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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十五章 帝都の春
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088 顔合わせ

 その日、エディシュは馬車に座る自分が自分でないような気がしていた。朝からただ流されるように、ドレスを着せられ、髪を結われ、化粧を施された。そして今は、馬車の座席で所在なさげに身を預けている。


「お兄ちゃん。無理して来なくてよかったのに。私一人で大丈夫よ」


 馬車の向かい側には、礼服姿のコンラッドが座っている。普段よりもきちんとした身なりだが、その顔には疲れがにじんでいた。


「そういうわけにもいかないよ。ずいぶん待たせてしまったからね。今日くらいは、兄としての役目を果たさせてくれ」


 コンラッドは先日、皇帝の補佐官ジーンのもとで武官に任命されたばかりだった。名目は武官でも、実際はほぼ書類と報告書の山を処理する助手のようなものだ。エル・カルド侵攻の報に加え、フォローゼルからの書簡がもたらされたことで、宮廷内は騒然としていた。


 ただ、フォローゼルが一時撤退し、ウィラードの無事が確認されたことで、帝都にはわずかな安堵が広がっていた。バシリウス王子からの書簡には、短くこう記されていた。


『いつでも来られる』

 

 それを見たアルドリックは、笑いながら書簡を机に放り投げた。


「やってくれるねぇ」


 その一件以来、『中央』では議論が続いており、コンラッドはその渦中から抜け出して、エディシュの顔合わせに付き添うこととなった。こんな緊迫した時であっても、縁談は進められるのだ。


 今回の顔合わせの相手は、サントフェルドの地方領主・バトーダ家の養子で、年齢はエディシュの一つ上だという。それ以外の情報は聞かなかった。


 「これ以上の縁談はない」——叔父にそう言われたエディシュは、腹を括ってこの場に臨んでいた。


    ◇      ◇


 バトーダ家に到着すると、ふくよかで上品な年配の女性——バトーダ夫人が自ら出迎えた。


「お待ちしておりましたのよ、ゼーラーンのお嬢様」


 コンラッドは片膝をつき、挨拶と遅れたことへの詫びを述べた。バトーダ夫人はにこやかにそれを受け入れた。

 

「よろしいのよ、そのようなこと。お二人とも、陛下の信頼が厚いとお聞きしておりますもの」


 その言葉に、コンラッドとエディシュはほっと胸をなで下ろす。これほど穏やかな人物なら、姑としてもうまくやっていけるかもしれない。


 夫人に案内され、二人は長い廊下を歩く。その途中で、夫人はこう付け加えた。


「できれば建国祭までにお式を挙げたいですわね。あの時期は町が騒がしくなりますから」


 夫人の少し険のある声音が気になったが、それよりも『建国祭』という言葉にエディシュは懐かしい記憶を呼び起こされた。


 建国祭――賑やかな屋台、溢れ返る人々、窓から舞い降りる花吹雪、そして目玉の剣闘会。かつては、自分も出場したいと母を困らせたものだったが、辺境にいた間にすっかり忘れていた。


    ◇      ◇

 

 そのまま二人が通されたのは、中庭に面した明るい応接室だった。花が飾られ、窓からは美しい庭の緑がのぞいている。その部屋の一角に、すでに養子の青年が座っていた。


 一目見た感想は——「平凡」だった。だがエディシュはすぐに頭を振った。平凡で何が悪い。自分のような娘を受け入れてくれるなら、それだけで十分だ。


 たしかに自分の好みの「おじさま」ではない。だが、そんなことを言っていたら、とうに適齢期を過ぎた自分はどうなる。この人を受け入れ、愛する。それが今の自分にできる務めなのだ。


 エディシュが精一杯の笑顔を見せ、手を差し出すと、その息子は手を取り挨拶をした。


「ラルゴです」

「エディシュ・ゼーラーンです」


 差し出した手を握った彼の手は、柔らかかった。剣を握ったことがない手だ。自分の方がよほど硬く、男のような手をしている。少し、気後れした。


 シトロネラの香るお茶と焼き菓子が運ばれてくると、バトーダ夫人は途端に饒舌になり、ラルゴがどれほど優秀で温厚か、家がいかに裕福かを延々と語り始めた。


 その間、ラルゴはほとんど喋らず、時折上目遣いにエディシュを見るだけだった。その視線に、エディシュは奇妙な既視感を覚えた。


(……この感じ、どこかで)


