。エディシュの幸せを思えばこそ、セントフェルドの片田舎まで足を運んだというのに。だいたい義姉上が甘やかすから……」


 その瞬間、オーレリアの表情が一変した。いつもは穏やかな彼女からは想像もできない鋭い眼差しが、ヒューゴに向けられた。


「ヒューゴ。私がいつ、子どもたちを甘やかしたと?」

「い、いや……」


 ヒューゴの額に汗がにじんだ。よりによって、一番触れてはいけない部分に、触れてしまったのだと気がついたのだ。

 

「うちの子供たちは、侍女や侍従がいないと着替えもできない、そのへんの甘ったれとは違います」


 本来、高い家柄の者なら、多くの使用人に囲まれて暮らすのが普通だ。しかしこの家では、たとえ戦場に一人取り残されても生き延びられるようにと、幼い頃から自立を教えてきた。

 

 ――それが、代々武門の家系であるゼーラーン家の伝統だった。


「私は、夫の死後、子どもたちがゼーラーンの名に恥じぬよう、文武両道の教育をしてきました。男も女も関係ありません。アルドリック陛下にお仕えするにふさわしい人間に育てるために」


 オーレリアは、静かだが一切の反論を許さない声で語った。


「し、しかしこのままではエディシュが……」

「嫁に行かないなら、行かないで結構!」


 その言葉に、エディシュは思わず目を見開いた。結婚しない人生なんて、考えたことすらなかったのだ。

 

「お母様、何もお嫁に行かないとは……」

「行きたいなら、自分でお相手を見つけなさい」

「え?」


 エディシュは耳を疑った。


「あなたの好きになさい。他人を頼らず、自分の良さを受け入れてくれる相手を見つけなさい。世界は広いのです。必ず、あなたをきちんと認めてくれる人がいます」


「お母様……」


 エディシュは混乱していた。まさか、自分で結婚相手を探せと言われるなんて――想像もしていなかった。

 

「さあ、ヒューゴ。あなたも、もうお帰りになって。縁談のことは、本人に任せますので」


 オーレリアの気迫に押され、ヒューゴは逃げるように馬車へ乗り込んだ。彼が去るのを見送った後、オーレリアはそっと二人の手を取った。


「さあ、あなたたちも、お茶にしましょう」

「……お母様、あの、私……」

「なあに?」

「しばらく、シトロネラのお茶は飲みたくない」

「わかったわ。じゃあ、りんご草のお茶にしましょうね」


 オーレリアは、りんご草のお茶を入れ、焼き菓子を摘んだが、二人には何も聞こうとしなかった。

 

 そのとき、玄関の呼び鈴が鳴り、やがて執事が現れた。コンラッドに、フェルディナンド商会経由で手紙が届いているという。


 配達人の男は、どうしても本人に直接渡したいとのことだった。応対に出たコンラッドが見たのは、つばの大きな帽子を深く被った黒ずくめの男だった。手紙を受け取ると、男は「確かに」とだけ言って、すぐに姿を消した。


 顔を思い出そうとしても、コンラッドの記憶に残ったのは「ひょろりとした大柄な男」という印象だけだった。


 手元の手紙を見ると差出人は――ディランだった。


 コンラッドは急いで部屋に戻り、ナイフで封を切った。中には私信と別紙の報告書が入っていた。


 報告書の内容は、ほとんどがドナルに関するものだった。城外の館で魔道符が製造されていたこと、それらがフォローゼルへ流されていたこと、仲介者の名、そしてドナルの目的――知りたかったことが、ほぼすべて記されていた。


 報告書を読み終え、コンラッドは安堵の息をついた。無事にドナルの館を出られたのだ。今は、それだけで十分だった。


 だが、私信を読み進めるうちに、その顔が曇っていった。


 コンラッドは手紙を封筒に戻し、懐にしまうと、母に宮殿へ行くことを告げに向かった。


「お兄ちゃん、手紙は誰から?」

「ディランからだ。向こうでの役目は終わったんだけど、しばらく帰らないって」

「え? 何で?」

「詳しいことは、また知らせるって」

「ふーん」


 エディシュはそっと懐に手を伸ばし、隙をついて手紙を奪い取った。


「こら、エディシュ。やめなさい! はしたない」


 普段ならこんなことはしない彼女だったが、兄が何かを隠している気がしてならなかった。


 手紙に目を通しながら、ある一文で目を留めた。


『顔合わせがうまくいかなくても、気にするな』


「……何これ……」

「エディシュ、返しなさい!」


 読むそばから怒りが湧いてきた。


「“うまくいかなくても”って……! どういうつもり? 最初から失敗するって分かってたの? ていうか、そもそもあんたのせいでしょうが!」


 エディシュの怒りは限界を越えた。手紙を床に叩きつけ、足で踏みつける。


「やめなさい! エディシュ、それは……」

 

 慌てて駆け寄ったコンラッドが、ようやく手紙を拾い上げる。封筒には靴の跡がついていたが、中身は無事だった。


(……報告書も入っているのに)


 呆れたように息をついた兄をよそに、エディシュはツンと横を向いた。

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