 夫人の話が途切れる気配はなく、たまりかねてコンラッドが口を挟んだ。


「少し、ラルゴ君と話をしてもよろしいでしょうか?」


 夫人はハッとして口を押さえた。

 

「まあ、私ったら。そうですわね、若い方同士でお話しなさいませ」


 コンラッドはラルゴに向き直り、穏やかに問いかけた。


「ラルゴ君。私はエディシュの兄のコンラッド・ゼーラーンです。ご存知の通り、私たちは早くに父を亡くしました。貴家のお力にはあまりなれないかもしれませんが、それでも構いませんか?」


 ラルゴはようやく口を開いた。


「もちろんです。私たちには広大な農地がございますし、セントフェルド王家との繋がりもあります。むしろ私たちが、ゼーラーン家をお支えできればと……」


 やわらかく、理想的な返答だった。いい人だ。普通の人だ。何の問題もないはずだった。


 だが――エディシュの胸に広がる違和感は、消えなかった。


「そういえば、君はエゼルウートで誰に師事してたんだい? 失礼だけど、見覚えがなくてね」


 帝都エゼルウートには、十二歳になる帝国中の有力者の子弟が、学問や武芸を学ぶために集まる習慣があった。年齢が近ければ、見かけたことくらいはあるはずだった。


「あ、その……先生は……」


 夫人の目つきが鋭くなる。ラルゴは口ごもり、バトーダ夫人が代わって答えた。

 

「この子は親の方針で、帝都ではなく地元で教育を受けましたの」

「そうでしたか。それは失礼しました」


 だがラルゴの視線は、どこか落ち着きなく彷徨っていた。エディシュは、その感じに覚えがあった。


(どこかで……この人に、会ったことがある)


 記憶を必死にたどる。


 ――そして思い出した。あの時の、あの男の子を。


 エディシュは、すっくと立ち上がるとラルゴを指差した。


「お兄ちゃん。……こいつディランに手紙を渡そうとした奴だ」

「え?」


 驚くコンラッドの横で、ラルゴの顔がみるみる赤くなる。


「あんた……子供の頃、ディランに手紙を渡してくれって、あたしにしつこく押し付けてきた、あの男の子よね」


 エディシュに脳裡に、少女の頃の記憶が、まざまざと甦っていった。


 いくら嫌だと断っても、手紙を渡してくれとしつこい男の子。ディランは男だと言っても、それでもいいとしつこい男の子。自分で渡せと言っても、嫌われるのが嫌だとしつこい男の子。あまりに腹が立ったので、その手紙を手に、その子の親にチクリに行ったあの日。いつの間にかいなくなっていた男の子。


 エディシュの中で、封じたはずの怒りが込み上がってきた。


「何で? ……何で、あんたがここにいるの?」

「何でって……そりゃあ、あの時の女の子が結婚相手を探してるって聞いて……あの子もきれいだったなって……」


 

 「きれい」という言葉が、これほど嬉しくないとは思わなかった。これほど虚しく響くとは――


 エディシュはラルゴに詰め寄り、胸ぐらを掴んだ。


「この縁談――断る!」


 驚きの声を上げるラルゴの横で、バトーダ夫人の顔色が一変した。


「な、何ですって!? 断るですって? こちらが下手に出ていれば調子に乗って……! 行き遅れの娘をもらってやろうというのに!」


 怒りをあらわにする夫人は、ラルゴに言い放った。


「ラルゴ! だからこの娘はやめろと言ったのよ。他の相手にしなさい! うちには嫁のなり手なんていくらでもいるんだから!」

「……は、はい」


 ラルゴは逆らいもせず、うなだれた。エディシュとコンラッドは、黙ってその場を後にした。


    ◇      ◇


 馬車での帰り道、コンラッドの疲労は一段と増して見えた。エディシュもまた、呆然と馬車に揺られていた。外の景色も目に入らず、ただ馬車の天井を眺めている。


「……お兄ちゃん。ごめん」

「いや、いいよ。あの人たちと親戚にならずに済んだと思えば……」

「叔父様に怒られる……」

「私が、叔父上の所へ謝りに行くから」

 

 エディシュは、自分が謝る立場なのかとふと思った。だが世間的には、そうなのだろう。


 それでも――胸の奥に、ほっとしている自分がいることに気がついた。


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